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観劇:「木の皿」~加藤健一事務所公演

2006-05-27-Sat
観劇の市民サークルに入っています。しくみはこうです。毎月会費を払います。会員全体の会費をプールして、年間6~7本(2月に1度くらいの頻度で、「例会」と呼んでいます)、劇団を招いて芝居を観ます(1回一つの演目、2~3ステージで希望の方を見ます)。見るときは無料です。しかし、見ようと見まいと会費として払っているので金は戻ってきません。暇だからみるとうわけにもいきませんし、興味があろうとなかろうと、演目は決まってきます。どっちかというと、若者向けのタイトルよりも、年配者向けの話題のものが多く来たりします。見たいもの見たくもないものさまざまです。逆にそれがいいのですけどね。ま、そんなこんなで、もう10年以上観劇サークルに入っていますので、50本は優に見ていますね。生で。考えてみれば、けっこうな数です。


さて、今回の例会は加藤健一事務所(劇団名です)の『木の皿』でした。扱っているのは、正面から「老人問題」「高齢者問題」「姥捨て」ですね。まさに、家族が崩壊の危機に瀕している、現代の日本にぴったりの演目だと思います。演劇の一つの良さは、それは怖さでもあるし、強さでもあるのですが、錬られた科白(せりふ)が、生の声で、客席に伝わってくる点です。

呆けつつある父親ロンを、次男夫婦(グレンとクララ)が家を継ぎ面倒見ています。母親(ロンの妻)は亡くなったのでしょうか、いっさい話題に出てきません。夫婦には年頃の娘スーザンがいます。また、若者エドを下宿させています。

ロンは最近呆けが進んできて、非常に手がかかります。先日タバコの失火から、家が火事になってしまいました。クララはそれが嫌で、医者に止められていることもあって、ロンのパイプを隠してしまっています。花瓶は割られ、食器も割られ、ほとほと嫌気がさしたクララは、ロンに普通の陶器の食器でなく木の食器を与えてそれで食事をさせます。これで、割られることなく安心というのが論理です。たしかに、木の食器は軽くて使いやすく、割れずに安心なんで、ある意味ユニバーサルデザインと言えなくもないと思ったりもしますけどね。

ですが、それがロンには屈辱です。この作品のタイトルにもなっているのですが、この間で一人前の男として働き、家族を育ててきた男が、年をとって普通の食器で食べられなくなった。そこには、老いによっておこる機能低下(老人力ともいう~笑)からくる止むをえない事情があるのですが、そこは、ロンにとって食事のたびにその現実をつきつけられることになるわけですね。木の器を出されるたびに、お前はもう一人前に食事もできないんだからなと再確認されているようなわけですね。簡単に言えば、プライドが傷つけられるわけです。この作品は、まさしくその、老人のプライドが一つのテーマになっています。

そして、もう一人の主役は、老人ロンに木の器を与えた、(ということばは劇中では使われていませんが)のクララです。劇中クララの口から生い立ちを語られる場面があるのですが、要するに、16歳でひとりで暮らさざるを得なくなり、グレンと知り合いこの農場に来て、農家の嫁として働いた。その間ひとり娘クララができて、家事と育児とで大変だった。世間で「奥さま」や若者がしてるような、楽しいダンスやパーティとも無縁だった。ようやくクララが一人前になって、手を離れだした頃は、今度は義父のロンが呆けた。ただの病気でなくて、ちょっと元気。口も達者。食器は割る、花瓶は割る、タバコを吸わせれば寝たばこから火事をおこし危うく一家は死にかける。ほんとうに一生懸命努力し、なんとかしようと毎日がんばってきたのだが、もう限界がきた~と涙ながらに訴えます。会場にもたくさんいらしたと思います。妻の立場、母の立場、嫁の立場から、妻クララに共感する人たち。会場のあちこちですすり泣きが聞こえましたが、わたしはクララへの共感が多かったのだろうと勝手に解釈しています。よき嫁で当然。嫁が忍従すればすべて解決、丸く収まる。そういう文化がずっと日本に続いてきていたと思います。非婚化、少子化の問題はこういう文化と無縁ではないと思います。

会社をリストラにあって、すべてに自信をなくしだしている夫グレン、会社人間である一方中間管理職の苦悩の中に立つ長兄フロイド、グレン家の下宿人で、結婚はせず気ままに暮らしす、まさに、フリーターのエド、ロンの親友で1人暮らしの老人サムなど、実際の時代は1650年代のイギリスのはずなのに、現代の日本の状況と非常によく似ています。そして、見るものが自分を投影させる人物が、何人もいる。

わたしは、高齢者問題にとって、一つの理想は高齢者の自立だと思っていましたが、そうかといって、高齢者とてさらに高齢になり、体力、知力、気力が次第に衰えていくわけですよね。そうした時に、果たして、われわれ支える世代が、どのように支えていけるのか? 家族で手厚く世話をし面倒を見ることができるのか? 相応の金を出して相応の施設での生活を与えらるのか? いやそれさえできないのか? まさに、今、もしくは、やがて直面せざるを得ない問題ですね。

それは、親の問題であるとともに、自分の老いの問題でもあるのですから。

この舞台のラストは、そういう老人の一つの寂しさと強さ、孤独と優しさ、ある種の悲愴なる決意を見えてくれるわけでもあります。老いて弱くなるのはしかたのないことですが、そのギリギリまで、誰もが自分の足で、自分の目で、自分の舌で、いろんなことを楽しみ、味わいたいと思っていると思いますけどね。

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COMMENT



2006-05-28-Sun-17:09
木の器てなんか難しそうですねぇ。。。
老人問題・・・。
呆けた人の介護(?)ってたぶん大変だろうな。

☆彼方さん

2006-05-28-Sun-21:16
いらっしゃい。v-266大変だと思います。
そして、「いつか、あんたも介護される側になるんだよ。そのとき、どうされたい?」ってのが、「木の皿」の一つのテーマでもあるのです。

2006-05-29-Mon-12:43
FC2のadsense非表示関連でリンク踏んでいるうちに迷い込んできました。

今、こちらの解説を読むだけで泣けてきました。嫁の人権、老人の人権、うぅむ。ますます若者の人口は減るし、私もやがて老人に・・・。

良いお話ありがとうございました。

☆やぎさん

2006-05-29-Mon-22:50
記事読んでいただいてありがとうございました。
ありがたいコメントいただいて、うれしいです。

もし「木の皿」をご覧になりたい場合は、加藤健一事務所ののホームページがにいくのがいいと思います。

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