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【書籍紹介】「殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」

2014-01-31-Fri
久しぶりに雨が降って、わたしはネットで購入した書籍を持って、洒落たカフェーに出かけた。ちょっと、仕事をサボって。禁煙スペースは、賑やかなおしゃべりをするご婦人たちが多く、やや読書には相応しくないと感じるかもしれないが、他人の視線が割りと気になる私には、静寂した図書館よりも、むしろ安心して読書に集中できるような気がした。欲を言えば、アメリカンコーヒーは、もう少し大きめのカップを期待したいのだけれど。

持参したのは清水潔著「殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(新潮社刊)である。



著者は一世を風靡した写真週刊誌「FOCUS」の写真記者であった。同誌休刊後、日本テレビの報道系記者となった。
→ Wikipedia:清水潔

記者として、北関東一帯で起きた幼女連続殺人事件が未解決のままであることを知り、それを取材することとなる。ところが、そこでどうしても避けて通れない事件が関係する。今では冤罪が確定した「足利事件」である。別に、ミステリーではないので、ネタバレになっても差し支えなかろうと思うので書くが、当時は「足利事件」は冤罪でなく、解決済みの事件であった。もちろん、その操作方法その他に問題があり、今では冤罪が確定しているのだが。






筆者は、取材の過程で、この「足利事件」として語られる幼女殺人事件が、その他の未解決の連続殺人事件と同一犯として考えたほうが合理的であるということに気づく。しかしながら、「足利事件」で「犯人」とされた菅家さんは、一つの殺人事件は有罪だが、平行して捜査された他の殺人事件は証拠不十分ということになっていた……。そして、あろうことか、菅家さんが収監中にも、同手口の事件が起きた……。菅家さん逮捕で事件が解決せず、菅家さんの言葉を信じて他の操作をきちんとしていたら、あるいは、その後の被害は防ぐことができたということをも意味するのである。

筆者は、獄中から再審を訴える菅家さんと文通し、また、「足利事件」の「被害者」であった幼女の遺族や、目撃者にも取材する。そして、その捜査の杜撰さ、というか、むしろ、強引さに遭遇する。そして、当時は絶対といわれた「DNA(型)鑑定」の不確かさにも迫っていくのである。

事件の早期解決という成果を求められる警察、それが、警察官の表彰は栄達、出世に関わっているというしくみの危険性、そうした現場からさまざまな意味でプレッシャーをかけられるであろう科捜研、また、DNA(型)鑑定という最新科学が実際の犯罪捜査に役立つという、科学者サイドの評価や実績も大いに関係してくる。事件に関わるそうした人たちの評価の前に、ややもすると事件の被害者遺族や大切な目撃証言などは隅においやられる。筆者は、マスコミに身をおきながら、被害者遺族や目撃者を探しあて取材して、捜査の中心線からはずれされていった過程を遡ろうとする。

捜査サイドがある見立てを行い、その線で証拠を集めていくのは、犯罪捜査のあり方として止むを得ないことかもしれない。そのために情報を取捨選択することも必要かもしれない。しかし、その捨てられた側の証言からきちんと見直すと、こういう言い方をしてはなんだが、記者という一民間人がたどりつくことができる結論、つまり、「菅家さんは犯人ではない」という結論にたどりつくことができるのだ。

なんでこんなことがわからなかったのか。それは、意外であり、残念であり、ショックだった。そこまで杜撰なのかと……。わたしは、雨の昼下がり、喫茶店で二時間足らずの滞在で一気に読んだのだが、もちろん、筆者の取材はそんなに簡単にすすんだものではない。紆余曲折、さまざまな苦悩や障害があってのことだろう。それにしても、後に、一民間人にわかることが、どうして当時の捜査員たちにわからなかったのか……、そこは真剣に反省されねばならない。なぜ、菅家さんの言葉にもっと真剣に耳を貸さなかったのか。そのことで事件の解決は遅れるかもしれないが、真犯人が逃れているということは、被害が繰り返されるということでもあるのだ。

本書は、さまざまな問題意識を刺激してくれる。

冤罪事件は後を絶たない。ひどい場合は操作側それも検事側が証拠を捏造することだってある……。たしかに、真犯人に捜査員が接していながら取り逃すことは悔しいし、恥ずかしいことだ。メンツもつぶれるから。しかしながら、無実の人が、間違って疑われ、有罪とされることなどはあってはならないことなのだ。私は死刑制度反対派ではないが、本書を読んで、死刑制度についても考えた。もちろん、死刑制度の有無にかかわらず、冤罪はあってはならないのだが、死刑執行後に、もう一度冤罪かどうかという視点で確認したいというケースもあるということを知ったのだ。死刑後では、本当に取り返しがつかない。

また、昨今のマスコミが、行政サイド、権力サイドの記者発表や公式広報を伝えるばかりであるとよく言われる。オリジナルな取材が少なくなり、発表を右から左へリライトするような報道であり。

疑わしきは被告人の利益……。それが原則であったはずだ。そんなことを言っていては、本当にズルい奴らを追い切れないかもしれない。わからないでもない……。実際、そうした割り切りがいろんなところで行われているだろう。許してはいけないが、理想は常に裏切られる、それもまた現実である。せめては、マスコミよ、もっと真実を見て、弱者の声を拾ってくれ。掘り起こし、語り継いでくれ。冤罪はあってはならない、しかし、万一冤罪が起きたなら、それを隠蔽してしまっては、さらに冤罪を生むことになってしまうのだ。

白日の下に晒し、反省すること。これが唯一、弱く、誤りやすい人間を正す道である。わたしは本書の最後にそう感じた。そして、著者のような記者には応援を惜しままい。

・それにしても、東日本大震災の余波がこんなところにも。

COMMENT



ごぶさたしています

2014-02-04-Tue-09:13
大須演芸場
悲しいことに
しめてしまわはったようです
なんとか
ふんばって欲しかったのですが
私一人の財力ではとてもじゃないが
救えない滞納家賃があったようです

しかし
閉鎖と判明してから連日満員だったようで
それも
なんだかなぁ

思います
私は1月の28日に
行ってきましたが
二階の踊り場付近で小さくなって見な、いかんくらい満員でした。トホホ
名古屋に行く
楽しみがひとつ減りました
トホホ。

Re: ごぶさたしています

2014-02-04-Tue-10:22
大須演芸場がなくなったのは悲しいことですが、
地震対策、防災などという観点で見ると、あのままで継続していくのは難しかったのではないかと思います。
かといって、耐震構造に改築、新築なんてことは、もっと難しいのでしょう。

単に存続すればいいというものではなく、
お客の安全を確保しながら存続するというのは、
この時期というタイミングはともかく、
この先難しかったのだろうなと思いました。

最後の興行に、わたしは行けませんでした。
行こうと思えば行けたのでしょうけれど、そういうふうに気持ちが動きませんでした。

閉店セールが賑わい、惜しむ声で盛り上がるのは、老舗スーパーなどでも同じです。
それまでの思い出を込めて、別れを惜しみ訪れる人が多くいらっしゃるのですね。

それも一つの愛なのでしょう。

まこちゃんさんの
ご浄財と背中を丸めた愛は、演者にも、劇場にも、席亭やスタッフに届いたことでしょう。

久しぶりのコメントありがごうございました。

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