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古典の日に、「正かな同人誌」の話をしよう。

2012-11-01-Thu
早いもので、もう十一月、今年もわずかに2ヶ月を残すばかりになりました。

さて、今日11月1日は古典の日です。「日本の古典文学を顕彰する記念日」ということになっておるようです。そういう日でもありますから、ちょっと、私が参加している同人誌の話を書きます。

私が参加しているの「正かな同人誌」というちょっと特殊な同人誌です。「同人誌」というからは、同じような考え、志向性、趣味、主義主張、思潮を持つ人たちのものというのが本来なのだと思います。この同人誌の理念は「正かなづかいは生きている」というものです。かなづかいについて、「新かなづかい」、「旧仮名遣い」などというふうに「新」「旧」という言葉を使ってしまうと、なんだか、歴史的仮名遣いは古臭い過去の仮名遣いのように思われ、今の時代に合わない古臭い仮名遣いであると考えられてしまいがちです。このままでは、古くて使えないと見捨てられそうです。

何歩か譲って、時代に合わなくなったというなら、ま、確かに戦後の国語政策、国語教育のためにそういう傾向はなくはないのですけれど、しかしながら、新しいものがいいもので、古いものは間違っているという観点だけでは、実は大事なことを見落としています。

それは、国語の歴史、つまり、言葉の歴史、由来、成り立ちのようなものです。

わたしは、普段は全く歴史的仮名遣いは使いませんけれど(読むことはあります)、正かなづかいを大切にしていこうという考えの人たち(「正かなクラスタ」などと呼ぶようですが)は、少なくとも言葉に関しては、強い関心を持っているし、知識も豊富で、真剣に向かい合おうとしています。

たとえば、「おばさん」と「おばあさん」という言葉に注目してみましょう。「新かな」だけで考えたら、この「お」の違いなんてことには、あるいは意識は及ばないでありましょう。

では、クイズ形式にしてみたらどうでしょう。あるいはこういう形にされると、気づく人もいらっしゃるかもしれません。

問:次の「お」のうち、仲間はずれはどれか。

 ア おばあさん イ おばさん ウ おかあさん エ おねえさん

いかがでしょうか?

文法的に、この「お」が「お菓子」や「お寿司」の「お(御)」と同じかどうかということに注目すれば、イの「おばさん」だけが異なることに気づきます。「お」を外して、常態にしたときに通じなくなるのです。合わせて、漢字表記を考えると、「御婆さん」または「御祖母さん」、「小母さん」または「叔母さん」「伯母さん」、「御母さん」、「御姉さん」となるので明らかです。

ところで、歴史的仮名遣いで書いてみます、「小母(叔母・伯母)」は「をば」と表記します。「小川」は「をがは」、「小野小町」は「をののこまち」です。「小」を「オ」と読むときの表記は「を」なのです。つまり、この問題の選択肢はこうなります。


 ア おばあさん イ をばさん ウ おかあさん エ おねえさん

現代かなづかいでは見えなくなってしまった日本語の姿を、歴史的仮名遣いは留めているのです。

そんなことどうだっていいではないか、今では同じ「オ」と読むのだからという意見も、それは理解できなくありません。そもそも現代仮名遣いはそういう発想で出来ていて、戦後我々はそういう発想で読み書きしているわけですから、そういう考えに陥りがちです。

しかし、歴史的仮名遣いは、「をばさん」と「おばあさん」とをかき分けることによって、それぞれの言葉の歴史や成り立ちを自然と知ることができるわけです。「歴史的仮名遣い」の「歴史的」とは、「歴史上使われていた、過去のもの」という意味合いなのでしょうけれど、逆にだからこそ「言葉の歴史をきちんと伝える仮名遣い」というふうにも解されるのですね。

発音と表記にズレが出てきて、たとえば四つ仮名(じぢずづ)をどう書き分けれるものかというようなことを日本人は長いこと混乱し、悩み、その解決のために、言葉の成り立ち、由来などをよく研究し、そこに根拠を求めようとしてきました。たとえば、「鼻血」は「はなぢ」なのか「はなじ」なのかという時は、もともと「血」だから「じ」でなくて「ぢ」だろうという考え方で、それはそのまんま現代仮名遣い採用されたわけなのです。発音が同じだからといって「はなじ」にしてしまってはいくらなんでもおかしいというわけですね。

「歴史的仮名遣い」のゆるぎない正しさというのはそこにあります。「正かなクラスタ」の人たちは、単に奇をてらうとか、知識をひけらかすためにしているわけでありません。言葉の歴史、成り立ちときちんと向き合っているのだと思っています。もちろん、彼らは言葉に関する意識だけが高いのでなく、よく勉強し知識も豊富です。

私自身は日常的には歴史的仮名遣いを全く使いませんが、わたしが「正かな同人誌」に参加している理由はここにあります。

その、正かな同人誌「正かなづかひ 理論と実践」の第3号が、11月の文フリ(文学フリマ、文学フリーマーケット)で発売になります。

20121029030012.jpg
→ はなごよみ:同人特設ページ
→ 歴史的仮名遣は生きてゐる - 「はなごよみ」公式ブログ

「第十五回文学フリマ」 開催概要
開催日 2012年11月18日(日)
開催時間 11:00~16:00→11:00~17:00に延長!
会 場 東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
→ 文学フリマ - 第十五回文学フリマ開催情報



もし、関心のある方は文学フリマに出向くなり、あるいは、花ごよみのサイトでお求めいただければと思います。



偉そうなことを書きましたが、今回は寄稿することを諦めていました。

「医療と健康」に関して半分書いたのですが、最後までまとめられませんでした。残念ながらと諦めかけていたときに、編集者の押井さんの「コラムかなにか短いものがあったら書いてほしい」みたいなTLに遭遇しました。コラムくらいならなんとかなるかと手を挙げました。コラムくらいなら、というのはちと不遜なものいいですが、ま、十一月のフリマならタイムリーな話題でいけそうだな、というのがあったのです。

これがそのコラム。コラムですので特に題はつけませんでした。

十一月一日は古典の日。「紫式部日記」寛弘五年十一月一日の記述に、藤原公任が式部に「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と語りかけたとあり、これが源氏物語の歴史上はじめての記録であることに由来する。その千年後が二〇〇八年にあたり、それを機に制定された。また十一月一日は萩原朔太郎の誕生日でもある。朔月朔日生まれの長男なので朔太郎と命名されたと聞いて以来忘れなくなった。高村光太郎と並ぶ口語自由詩の完成者と評価されるが、自らそれを捨てその後文語詩へと回帰した。口語の未熟さ、限界を知り文語表現に戻っていったのだ。昭和十七年没の朔太郎は現代かなづかいを知らない。古典にも造詣が深く、口語を文語にするほどにまで拘った朔太郎が存命であったなら、現代かなづかいで詩作をしたものか興味がある。書いてみる努力位したのではないか。あるいは役に立たんと見限る結果に至ったとしても。ちなみに、「朔日」の歴史的仮名遣は、「つきたち」のイ音便なので「ついたち」であり、「つひたち」と書くのは誤りである。(D)


意識して読まないとわかりませんが、これは、一見現代かなづかいの文章でありながら、歴史的仮名遣の約束からも外れていません。こういう、両方の約束に該当する仮名遣いを「広辞苑前文方式」と呼んでいます。言わずと知れた、岩波の国語辞典の前文がそういう趣向になっていることによります。

以前、小西甚一が「俳句の世界」という著作でそういう手法を用いた話をブログに載せましたが、正かな同人誌の創刊号ではその記事を広辞苑前文方式にリライトして載せてもらいました。

で、第四号は「歴史と文学」というテーマであると既に決定しているようですが、何か書きたいと思いながら、何をどうまとめていいものやら、全く自信がありませんです。


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