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芹沢けい介って天才じゃん!~岡崎市美術博物館「芹沢介展」

2012-03-25-Sun
日付が変わったのでもう昨日のことなのだけれど、岡崎市美術博物館に芹沢介展を見に行った。そして、少し、いや、かなり後悔した。ああ、どうしてももう少し早く見にこなかったのか。だって、この「芹沢介展」は、明日というか、日付が変わったので今日で閉幕してしまうのである。わたし個人にすれば、同じ展覧会に二度三度と足を運ぶことはめったにないことなので、見られればそれでいいのだけれど、ただ、この素晴らしさをブログで記事にして、わたしのブログを読んでくれた人が、そんなにすごいなら見てみたいと思ったところで、もう、展覧会は終わってしまっているのだ。ああ、それは、不幸なことである。その人にしても、展覧会のスタッフにしても、そして芹沢介にしても、もとより記事で紹介をしたわたしにしても、不幸なことなのだ。ああ、どうしてもっと早く見に来なかったのだろう、わたしは……。そう思った。

そもそも、なんで見に行かなかったのかというと、それは公私にわたりいろいろな理由があるが、芹沢介展に唆られなかったということももあるだろう。どこかで名前くらいは聞いていたが、そして、彼のデザインもおそらく何度も目にしていたのだろうが、だからと言ってそれを展覧会でも見てもな、と思っていたのだ。そこには、わたし自身の中にある。商業デザインよりも美術作品の方が見るべき価値があるという、言わば「偏見」があったからである。偏見と書いたが、わたしは今でもそうだと思っている。わたしが美術館に訪れて絵を見るのは、そこに美しい絵があるからではなくて、それが芸術家の書いた作品であるからだ。美しいものを美しく書くというのではなくて、作家がその素材をそのように表現したかった背景を想像し、そこに、自分自身との共通点を見出し、ああ、わたしだけでなくこの人もこういうことに思い煩ったのかと安心したいからなのだ。商業デザインにそういうことがあるはずがない(もちろんあったっていい。しかしそれは商業デザインでなく、それは芸術ということになるのだろう)。そう考えていたのだ(というか、芹沢介を見た今でもその考えは変わらない。






しかしである。そういう思いが、嬉しいことに裏切られることがある。商業デザインと簡単に断じてよいかわからないが、芹沢介の作品を単品でなくこうして展覧会で見わたすとき、「ああ芹沢介は天才だったんだ」とわたしは思った。

わたしが思い浮かべていたのは、枕草子のものづくしであり、それをパロディにした別役実のエッセイであった。この人は自ら楽しみ、その同じ楽しみを使う人、見る人と共有できるように「作品」を作っているということがよくわかった。、ただ美しくするためにデザインをするのではなく、自らも楽しみそして自分の「作品」を使ってくれる人たちを楽しませるために、よく考えて描いているということがよくわかった。わたしは早足で一周して、ぬくもりを感じた。そして幸せな気持ちになった。芹沢介の「作品」は、見る人を心の中から愉快に、温かく、幸福にする作品ばかりであったのだ。「信」とか、「天」とか、言葉自体が意義を持つもののなくはないが、多用されるモチーフとしては「いろは歌」と「春夏秋冬」の二つがあるだろう。

「いろは歌」自体は、弘法大師が作ったという伝説もあり、真言宗の宗歌にもなっていて仏教的な意味を読み取ることができないわくもないが、芹沢介にはそれはあまり関係しない。おそらく五十音図でもよかったであろう。ただ、なんとなく風情がないので、いろは歌の方が日本的であり、暖簾や屏風という日本の伝統的な調度にはぴったりとくる。五十音図よりもいくぶんぬくもりを感じさせるのだ。そういう素材を選んで、絵や色、デザイン(フォントとでもいうか)で味付けをするのである。それが、一言でいえば、心温まるのだ。愉快で幸福な気持ちになる。「春夏秋冬」もそうである。布文字を使った四本の掛け軸になったり、屏風になったり、曼荼羅図になったりするのだが、説教くささひゃ教訓じみた話、寓意などはほとんど感じられない。ただ、春夏秋冬という言葉から連想される素材が、おもしろく、愉快に、温かく、ぬくもりを持って配置されているのである。

わたしがそそられる、作家の問題意識とか苦悩みたいなものは、作品には感じられない。もちろん、職人としての作製の上での苦悩や問題意識はあったのだろうが、それは、作品のテーマとは全く関係がないように思われるのだ。

ああ、すばらしい。芹沢介は天才だわとわたしはしみじみと思った。芸術家は時に夭折した天才みたいなことを言われる場合があるが、芹沢介は逆だった。80歳を過ぎても制作意欲は衰えることなく活躍を続けたのである。そして、彼が生涯を通じて「作品」に込めてきたテーマは、「見る人の心を温かくすること」であり、「飽きられずに使い続けられること」であったのだろうということが、よくわかる。そういう展覧会であった。

柳宗悦(やなぎむねよし)という日本の「民芸」の父みたいな人がいるが、芹沢介はこの柳宗悦に出会い、「工芸の道」を読んで感銘を受け、染色工芸の道を志したのだと言う。柳宗悦は「工芸の美」ということを言ったのだが、それはすなわち、日常の道具は人に利便性を与えるだけでなく、幸福(「ぬくもり」とか、「爽快感」とか、「優雅さ」とかいう形でと思うけれど)を与えるという考え方だったのだろうと思う。そして、芹沢介は自分の「作品」で、その通りを実践し、やりとげたのだ。

もう一度いう、芹沢介は天才だわ。見ていると幸福になるのだも。愉快になるのだ。それでいて日本の伝統的美しさを忘れていないのだ。いったい、どこに屏風の中に屏風を描くなんてことを考えた屏風書きがいるものか。おもしろすぎるじゃないか。

ああ、どうしてわたしはもっと早くこの展覧会を見に行かなかったのかと、悔やみながら、会期があと1日となってしまった芹沢介展の記事を書くのである。ああ、なんとか寝る前にと思ったら、もうすぐ3時だ……。おやすみ~。

■□■□■□■□ NOTE ■□■□■□■□■□■□■□■□■
会期:2012年2月11日(土)~3月25日(日)
開館時間:10:00~17:00(*最終の入場は16:30まで)
観覧料:一般1,000円(800円)小中学生500円(400円)
主催:岡崎市美術博物館、中日新聞社
→ http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/exhibition/exhibition.html

芹沢介プチリンク集
静岡市立芹沢介美術館トップページ
芹沢けい介美術工芸館
柳宗悦と芹沢介 その1 - すもも画報
Yahoo 画像検索 ”芹沢介”
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