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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

映画:「家族ゲーム」を森田芳光を偲んで、見る。

2011-12-26-Mon
もう1週間になろうとしているが、森田芳光が亡くなった。
→ ■追悼・森田芳光さん 「個人の中から普遍性追求したライバル」大森一樹監督  - MSN産経ニュース

いつからか、映画を好んで見るようになったが、どの監督がどんな映画を作るかというような、監督や脚本を意識したことはあまりなく、ただおもしろそうなものを消費しているだけなので、「森田芳光」と言われてももちろん名前は聞いたことがあるが、代表作が思い浮かばない。かろうじて覚えているのは「模倣犯」で、森田監督は中居くんが嫌いなんだなと思ったことくらいである。せっかくの素晴らしい映画が、なんだか最後の爆発シーンで台無しになっているような気がしてならなかった……。あれは忘れようがない。逆にあれがなかったら、わたしが片端から消費する映画の一つに終わっていたかもしれないとも思わないでもないので、当時はともかく、今となってはアレはアレで正解なのかもしれない……。そんな気もする。……そうか! 「模倣犯」をもう一回見ないと……。今、「家族ゲーム」を見終わってレビューを書き始めて、気づいたことだった。


さて、森田監督の訃報に接して、これをきっかけにいくつか森田作品を見たいなと思っていたところ、こんなツイートに接した。


松田優作の代表作品はと聞かれたら、私は「家族ゲーム」「それから」「野獣死すべし」をあげたい。二つは森田芳光監督作品。監督の冥福を祈って皆さんに映画を見て欲しいです。
 → https://twitter.com/#!/MATSUDA_MIYUKI/status/149343684738035712

松田優作の未亡人熊谷美由紀が森田監督の訃報に触れ、夫優作の代表作のトップ3にあげたうちの2つが、森田芳光の「家族ゲーム」と「それから」だと言っているのだ。わたしは「野獣死すべし」とか「蘇る金狼」、あるいは「探偵物語」あたりを思い浮かべていたんだけれど、「家族ゲーム」だったかと、ま、わたしは次はこれを見たいと思って、クリスマスの日にレンタルして来たら、なんt、その夜のBSプレミアムでやっていた……。





ネタバレはなしがうちのレビューの方針なのだけれど、テーマについては書いてしまう。

まず、なんというか、高校受験は必要だと思っていながら、なかなかヤル気になれないでいる中学生シゲユキ。主人公の一人だ。彼は受験の前に解決して置かなければならない悩みを抱えていて、それどころではないのだ。それはたとえばある日の「夕暮れ」。いじめ問題と言うか、友達とのトラブルなんだけれど、同時に、それに気づいてくれずない家族の問題でもある。

結果を出すことばかり求める父親、子どもの方を見ているようで実は夫の方しか見ていない母親、そして、同じ環境に育って、同じ苦脳を知っているはずなのに、やはり自分がそこから逃げ出すことしか考えていない兄など、目前の受験とその前の悩みにもがいているシゲユキに手を差し伸べてくれる家族はいないのであった。

とにかくシゲユキをなんとかしなければならないというわけで、今まで幾人かの家庭教師があてがわれ、成果を出せずに去っていった。空疎で、上辺だけの家族関係に嫌気がさしたというよりは、おそらくどの家庭教師も、同じく、差し障りのない、通り一遍の付き合いをした、言わばビジネスライクというか、バイト感覚だったのだろう。シゲユキを伸ばすこともできなかったし、シゲユキを救うこともできなかった。受験の成果を出すには、これはシゲユキに限らないのだが、抱えている悩みを解決というか、共有するくらいのことは必要だったのだ。そもそもそれは、家族の役割であるはずなのかもしれないが……。

「……であるはずなのかもしれない」と書いたのは、不幸にして、わたしの育った家族はどちらかと言うと、この映画のような繋がりしかない家族だった。、違うのは、田舎だったので、競争もほどほどだったし、わたしも、悩みを抱えたままでもほどほどのところに進学できたとうことだろう。そして同時に、若者らしく「自分探し」にも悩んでいた。

大学を出たけれど就職がないという時代とは違って、とりあえず勉強しておけば、楽はできないかもしれないけれど、それなりに安定した暮らしは保証されている……そういう幻想が役立った時代だった。もちろん、いろんな形で不況もあったが、これほどにまで就職も悪くなかったし。だから、本来的に言えば家族とは子どもの悩みに正面から向かい合ってくれるはずなのかもしれないけれど、そうでなくたって、なんとかやり過ごして生きて来られたのだ。そして……、だいたい、そもそもどの家庭もそんなものだろうと思っていたのだ。

それが、いつからか、子どもがそんなに苦しんでいるなら家族が向き合ってやるのが理想だと、そうでないのは家庭が機能していない、壊れれているのだと言われるようになった。ま、それはそうだろう。今でも一応は考えてはいるけれど、なんだろう、そんな理想の押し付けは迷惑だというのも同時に感じてもいる。

指摘する専門家たちのご家庭は、きっとそうでないのだろうけれど、うちがそうだと思い当たる家庭の人はどうしたらいいのか。専門家は、「だから、そういう家庭にならないように、親は、こういう点に注意しましょう」というふうにいうけれど、「だから、子どもたちは○○しましょう」というふうにはならない……。けっきょくこれは子どもにとってさらなる不幸なのだ。どうも、自分の家庭はうまく機能していないのじゃないかと、なんとなく感じているだけのところに、いきなり専門家から「そうだ」とお墨付きをもらうのだから。なんの解決策も提示されないままだ。

それくらいなら、もう少し上手に言ってくれないないものかな。「子どもの悩みをわかって支えてくれる、経済的にも心理的にもゆとりのある、父と母のいる温かい家庭」はすばらしいけれど、それは一つの理想でしかないよと。それは絵に描いた餅というか、テレビのCMの世界と言うか、要するにステレオタイプの幸福な家庭なのだと。ま、それはそれで薄ら寒い世界だとさえ思うのだけれど、そこを議論しても始まらないが、ま、要するに、森田芳光は、この映画で、当時どこにでもころがっていた、希薄になっている家族関係を描いたわけなのだ。

ただ、幾分実際と違ったのは、一人の家庭教師(松田優作)の登場である。その、奇妙なというかある意味普通の家族のところに来た、奇妙な家庭教師であった。教育的信念と言うよりは、父親のぶら下げたボーナスのためだと多分に思うのだが、シゲユキの勉強だけでなく、心の世界や悩みを解決するような形で、また、意味深な「豆乳」をごちそうになりながら、シゲユキを立ち直らせ、家族の希望の高校に入れていくわけである。

そして問題のエンディング。食卓のシーンである。これが、実は「愉快犯」の爆発シーンと被るのだ。爆発である。破壊といってもいい。松田優作が破壊したものは、まさに、「家族ゲーム」「家族ごっこ」だったのだろう。本音を言わず(あるいは「言わせず」)、抑圧的で薄っぺらな、上辺だけの家族……。その安定をよしとしている家族である。

子どもが幼いうちはそれでも回っていくだろう。子どもが成長し、自分の世界を求めて歩み出す時、それまでの「家族ごっこ」は終わるのである。シゲユキはシゲユキで自分の道を歩き出し、兄も兄で自立していく。その時、家族に何が残るのか……。二人の自立を認め、巣立ちを喜べる両親の姿が果たしてあるのだろうか……。

わたしは「家族ゲーム」を、そんな、子どもの自立、親離れ、子離れの話として見た。

若干蛇足で説教臭くなるが、「子育て」の「子」の後に助詞が書かれていないので、時々勘違いする人がいる。わたしの母がそうだったのだが、「子育て」を「いい子に育てる」という意味でとらえていたのだ。これは間違っている。あくまで「子どもを育てる」という意味である。もし、ゴールを示す「に」をどうして使いたいなら、「一人前の人に、子どもを育てる」ということだろう。

映画の中で、それがわかっていたのは、親でも先生でもなく、家庭教師ってことに、一応はなるのだろうけど、ただ、どこまでわかっていたのか、単なる結果オーライじゃないかとも思えてしまうけれど。だって、彼も、典型的な現代人なのだから。

謹んで、森田芳光監督へ哀悼の意を捧げます。

COMMENT



2012-02-29-Wed-05:30
模倣犯の頭爆発シーンは家族ゲームの食卓破壊シーンだったのかも…。

✩雨止みさん

2012-02-29-Wed-08:05
二つを並べればそういう見方もありますが、映像の仕方が違うように感じました。

というか、作品なのですから、作品の全体からラストのシーンを考えることが必要なんでしょうね。

食卓の破壊シーンは最初は家庭教師が、次は子どもたちが、そして家族全体へとすすんでいったように思います。家族を維持するのはゲームみたいなもの。ルールがあるし、テーブルひっくりしたらゲーム盤ごとひっくり返る、構成はそのルールを窮屈に感じながら我慢しているのですが、そんなものは壊してしまえ、壊すことが必要になるときもある、特に成長の過程ではというメッセージも読み取れますね。

それに対して、「模倣犯」の爆発シーンは、劇場型犯罪の最後を公開の自爆で終わるというものだとは思います。意味的には。しかし、ながら、それをどういうふうに映すか、映像にするかというのは、監督の考えですよね。全体的にシリアスな感じですすんできたなかの、あの爆発シーンは、わたしには違和感があり、その違和感で、ひどく統一性を欠くものに感じられました。それを作品的に吟味するのがいいのでしょうが、わたしはそんなことをしたくないほど小馬鹿なされてるような感覚を持ちました。その違和感こそが監督の意味と言えば言えるかもしれませんけれど。

短いながら、いいコメントありがとうございました。

2014-05-15-Thu-21:47
「模倣犯」て森田さん原作者との対談で「会心の出来」て話してたのを思い出します。ヒットしたそうですし力強い画面だと思ったのですが私はストーリーが分からなかったです。中居君と山崎努さんがベンチで会話するシーンで背景が動く場面は秀逸だと思いました(笑)。

★雨止みさん

2014-05-15-Thu-23:23
いらっさいまし。

そうなんですか、森田監督は模倣犯を会心のできだと……。

たしか、「模倣犯」は劇場で見て、「森田監督は中居くんが嫌いなんだな」というのが、当時のわたしの感想だと覚えています。記事があると重います。

山崎努の豆腐屋(だったと思うけど)でのシーンは印象に深いですとてもリアルな感じです。

中居くんと山崎努の絡みよりも、中居くんと津田寛治がアジトあたりで対話するときの殺伐とした感じが、不気味さというか、無機的な二人の心境をよく描写してると感じました。

それに対して、最後の爆発シーンが、リアリティに欠け、一種悪ふざけのように思われたのでした。ま、それこそが模倣犯の感覚だというのであればそうなのかもしれませんが、ま、そこで抱いたのは、「監督は中居くんが嫌いなんだな」というわたしの感想なんです。

なんというか、飛躍というか、ぶち壊しみたく感じました。

2014-05-16-Fri-10:21
出人さんコメント返しありがとうございました。中居君本作の後ドラマ「砂の器」、映画「私は貝になりたい」とか暗い作品に出てたのは「模倣~」での暗い役の演技が世間的に認められたのかも…。私は本作以降の森田さんの映画は「僕達急行A列車で行こう」を劇場で観ただけなのですがこちらも良作でした。

★雨止みさん

2014-05-16-Fri-11:21
コメントありがとうございます。

中居くんは、竹内結子とした「白い影」をよく覚えています。ま、竹内結子が、めっちゃかわいいのですけど!

「砂の器」も見ました。音楽ヨカッタですね。「私は貝に……」は見てません。中居くんについては、特にファンでもないですんで。

お話を聞いて、「A列車…」を見てみようと思います。「模倣犯」は劇場でも、テレビでも見たと思うけど、スクリーンで見た豆腐屋から見る東京の街、というか、空はとっても印象に残っています。

ま、最後の爆発もよく覚えているのは、逆言えば「成功」なのかもしれません。なんだろ、あれでいいの? と印象に残らせるという意味で。

ひさしぶりに、コメントらしいコメントのやりとりができて嬉しいです。

約2ヶ月、スパムコメント、スパムトラバと戦ってばかりでしたので。

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