David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

スポンサーサイト

-----------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「村山槐多の全貌」展~岡崎市美術博物館

2011-12-18-Sun
岡崎で村山槐多(かいた)の大きな展覧会をしています。

「村山槐多の全貌展」です。

ご存知でしょうか?

最近の、本をあまりよまなくなった人たちはあまり知らないかもしれないと思うのですが、なんというか、「おたく」という言葉が流行する前のおたくみたいな人たちは必ず「名前くらいは知っている」ような……とでもいうか、読書や詩や版画などを少し踏み込んでしている人たちは「名前くらいは聞いたことがある、しかし、その作品にはあんまり触れていない、いや、触れようとしてもなかなか出くわさない」というような作家(というより画家?)です。

わたしも知ったようなことを書いていますが、名前くらいしかほとんど知りませんでした。大学時代に、友人の一人が「わたしの知り合いがムラヤマカイタが好きと言っていたが、出人さんは知ってる?」と聞かれたことを思い出す程度です。その時、「ムラヤマカイタ」と聞いて、「村山槐多」の字を想起することができなかったことを思い出します。正直そのとき槐多の絵の一つも見たことはなかったと思います。ただ、当時乱歩全集を読みかじっていたので、たぶん槐多の名前はどこかにひっかかっていたはずなのですが。江戸川乱歩がどんなに槐多の「二少年図」を賞賛しようが(購入して自室に飾っていたそうです)、実際の絵をみたことがなければ、なかなか記憶にとどまらないのですね。こちらに引用のあるブログを見つけましたのでリンクします。
→ 偏在する乱歩・A‐I→乱歩が愛した村山槐多の「二少年図」 - 飾釦

たとえば、あの江戸川乱歩によってこのように愛されて語られた時、槐多の「二少年図」は伝説となります。いったい、どんな作品だろうと……。ま、今回の展示でそれが見られます。また、槐多のデスマスクも展示されています。たとえば、こういうところから槐多に近づく人も少なくなかったと思います。だって、あの江戸川乱歩ですから。

こう書くと画家という感じなんですが、小説も書いていまして、「悪魔の舌」は近代の怪奇小説の代表として、いろんな作品集に採られています。わたしもこれは読んだことがあります。今では青空文庫で読まれますね。わたしも舌は長い方で、学生時代は二枚舌を洒落て、「俺の舌は二枚分ある」などとうそぶいていたことがありますけれど、ま、ニンニクは好きで今日も食べましたけれど、人肉を食べたいと思ったことはありません(って、書くまでないですよね)。
→ 青空文庫:村山槐多 悪魔の舌 村山槐多 悪魔の舌

こんな怪奇で幻想的な小説を書いた村山槐多ですが、どっちかというと、作家の側面よりも画家としての方が有名だったようなんです。どうも、槐多を認めて世に出したのは、詩人であり彫刻家であった高村光太郎ようです。当時流行した「デカダンス」という言葉があったのですが、ま、槐多はまさに、このデカダンスを生きた芸術家だったようです。何か通じるところがあったんでしょうか。

□■□■ NOTE □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
開催場所 岡崎市美術博物館(マインドスケープ・ミュージアム)
開催期間 2011/12/03~2012/01/29(月曜日休館(祝日の場合はその翌平日)、年末年始休館有)
入場料:一般1000円、小中学生500円
※ ただし、「かいた」さんは無料招待だそうです。確認できるものが必要。詳しくは下ページを。
参照 → 槐多展特設ページ
                □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■




今回岡崎で展覧会が開かれた背景には、従来、槐多の出身地について横浜という定説があったのですが、槐多の母の出身地である岡崎で生まれ、岡崎市役所に出生届が出されていたことが確認され、「村山槐多は岡崎出身」ということが証明されたということがあります。

岡崎市美術博物館の村松学芸員が槐多岡崎誕生説を発表したのです。槐多の父谷助が「槐多の出生当時に教師をしていた横浜市神奈川町生まれが定説」となっていたのですが、どうやら、槐多の母は従兄弟の家(槐多の母の姉の嫁ぎ先)で出産に備えていたのだろうということです。

 村松学芸員が、名古屋市などに暮らす親族への聞き取りを重ねた結果、谷助と母たまは槐多が生まれる2週間前に入籍し、岡崎市花崗町に本籍を置いたことが分かった。槐多の出生届が岡崎市に出されていたことも市役所に残る資料で確認できた。

 谷助夫婦はその後、横浜や高知など全国を転々とした。

 花崗町の土地は当時、たまの姉の嫁ぎ先である石材の豪商嶺田家が所有。村松学芸員は「裕福だった嶺田家の援助を受け、たまは故郷で出産に備えたのだろう」と推測する。
→ 中日新聞:「画家村山槐多は岡崎出身」 「横浜生まれ」定説覆す:愛知(CHUNICHI Web)


槐多の父が横浜で教師をしていたのは槐多が生まれたあとということのようですね。生まれたときは、岡崎(愛知)の槐多の母の姉の嫁ぎ先である嶺田家に援助を受けていたということです。その後、横浜は高知などに転居していったと。

こういう槐多の研究を村松学芸員は続けていて、槐多の「幻の大作」についてのミステリーの謎解きも、今回も集中して展示されています。

1982年に発見された当時は、「村山槐多の新発見の大作」と言われ、当時の展覧会のメインを飾った「日曜の遊び」という作品があるのですが、展覧会が終わると間もなく、その下書きデッサンとも言える作品が、槐多の従兄弟にあたる画家で、創作版画の草分け的人物となった山本鼎の美術館に存在したことが判明し、槐多の作ではなく山本鼎の作ということになって、そんな味噌がついたものだから、その後陽の目を見なくなり、「幻の大作」などと言われていたそうです。

この問題作について、村松学芸員は、カンバスのすみに書かれた文字や、絵の具の種類、デッサンなどについて、槐多と山本鼎とを比較して、構図やアイデアは山本鼎だが、実際の作品の制作は槐多だと結論づけます。つまり、これは合作というか、共作だ……。そういう結論に至る証拠が、展覧会の一室を使って展示されています。犯罪捜査のように言ってはあれですけれど、まさに、一枚の絵に関わるミステリーの証拠調べをしているような感じです。時間をかけてじっくりと付き合いたくなります。

こうしたき意義深い取り組み加えて、展示作品も多いので、もし、お越しになるおりには、ぜひ、予定時間をゆったりととって出かけていかれることをお勧めします。


COMMENT



コメントの投稿












※スパム対策のため、半角英数字のみのコメントは禁止設定してあります。
また、半角「-」の5文字以上連続もコメント内に書き込めません。



秘密にする

TRACKBACK

※この記事のトラックバックURL(コピーしてお使い下さい)
  
http://smartass.blog10.fc2.com/tb.php/2685-df91e0df

※管理人が承認したトラックバックのみ表示します(12時間以内には表示処理をするつもりです)。
HOME

★楽天トラベル☆彡

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。