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映画「ベルセルク」黄金時代はコピーか……。

2011-11-25-Fri
押井守監督の「今のアニメはみなコピー」発言が話題になっているようです。

朝日新聞は2011年11月21日付けの電子版コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは

「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」

と語ったという。つまり、制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった、という批判だ。
 →  「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース 「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース


最近のアニメはほとんで見ていないので、今のアニメが押井監督の言う通りなのか、それほどでもないのかそういうことはわかりません。ただ、「コピーばかりで表現とは言えない」という言い方は、ま、アニメに限ったことではなくて、小説でも言われてきたことだと思います。流石に「表現ではない」とは言われなかったけれど、「小説とは何か?」というようなかたちで。詩でも同じです。つまり、本質的に言うと、芸術家か職人かってことですよね。消費者に迎合することなく、自分のテーマ性を求めて作品を作るかということだ。それは小説家たちも悩んできたし、ミュージシャンたちも悩んできたことなんですね。自分の作品を書くか、売れるやつを書くかって。

ことはアニメなのでよけいにそうなんでしょうね。ちと違いますが、テレビドラマでもそうでしょう。本当に映像作品が作りたければ、テレビドラマでなくて映画を作ればいいわけで、そういう中でのテレビドラマに、なんというか、大衆迎合でなく芸術性
を求めるかどうかということなんです。アニメもテレビドラマに近いポジションで消費されていますからね。

で、「火曜サスペンス劇場」などの二時間枠の推理物ドラマが流行った頃、もちろん全部ではないのですけれど、まさにこういう現象の非常にわかりやすい例があったと思うのです。どこのテレビ局の二時間サスペンスみても、なんとなく似たり寄ったりの展開なんです。そしてそれを飽きもせず視聴者は喜んで見てたのではないかと思います。押井監督がいうような「おたく」ではありません。「普通」の視聴者です。そして、それらが普通に視聴率はとれたんでしょうね。「今のアニメ」も同じような感じで制作されているのではないかと、ま、押井監督はおっしゃるのではいでしょうか。ただ、サスペンスドラマを見てるのは「おたく」のような一部の限られた人ではなくて、一般の人だったと思います。とはいえ、サスペンスドラマそのものが、何か、流行りものの流れに乗っかっただけのようなものってところがあるのかもしれませんね。

→ 映画公式サイト



じゃ、押井監督はどういうことをアニメに望むのか? という話でが、ま、論理的には「コピー」でなく「表現」であれということなるだろうとは思いますが、記事にある「アニマゲ丼」を見てみると、上のJ-Castの記事ってのは、押井監督の話を直接取材したものではなく、押井監督の抗議を聴いた小原厚の文章を、J-Castの記者が解釈したものということがわかります。所謂「孫引き」みたいなものだったのですね。
 → asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能 asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

小原篤の記事を読む限りは、押井監督の言いたかったのは、平たく言えば、「アニメ監督のできることはもっと大きいにも関わらず、目の前の消費者に、とりあえず売れることだけを考えているように見える」ということになると思います。コピーがいけないということではなくて、このまんまコピーのループに留まっていてはいけないというエールだと、ま、読んだのですけれど。

さて、映画作成中の「ベルセルク」です。

テレビアニメもあったのですが、ここでは原作の話になってしまうのですが、この押井監督の視点から「ベルセルク」の原作について照らしてみようと思いました。

主人公のガッツですが、ルックスというかキャラは、コピーっぽいところはなくはありません。隻眼隻腕の侍は、すでに日本の小説、映画に存在しました。丹下左膳です。また、義手の側に強烈な破壊力を持つ銃を仕込んでいるヒーローもいます。コブラスペース・コブラ)です。ガッツ自身がすでにして、コピーのようです。
 
映画「ベルセルク」の黄金時代篇は、若きガッツがいかにして隻眼隻腕となったか、言わば、「ベルセルクビギンズ」なんですね。この「黄金時代(ストーリーの中では「蝕」以前のこと)」以後の展開は、なんというか、まさにこのコピーのループに落ち込んでしまっているような気がしてなりません。いろんなエピソードからなるのですが、ことに近年の少女魔法使いが出てきたり、海賊が出てきたりするあたりは、「ハリー・ポッター」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」の人気にあやかろうとしているとさえ感じられて、なんというか、漫然としたストーリー展開をしているように思えてなりません。それは、「水戸黄門」や「ゴルゴ13」と大きく変わりません。少しずつストーリーの展開はあるものの、要するに、悪魔のように強い敵が出てきて、ガッツとその仲間が苦労の末ぶっ倒すわけですからね。

ところが、「黄金時代」は違うとわたしは思います。嫌、思うのはわたしだけで、実際のところよくある話かもしれませんよ、信頼を寄せていたボスが、部下を利用して自分の野望を成し遂げることしか考えていなかったという、そのボスの姿に気づき、裏切られたと反逆を始めるというのは、けっこうあるストーリーかもしれません。今、ハマって見ている韓国ドラマ「IRIS(アイリス)」もよく似た設定があるにはあります。

しかしながら、そうであったとしても、それを補って余りある事情と意外性が、ガッツにもボスであるグリフィスにもあるわけですね。そして、「蝕」という驚愕の事態……。わたしは、コピー性があったとしても、それを感じさせない迫力と、主人公たちの置かれた立場のリアル、そして意外性がガッツにも、グリフィスにも、キャスカにもあると思うのですね。

先日、試写会があったそうです。「原作踏襲しつつ、うお!映画!!って出来になってるのがすごい」(→@ritsugenjiのツイート)とツイートしてる人がいました。その人は、「9割試写会だがおもしろかった」と書いてました(→@ritsugenjiのツイート)とも。少なくとも「黄金時代篇」はそういえるべき要素を持っていると思います。

ぜひ、押井監督に見てもらって、どう評価するかを聞いてみたいものだと思いました。


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