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一周忌を前に~「父の死」をめぐる言葉

2011-04-29-Fri
先日、知り合いのご尊父の葬儀に参列することがありました。

二人姉妹の長女で、二人とも結婚して姓が変わっているので、建前上の喪主は、しっかりしているものの高齢な故人の奥様となっていたのですが、葬儀でお見受けしたところ、実質的には葬儀全般をご姉妹で仕切られ、会葬のお礼などの喪主のあいさつも長女である知人がしていました。

半年ほど前、脳梗塞に倒れ、入院もなさっていました。二月ほど前に、「胃瘻(→胃ろう)」についての意見を求められたことがあり、「うちは癌だったし、父が無駄な延命はいらないという考え方でもあったので、あまり考えたことはないが、医師の言うとおりにするしかないでしょう」と答えると、「そうすると家に帰ってこられなくなるから、他の医者を探したい」とおっしゃっていたのを記憶しています。彼女はもちろん自分の考えのとおりにしたわけです。

その判断に正解不正解を問うことはないと思います。当初担当されていた医者は、医学的には、あるいは「胃瘻をしていたらもっとコントロールできたかもしれない」というような仮説を持つかもしれません。手を尽くすというやつです。それは医学的技術的なことであって、人生はそういう単純なものではありません。心を尽くして出された本人やご家族の判断を尊重するしかないと思います。

そんな背景を知って出た葬儀。彼女の親族代表のあいさつを聞きました。会葬の礼を述べ、故人生前の思い出や近況を述べる中に、大らかで強い父親像が思い浮かびました。「こんなに突然亡くなるとは思ってもみなかった」ということを涙に咽びながらにおっしゃられたのです。そのとき、私自身が喪主をした父の葬儀のことを思い出しました。わたしはこんなに涙が出なかったし、こんな形での昂ぶりはもなかったなと思ったのです。

父の葬儀をしてから、親戚や知人の家の葬儀に参列すること5回。わたしは喪主のあいさつ(会葬のお礼)を毎回聞いているわけですが、たぶん、わたしのが一番長かったと思います。ただ、父のしたたくさんのことをたくさんしゃべりたいってことはあって、同時に、長くなりすぎてはいかんという気持ちもどこかにあったということを覚えています。ただ、正直に書くと、自分で時間をセーブしたので、言い足りないという不満が残っていたのかもしれないと感じていたのです。もっと、もっと時間をかけて話さなければ、あんなふうに涙が流せないのではないかと、ずっと考えていたのわけです。

だって、わたしは、正直なところ、父が亡くなっても、思ったほど悲しくないんですから。



思い出すのは、中学の卒業式で、予行練習をみっちりやったおかげで、卒業式当日はかえって白けてしまって、感動のかの字もないって記憶だったりするのですが、なんというか、「卒業するのは別れ、別れは寂しい」だとか、「親の死は悲しい」という、そういう観念的な感覚というのを、一種の訓練によって否定していて、逆に、「人が死ぬって悲しいっていうけど、どのくらいのものなの」っていう、なんというか、妙に引いた感覚みたいのがあったりしたんですね。

それでも、祖母が亡くなったときのことはよく覚えていて、お通夜はずっと起きていようと思っていたし、親戚がみんな帰って静かになった部屋で、一人で号泣したりしたんだけれど、父のときは、全然そんなことがない。逆に、父が癌とわかって、高齢ということもあるので、もうそう長くもないだろうと思ったときの方が(実際は宣告から2年以上生きてましたが)、泣けたりしたし、「胃ろう」はしなかったけれど、化学療法(抗がん剤)だの、放射線療法だのを選択したり、決断したりするのも辛かったし、歩けていたものが、杖になり、車椅子になりと弱っていくのも、不安だったり悲しかったしもして、看病というか、闘病の方が何倍もしんどかったので、ひょっとしたら、そういう生活から解放されたという安堵感なのかなと考えたりしていたのです(安堵感ってなら、もう、ぼちぼち10ヶ月過ぎたのですから、そろそろ落ち着いてきて、そろそろじわじわきてもよさそうなんですけど)。

2年余り、わたしは両親とともに癌と戦いました。闘病生活の中で、それまで不義理にしていた父との溝をいくらか埋めることができたと思っています。もちろん、それは父にしたら不満でしたでしょうけれど。

喪主あいさつを聞きながら、彼女のお父上の場合は倒れて半年です。病状や容態のことはわたしにはわかりませんが、彼女の語る、知的で、強く、大らかなイメージからすると、お父様はもっと強いと信じていらっしゃたんだろうと思います。それは若かったころのお父さんのイメージもあるでしょう。娘からみる父親像の一種の憧れみたいなものを込められていたかもしれません。看病できたできないではなく、またその期間の長短ではなくて、なんdねしょう、ちょっと言葉にするとアレですけど、彼女には、自分の父親はこんなことでは負けないわよみたいな、信頼感というか、自負というのか、なんかそんな感じを持っていらっしゃったという気がしたんです。

癌で徐々に衰弱していった父の時でさえ、わたしは混乱したのですから、予想外の彼女が混乱は無理はありません。でも、わたしはそんな彼女のところに言って、早く教えてあげたいことがありました。

父を亡くし、母をグループホームにあずけて、少しずつ、父の遺品というか、生活に使っていたものや、病中に記録していたもの整理しているときのことです。別に父の姿が思い出されるのでも、声が聞こえるわけでもないのですが、なんだか温かな気持ちがしてくるのです。そいつを捨てようとすると、以前なら、「もったいない」「捨てんでもいい」というような声がどこからか聞こえてきてできなかったのですが、最近やっとそれが聞こえなくなりました。それでもまったく消えてしまったわけではなくて、今ではむしろいい具合にそばにいて、そっと見守ってくれているような気がしてきたのです。陳腐な言い回しですが、「心の中で生きている」ってのはこういうことなのかなって、ふっと思うような時がきたのです。

そういう時がきっときますよ。わたしはそのことを早く彼女の告げてあげたいと思ったのです。



あ、書いてて今気づいた。わたしが父のしたたくさんのことを、みんなの前でしゃべりたかったのは、父を褒めてやりたかったんじゃないかって。あ、たぶんそう。素直に父のことを褒めたことがなかったので。あ、ちょっと、泣けてきた……w。



それと、今度また機会があったら書くかもしれないけど、うちは父が寺の世話人とかしていたし、母も御詠歌サークルみたいのに入っていたので、それはお寺さんもアドバイスしてくれて、仏教中心でやったのだけれど、最初から最後まで宗教の儀式みたいなことって必要ないかもと、ふっと思った。わたしの両親やわたしの実家がある地域ではおよそ考えられないことだけど、もっと自由に葬儀をアレンジできるんだと、ふっと思わせてくれようなお葬式だった。別にそれほど斬新ではなかったけれど、そこでの引導渡しは流れとしてちょっとって気さえした。逆に、仏教側では本筋に戻したかったのかもしれないけど。

でも、ま、個性的な葬式はそれは故人の意志と同時に遺族側の問題だったりする。余裕がないとしたくてもできない。こういう言い方はなんだけれど、天寿全うなら、なんというか、オーソドックスな式でいいけれど、故人が若くて、まだ、生き生きと活動してていい年代なんてときには、そういう個性的な式もありなのかななんて考えた。

生前葬の意義がわかった気がした。

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