David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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再び、ずいぶんと時が流れました

2011-03-22-Tue
ご無沙汰しています。

先日、父を亡くした記事を書きましたが、わたしにはもう一つの難関が残りました。いや、ほかにも片付けねばならないことが、山のようにあります。愛車をちょっと不慣れな車庫にこすり付けて板金にもっていかねばならないとか、ちと、愛機(PC)が調子悪いので、そろそろWin7機を購入せねばならないんじゃないかとか、そういったことも合わせると、もう、ほんと山のようにあります。もちろん、仕事もこなさねばなりませんし。

しかし、わたしには、大きな難関が残りました。

それは、父の病気の発見と同時期にというか、入退院を繰り返していた父が発見した母の異常でした。ま、物語的に書けばドラマチックになるのですが、そんな時間的なゆとりがないので、簡単に。あの時の父の言葉を今も覚えています。

「やい、お母ぁちゃんがちょっと変だぞ」

それは、ある秋の夜、母が裸ん坊で湯船のヘリに座ったまま呼んでも出て来ないという現象でした。

「おい、何をしとるんだ、風邪ひくぞ」

父は母を叱りつけてその夜はおさまったのですが、父に言わせると、時々変なことがあると言うのでした。しばらくして、母を脳外科に連れていき、CTによる検査をしたのでした。--あ、今、思い出しましたが、母がCTを撮られているあいだ、わたしは父とうなぎを食べに行ったのでした。うまかったなぁ、あのうなぎ……。そう言えば父はうな重が好きで(酒の方がもっと好きでしたが、ま、晩年は酒量もめっきりと落ちていました)、退院祝いもうなぎ屋でした。




診断は、アルツハイマー型認知症のごく初期の段階でした。アリセプトという薬を処方してもらったのですが……、ま、当時のわたしたち家族には、父の肺癌の方が母の認知症よりも、何倍も緊急的で、何倍も大変な病気でした。そして、容易に想像されるのですが、父の入退院、症状の悪化、そして死への過程は、母にとって大きなストレスであり、認知症にもよくなかったと思います。わたしの場合も、徐々に悪化していくのが目に見える父の面倒を見るのには必死でしたが、同時にその父を案じつつ看病している、心身ともに疲弊する母の症状にまで思いやるゆとりなど、ま、なかったのですね。

6月に父を亡くしてからの10ヶ月足らず、今度は、母の認知症との「闘い」が始まりました。ま、認知症といってもピンからキリまで……という表現は病気の場合は不適切ですね、母は幸いまだ軽い方で、主に記憶に関して障害があるくらいです。時間というか、日にちの感覚がなくなり、また、伝言みたいなものが恐ろしく苦手になります。買い物にいくと、いつも、豆腐と玉子と牛乳、あんぱんばかりを買ってきます。あと、麩。麩は腐らないし、そう使わないので、どんどんたまっていきます……。何かの寄り合いや会合があるとき、どうしても「欠席」の返事をするということになるのですが、その電話を何度もかけてしまいまうのです。

母は、自分が認知症になっていることを周りの人に知られるのを嫌がりましたけれど、正直、関係する多くの人に言わないでおくと、どんな迷惑がかかるかわからないと思い、関係する相手にはそのたびに、「実は、記憶がちょっとダメな病気で」と婉曲的に言うのですが、一見すると、健康で、表情もしっかりしているので、冗談かなんかだと思われて、「みんなそうだよ~」くらいの気休めとも自嘲ともつかぬ言葉が返ってくるのでした。

そんなこんなで悪戦苦闘しているうちに、ま、わたしの生活もどんどん崩れていき、健康にも不安が出てきて、何より、母に余裕をもって向き合えなくなってくるのでした。限界という言葉をたやすく口にできませんので、ま、「一つの限界」というように言わせてもらいましょう。わたしの心に余裕がなくなることは、わたし自身にとってはもちろん、また、母の病気にとってもいいことではありませんでした。

もう1年以上前のことですが、父が車椅子の生活を始めたころから、入浴の介助を主な名目にデイ・サービスを利用していました。母の認知症が判明すると、夫婦二人でのデイ・サービス通いが始まっていましたが、当時から、父の死後はとても不安であることを、わたしはケア・マネージャーに相談していました。ケア・マネージャーはわたしの状況をよく理解してくれていて、いくつかプランを提示してくれていました。

そんな中に「グループホームへの入所」という案もありました。新設の計画があるというのです。

グループホームの存在や概略をテレビなどで見聞きして知ってはいたのですが、1年の間に、父を亡くし、母までも去ってしまうようで、内心大変動揺しました。「親を預ける」「まだ見られるのに……」「姥捨て山」。さまざまな言葉も思い浮かび、苦しめました。一方で、グループホームは人気で順番待ちだから、(チャンスを逃すと)入りたいときに入れないとも言われていました。

ま、そうした、どろどろの、先の見えない闇の中をもがき苦しみながら、入所の決意をし、先日、母にグループホームに入ってももらいました。

「あんたたちの重荷になるのも嫌だし、安気だでや」

母にも複雑な思いもあったはずです。まだ夫の一周忌も終わらぬうちに家を去るなどということは、農家の嫁として嫁いできた母には認めがたい現実だったと思います。そうした母の思いとも戦いながら(認知症の人にも、そうした思いはきっとあります。言葉にするかしないかは人それぞれでしょうけれど)、入所の日を迎えてしまいました。

デイサービスの利用に、ショートステイや在宅ヘルパーを組み合わせるプランもあったのですが、ま、そこはそれぞれの事情もありますしね。




というわけで、ずいぶんとまた、個人的なことを書いてしまいました。

そうしたことを書かないブログでしたけれど、ま、どうしても吐き出したい気持ちってのがあるのです。

今日は、そんなこんなで、久しぶりの有給を、覚束ない愛機の前で過ごしています。

ブログに戻って来たいという気持ちもあるのですけれど、また、誰か、読んでくれるでしょうか。

COMMENT



おひさしぶりです。

2011-04-02-Sat-17:19
なくなった祖母が、晩年、認知症でした。
私自身はあまりタッチできなかったのですが、母が週に2日、通っていまして、介護の肉体的な大変さのほかに、記憶やいろいろなものが抜け落ちていく、精神的な大変さは漏れ聞いていました。

またブログに戻られましたら、ときどき拝読に寄らせてください。

☆麻生さん

2011-04-02-Sat-18:01
おひさしぶり 

コメントどうもありがとうございました。

大変な大災害があり、今もなお、地震、津波、原発事故及び風評被害、計画停電などの影響で、多くの苦しみや困難を抱える方の多い中で、お見舞いも言葉も書かずに、ひたすら自分の事情のみを語っているわたしは、個人ブログとはいえ、なんと自己完結的だろうと、投稿後反省していたものであります。

ネット上の知り合いにも被災者がいるはずだと思うのですが、ま、ここまで離れていると、さすがに、どなただったのか、ハンドルなどではピンとこないのが、ネットというものかなと、実感したりしています。

また、少しずつ記事を書きたいと思ってはいます。一応。よろしく

お久しぶりです

2011-04-03-Sun-23:36
いろいろと
ご両親のことで
心労多き生活送られているのですね

出人さんご自身の体調も崩さないよう
気をつけてください

☆まこちゃんさん

2011-04-04-Mon-09:29
お久しぶり

お気遣いありがとうございます。また、不在状態の間、いくつかのコメントありがとうございました。そうそう戦国イベント、なにか当たったようでおめでとう~。もうどんなものだったのかも、忘れてしまいましたがw

またよろしく~。

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