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柔道のルールと方向性の理想と現実~北京五輪

2008-08-16-Sat
北京五輪は、なにかとタイムリーにやってるなと思います。

暑い日本の夏休み、ガソリンが高くて、さらに諸物価が高くて、つまり、暑いやら、高いやらで、ほんならうちで、クーラー当たりながらテレビでも見ましょうかって気にさせてくれます。さらに、なにより時差があんまりなくて、つまり、わりといい時間帯にライブで見られます。「偽装五輪」と英国紙は厳しいですが、確かに「巨人の足跡」や「口パク少女」はどうかと思いますし、開会式前の「鳥の巣」の前に、普通の選手や、市民たちともに、軍服に機銃を下げた兵士がいたのには、ほんとうに興ざめだなと思ったりもしましたけれど、ま、それにしても、ついつい五輪やってると見てしまいますね。

水泳の北島選手や体操の内村選手など、なにかすごい華々しい活躍の人もいましたけれど、ま、そっちはそっちでいろいろ書いてもいいのですが、ま、わたしはちょっと柔道のことが書きたくなりました。

というのも、北京五輪の柔道競技が始まって、うちのブログのある記事に急にアクセスが増えました。これです。
 → 過去記事:「柔道のルール改正に思う、大相撲の「変化」」(08年3月8日付け)

このわたしの記事で、「北京五輪から効果が廃止され、ポイント合戦になっている柔道から、一本重視の柔道に変わる」というようなことが書いてあるのですが、どうやら、実際に柔道を見ているとそうではないことに気づきました。「効果」というのは依然としてあるじゃありませんか? 念のために、北京五輪の柔道ルールにつて解説してるページを検索して調べててみたのですが、効果のポイントはきちんと生きています。
 → Yahoo!スポーツ 北京オリンピック特集 「柔道:ルール」

あらら、日本生まれの「柔道」が、国際的な「JUDO」になって、ついには「ジャケットレスリング」と呼ばれるようなものに変質しようとしている(武道的な観点から見れば「堕落」ということになるかもしれません)ということを阻止しようとした、3月の改正案は、(少なくとも北京五輪では)採用されることがなかったようですね。もし北京五輪から採用されていたら、もっとすばらしい結果になっていたかもしれません。

さて、そのわたしの記事(「柔道のルール改正に思う、大相撲の「変化」」)は、柔道のことが書きたくて書いたのではなくて、相撲のこと、特に、大相撲で横綱朝青龍が稀勢の里(当時小結)を蹴手繰りで破ったときに、「横綱の品格」のようなことを言われ、ことに横審の女性委員からは「蹴手繰り」なんていう名前からして品格がない技を使うなというようなことを言われたことについて、わたしなりに批判したものです。

スポーツにおけるルールとは平等なもので、どういう立場の人は使っていけない、上位のものが使ったら卑怯だ、品格がないというようなことはない。勝つためだったら(ルールで許されているの範囲なら)、(その手法、作戦の好き嫌いはともかく)何をしても許されると思っています。審判が認めているものを、横審という、特別な立場にある人が「品格のない技」などというのは、それこそ立場をわきまえない、品格のない発言だとわたしは思ったので、柔道のルール改正を引き合いに出して、もし「蹴手繰り」がそんなに下品な技だというのなら、この柔道のルール改正のように、大相撲もきちんとルール改正して、「蹴手繰りは(番付上位者が下位者に対して)使ってはならない」と規制をすべきだ(わたしは仮定が違うので、このルール改正には不同意ですけれど)というのが、わたしの意見でした。

で、今回の日本勢の敗北について、特に、鈴木選手や泉選手の試合を見てて思ったのですが、ひょっとして無理して横綱相撲をとろうとしてませんでしたか? ということです。わたしは、試合を見ただけで選手の考えてることや理想がわかるわけではないのですが、なんというか、日本選手が妙に棒立ちで、腰高で、相手の選手に下に低くもぐられてリフトされたり、転がされたりしてるように思われてならなかったのですね。

自分が理想とする一本をとる柔道を目指すのはすばらしいことですが、同じ理想の下での勝負を相手に要求するのはちょっと違うと思います。いや、厳密に言えば、同じ理想を相手に求めるのは自由なんですが、それに応えるか応えないかは相手の自由というべきでしょう。以前プロ野球の清原選手が、オールスターだか日本シリーズだかで、相手ピッチャーに対して、自分はフルスイングする(あてにいくとういような卑怯なことはしない)から、お前もド真ん中直球で勝負して来いとうような要求をして、結局変化球だかを投げて三振をとりに来た相手投手を、卑怯者呼ばわりしたことがありました。

わたしに言わせれば、清原がそれだけの駆け引きをして、それだけの勝負を望むのはいいとして、それを受けるか受けないかは、相手の自由であり、相手はルール内で最善と思われるプレイをしたならそれでよく、敬遠だろうが、変化球だろうが、勝つために自分で選べばそれでよく、それに対して「卑怯者」という権利は清原にはないと思いました。それはむしろ清原が卑怯だとさえ思います。

今回の柔道の男子の不調を見て、柔道における理想と現実の中で、ひょっとしたら日本の選手たちは、この清原選手のような立場に追い込まれていたのではないかと思うのですね。「一本をとる柔道」の理想を必要以上に意識させられ、チームの方針として強要される(と言わないまでも、その理想の下で結果を残さねばならないというプレッシャーを与えられた)ところはなかったのだろうかと、ふっと思ったのですね。

もちろん、それができる選手はそうしたらいいのです。しかし、相手選手がルールの特性を理解して、ポイントをとる柔道をしてきているのに対して、日本は、横綱なみのハンディを(横綱でない人にまで)押し付けるところがなかったのだろうかと思ったのですね(別に、横綱や清原がやれるんなら、それはいいんですよ。そこまで否定してるのではありません)。

そして、多くは結果を残せなかった。それは、柔道に負けたというよりは、ルールに負けたといえなくもないのですが、それだけに負けた選手の気持ちは気の毒にほどがあります。理想を追うのはいいのですが、環境を整えてからにすべきであって、ルールがポイント重視のままであるのならば、それはそれでそういう戦い方も戦術の一つにしなければなかなか勝てないのではないかと思います。理想がどうということではなくて、ルールとはそういうもので、力の差が小さければ小さいほど、そのルールの方向性は大きな影響を及ぼしたろうと思うのですね。

逆に言えば、そこまで「一本の柔道」を理想に掲げる人は、「横綱柔道」で一本を狙って正面から受けにいって、結果「柔道」とは言えない「タックルでも、足取りでも転がせば勝ち」というスタイルの人に負けてしまった選手に対して、お前は理想を追求して散ったのだからすばらしいよと褒めるべきだと思うのですね。そもそもルールを敵に回す不利な戦いに臨んだのわけですから、金が減った、惨敗だなどと言ってはならんのです。たとえ負けても散り際が見事なら敗者でも褒める……、武道、武士道とはそういうものです。そこだけ急に、金が何個、メダルが何個などと数え出すくらいなら、それは、それ最初から、ポイントを取る柔道を選べばいいと思うのですね。効果がいくつ、有効がいくつ、一本がいくつ、メダルが何個……って。

がんばれ! ニッポン!!

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