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「感傷」ということば

2008-07-13-Sun
先日、ちょっとした感傷にふけるようなことがあって、それは「感傷」だと自覚があった。知り合いにそのことを言い、「感傷なんだ」というと、「そうだね」という返事があった。

以前、彼女とは「感傷」という言葉で少しやりあったというほどでもないが、ちょっとした意見の違いを感じたことがあったことを思い出した。

--そのとき。「感傷という言葉がちょっとわかりにくいのだけれど、どんなイメージ」と聞くと、彼女は「ちょっと心の中が痛くなる……」と答えた。彼女がどこまで意図してそう言ったのかわからないのだけれど、議論好きなわたしは「痛みを感じるってこと?」と聞き直して、「うん」と彼女が答えたので、「ああ、傷を感じるというふうに解釈してるのか?」と、ちょっとこじつけてしまって、彼女は何も言わなくなってしまったことがあったのだ。

そもそも「感傷」という言葉は、わかるようでわからない言葉ではないだろうか。自分でわかったつもりになっていても、他人に言葉で説明するのは難しいというような。「夕方、一人歩いていて、空が夕焼けで、もし、なんとなく寂しい気分になったらそれが感傷だよ」というようなことは言えたにしても、はっきりとわかった手応えがない。議論好きな人に「じゃ、同じシチュエーションで明日は晴れるゾと楽しくなったら、それも広義の感傷なのか?」と聞き返されると、ちょっと悩ましい。「外界の変化に気持ちが変わるという点では似ているが、感傷というには当たらない、もっと、しんみりした情緒的なものだ」などと補わなければならなくなるかもしれない。

だから、彼女が「ちょっと心が痛くなる」というのは、全くもって正当だと言わねばならないと思うのだが、そこでまた解釈にあたって、「(心の)傷を感じること」というふうにとらえるとちょっと違ってしまうように思う。

参考までに、ここで改めてネット辞書(エキサイト辞書やgoo辞書)を見てみると、こうなっている。

かんしょう ―しやう 【感傷】

物事に感じて心をいためること。また、物事に感じやすい心の傾向。
「―にひたる」

これはわたしの解釈とほぼ同じだった。「外界のできごとやムードに感じて、傷つくこと」つまり「感じ傷つく」で「感傷」という熟語になっているのだ。

知り合いの言葉(がそうだとわたしが誘導してしまった解釈)のように、「外界のできごやムードによって、心の中に痛みを感じること」というにふうにしてしまうと、「感傷」の熟語のなりたちが違って見えてくる。意味的な解釈としては、どちらでもほぼ同じことを言っていて、また、お互いイメージしていることもたいして違わないのだけれど、「歩行」とか、「教育」というのと同じ構造の熟語としてとらえるか、「登山」とか、「授業」というのと同じ構造としてとらえるかという視点が、全く違っているのである。

もちろん辞書の説明文を読めば、「登山」型でなくて、「歩行」型だと解釈するのが適当だ思うのだけれど……。

ま、「感傷」という言葉を巡ってちょっとそんなこともあったなぁと、懐かしく思った。

さて、特段痛みを感じなくても、こういうことも感傷の一つだと思うのだけれど、どうなのだろう。それともわたしの胸の中に、彼女に対するちょっとした痛みがやっぱりあるということなのだろか--。

関係ないけど~。


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