David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
「中華料理」というと不機嫌になる中国料理店主

ちょっと高級感のある中国料理店でパートをしていたときのことが触れられていて、ついつい、



肝心の部分に「要出典」の注がついていて、この「中国料理」と「中華料理」の使い分けについては、客観的な根拠が今ひとつ不明だという含みを持たせています(ただちに「間違い」とは言えません)。実際、タウンページでは区別してるようです。ま、これはお店側の自己申告をそのまんま載せたとも言えるわけですが、実際、中華料理と呼ぶ場合は、日本人向けに味付けや調理法が工夫、創作された大衆料理を指し、中国料理と呼ぶ場合は、中国本来の料理を指す、といった使い分けがなされる場合もある[要出典]。いずれの呼称も戦後になってから作られたもので、昭和20年代までは支那料理という呼び方が一般的であった。なお、NTTのタウンページのジャンルでは「中華料理」と「中国料理」を分別している。





「中国料理 中華料理 違い」で検索してみますと、いくつかヒットします。
まず、
これに対して、教えて!goo:「中華料理と中国料理の違いについて」の回答では、同じところ(http://page.freett.com/kiguro/zzz/z-tabemono/z-tabemono.html)を紹介しながら、もう一つのURL(AOL QA広場)を紹介しています。はっきりとはわかりませんが、その言葉の持つイメージが重要なポイントのようです。
すなわち、「中華料理」の方が「中国料理」よりも若干、高級らしく聞こえる、と言う事です。
その証拠に、有名なホテルや大きな店はだいたい中華料理と銘打っていますし、
メン類や飯類、ギョウザを中心とする街の料理店は圧倒的に中国料理が多くなっています。
つまり、両者の違いはほとんどありませんが、その値段に違いがあるようです。
http://page.freett.com/kiguro/zzz/z-tabemono/tyuukatotyuugoku.html
→ Yahoo!知恵袋:「中華料理と中国料理の違いは何ですか?」
分析が、正反対! なんじゃこりゃ(笑)。もう少し、決定的なのはないかなと思ったら、横浜中華街の台湾料理のお店のページにこんなのがありました。別段たいした違いはないそうです。
ただ相対的にホテルの中にある店や街中でも店構えが大きく丸テーブルなんかのある店は「中国料理」と名乗り、炒飯や餃子、ラーメンなどを売りにしている個人経営の店なんかは「中華料理」と名乗ってる場合が多いみたいです。
→ AOL QA広場:「中華料理 中国料理」
この説明に従うと、高級とか値段とかではなくて、日本人向けにアレンジしたのが「中華料理」、本場の味を継承しているのが「中国料理」ということになるのでしょうか。中華料理という言葉は、大陸はもとより台湾、香港にもなく、明治初期に中国料理を一まとめにして 『支那料理 』 と総称した日本製の言葉です。
中国の最高級料理、清朝宮廷宴席料理を模した 『 満漢全席 』の食材は、北は鹿の靱帯や尻尾から、南は象の鼻先、西は駱駝のコブまで、東はフカヒレ・アワビなど、広大な中国ならではの豊富な食材を使っています。中国料理の集大成が、満漢全席だといわれるのは、このためです。
満漢全席とは食材の差こそあれ、北から南まで、中国各地方の名菜を、日本人向けにアレンジしていったものが、日本の中華料理だと考えれば、私たちは、ある意味幸せなのかもしれません。
→ 横浜中華街唯一の台湾薬膳料理 【台湾料理について】
以上ですよ、




COMMENT
お久しぶりです
追加
の
>私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ
をその店主さんに聞かせてあげても良さそう?
☆あふろやんさん
ぜひ、店長に聞いてみてください。「広東料理」という言葉を使っているくらいですから、店長さんには「本場の味」を伝えたい、日本的にアレンジしていないもともと味を食べて欲しいという、ま、そういうプライドがおありなのだと思います。
その点を


とはいっても、ポリシーはすばらしいと思いますけれど、同時に、その味を日本人が好むかどうか、店が繁盛するかどうかは、店長には決められませんよね。その決定権がお客側にゆだねられているのは、中国でも、日本でもおなじことではあると思います。
☆滑稽本さん
ああ、「日本の四川料理の父」がそんなことを言っているのですか。ま、そうなんですよね。
というか、そもそも広い中国に地方それぞれの味があるわけで、それぞれの地域の風土や歴史に応じた味が存在することこそ中国料理の本質なのだ(なにも中国料理に限ったことなく、すべての料理がそうなんですけど)という視点に立てば、「日本風の中国料理」というのが当然あっていいわけです。
また、「日本風の中国料理」ってのを一通り日本人が知ってから、いや、実は本当の中国の味はちょっと違うという展開をしても別段悪くはないでしょう。両方あって、それをお客が選べることは、豊かなことであり、幸福なことですよね。
パンの専門家ではありませんが、かつて日本のお店に売られていた「パン」はお饅頭のように皮が非常に柔らかく、しっとりしてビニール袋に入っていました。中にはジャムやあんこが入っていました。少なくともわたしが子どもの頃には「パン」とはこういうもので、「食パン」とはちょっと別のものでした。
しかし、近年というか、もうだいぶたちますね、「パン」は本当に本格化というか、本場化して、焼きたてというか自家製のパンの店がたくさんできて、お客もそれを、おいしいし、高級感もあると思って好んで食べるようになって、わたしが子どもの頃知ってたパンは「菓子パン」と呼び分けられるなってました。
もちろん、当時から「菓子パン」と分類されていたのかも知れませんが、そういう問題ではなくて、わたしが言いたいのは、パンの日本への広がり方にしろ、中国の料理の日本への広がり方にしろ、日本風のアレンジと「本物」があってもよくて、その日本風のアレンジを、やはりよい工夫(おいしいウソ)ととらえるべきで、「本物」からみた「偽者」というように考えるのは、ちょっと違うかなと思います。
ま、しかし、これを「偽装」と言う風潮があるのかもしれません。
ペリーは、日本側が用意した絢爛豪華な和食を殆ど食べ残したと記録にはあるのだが。
カリフォルニアロールなんかは改良版なんだろうが、頑固な職人は納豆巻きすら「寿司じゃねぇ!」って怒るからなぁ(苦笑
ま、江戸前寿司なんかも、寿司の歴史からしたら「偽者」の部類なんだろうけど。
つーか出人さんのリアクションがこんなにデカいと思わなかった(苦笑)のだけれども、あの、「スパイス」ってあるでしょ?
あれの歴史を辿っていくと、色々面白いんですよね。
文献や考古学、言語学による語源の特定まで色々駆使して調べると、日本がドキドキしてた(笑)頃からもう世界は繋がっていた…(少なくともユーラシアは
すでに原産地では野生種は絶滅してて、移植された先の農地でしか残っていない物もある。
当然、他所から運んできた材料で作られた「土地の料理」もあるワケで、初めてその料理が作られた頃は「本物」じゃあなくて「創作料理」だったワケ。
結局の所、本物か偽者かってのは時間が決めるという以外に無い…ような気もする。
今普通に庶民が食ってる料理だって、昔は高貴な人しか食べられなかった物(特にスパイス関連)も多いから、一部の人しか食って無かった伝統的な物が果たして「本物か」どうかにも議論の余地はあろう。
或いは、これもスパイス関連だけれども、「本物」は高いスパイスを使っていたけれども安価なスパイスで代用可能だと発見して一般に普及して現在に至る場合、これは果たして「本物」なのか。
話しが飛ぶけれど、すき焼きなんかも、作り方やタレは再現出来ても肉は品種改良されちゃって今の方が断然美味いので、当初の味は再現し難い(笑)とかね。
何故その調理法なのか、何故その食材なのか、一々疑問に思って探って行くと、その土地の風土、人の考え方というのが良く分かる。
そういう意味で、常に「元祖」「本物」っていうのへの憧れって消えない物、であるのもまた真ですよね。
「由来」こそが歴史であって、それを味わう事でその当時にタイムスリップ出来てしまうのがロマンなワケです。
というワケで、今目の前の客の舌に合う料理を追及するのも料理人なら、その料理の「本物」(何をもってそういうかはさて置き)を追求するのもまた料理人。
ただ、上記の経緯からすると、「本物の追求」の方が難しいでしょうなぁ。
時代は常に流動的なワケで、ある地点のある物を抽出して「本物」と断定するのも中々…
☆滑稽本さん
昨今の和食ブームってのが今ひとつわからないのですが、一つには「和食は健康的」という和食ブームがありますよね。それ以外の和食ブームがあるとしたら、それは和食ブームというよりは、グルメという大きな流れの中での和食もってことなんじゃないでしょうか。そうなってくると、創作料理とか現代風の和食というのではなくて、むしろ、伝統的和食、あるいは、忘れかけてた和食よ、もう一度みたいな感じじゃあないかなぁと思います。
つまり、「そもそもの形」を本来の姿としてとらえるということです。これは、結婚式に十二単を着ましょうか~っていうのと、ちと似てるような気がします。ちょっと特別感があるときにはそれをするということで。しかしながら、ちょっとした行事のたんびに十二単は着ていられないけれど、ま、それでも和服は着ましょうか~という具合にはなるんですね。たとえば、創作着物とか創作浴衣とか、ミニスカート風浴衣なんてのを売り出してなかなか売れなくて、逆にセパレート着物で着やすくはなったけれど、外見的には本モノそっくりってものの方が、まだ歓迎されるんじゃないだろうかと思います。
これは、お習字(書道)もそうで、日本人のもうほとんどが、日常的に筆を使わなくて、年賀状や賞状も毛筆フォントで作ったりしてるわけです。どうせワープロなら同じなんだけど、やっぱり、ゴシック体の賞状よりも毛筆フォントの方がそれらしかったりするわけですね。
そういう、本格的なものを好むというのは、依然としてあるにはあるのだけれど、ま、日常の日本の食卓は……と言えば、毒入りギョーザ事件でわかったのですが、冷凍食品を使わない日は珍しいぐらいのことになってるわけですからね。
ま、こんな調子では、いたずらに話はどんどん広がってしまいますが、滑稽さんがおっしゃった「本物への憧れ」という心理は必ずあって、そこに、中華料理よりも中国料理という考えがあるって、店主さんはそれで中国料理にこだわり、お客はまた、それをよしとして食べに来るわけですね。
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あはは、出人さんってすぐに調べるんですね。出人さんってやっぱり出人さんだわぁって思いましたw
明日早速この結果を元に店長に聞いてみようと思います。
そういえば読みながら思ったのですが、お店のパンフには「広東料理がどうたらこうたら」って書いてありました。
ってこんなことを書いたらまた出人さんは「ん?広東料理とな?」って思い始めるのでしょうか?うふふ・・・。