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売られゆく「ジョン万次郎の家」
正直なところ、以前NHKの大河ドラマ「黄金の日々」の主人公であった呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)や、シャムで活躍した六昆王山田長政などと、イメージ的に同じ位置づけでして、正直誰が何時代のどんな人なのか、イメージが錯綜してよくわからないんですね。わかるのは、日本人で(出身が日本で)、海外で、どうやら異例の大活躍をした人ってぐらいです。
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また、山田長政については、目下タイで山田長政をモデルにした映画の作成がするんでいるようで、来春公開予定です(先日記事にしました→ここ)。
ところが、ジョン万次郎も調べてみるとなかなか大変な経験をした人物でして、今は公開されていませんが、劇団四季がミュージカルにしてたことがあるのですね(残念ながら現在公演予定はないようですけど~)。
→ 劇団四季:ミュージカル「ジョン万次郎の夢」
Wikipediaを参考に半生をまとめるとこんな感じになります。
ご本人はもちろん大変だったのでしょうが、おもしろそうな人物で、四季がミュージカルにするのもわかります。土佐国中浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男に生まれた万次郎は、14歳の時(1841年)に漁師の手伝いで漁に出て遭難、奇跡的に太平洋の無人島に漂着し、米国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救われた。当時日本は鎖国であったため、救われた大人達はハワイで降ろされるが、万次郎は自身の希望もあったが、ホイットフィールド船長に気に入られてそのまま一緒に航海することになった(ちなみにその時の船の名前から、ジョン・マンと愛称で呼ばれることになった)。
米国で英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び、やがて船員達の投票により副船長に選ばれるほどになった。万次郎は世界の各地を航海し、ついに自分で船を購入し1851年にハワイの仲間とともに日本への帰国を果たす。
鎖国状態の日本では、長期間尋問を受けることになるが、なんとか土佐に帰ることができ、さらにアメリカなどの航行中の知識を求められて、1853年、幕府に召聘され直参の旗本となった(生れ故郷の地名を取って「中浜」の姓が授けられた)。米国滞在中に身につけた、語学力や学問を基に各地で講師としても活躍(坂本龍馬も万次郎から聞いた世界観に影響を受けたと言わる)。鎖国中の日本において、アメリカ本土に初めて足を踏み入れた人物であるため、彼は初めて鉄道・蒸気船に乗った日本人でもあった。
ところで、なんだって突然今日? ということですが、こんな記事を読んだからです。
誇りなき日本企業…ジョン万次郎の家、修復できず
■寄付4800万円集まらず
江戸時代末期に日本人として初めて米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)が、米東部フェアヘーブンで滞在した住宅を修復、博物館とする計画が資金不足から中止に追い込まれたことが20日、明らかになった。
→「誇りなき日本企業…ジョン万次郎の家、修復できず」の全文を読む……。
なんだかもったいないですね。扱いようによっては、ドラマや映画の主人公になり得ますしね。なんとか、どこか助けてあげるわけにはいかないのでしょうか?
※こうしてみると、山梨市の横溝館の開設なんてすごいことだと思います。人気作家とはいえ、格別ゆかりのない作家に2千数百万円出して、東京から移転したのですからね。

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