David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
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竹中英太郎記念館(甲府市)を訪ねて
2007-07-08-Sun
先日、甲府市に竹中英太郎の記念館があったんだ!ってことを記事にしました。その記事中に「山梨市に横溝正史館がオープンした」(→関連過去記事)ということを書いているのですが、わたしの性格として、こういう話が重なるときはなにか運命的だぞと考えることにしています。これは山梨が俺を呼んでるんだ!と勝手に解釈するわけです(笑)。
とうとう、先日、出不精のわたしとしては、珍しく、クルマで出かけてしまいました。
愛知県から山梨県(甲府市とか、山梨市)にはどうやっていくのが正解なのでしょうか? 実は、出慣れていないわたしにはわかりませんでした。結局、行きは東名高速道路の豊田JCT東海環状道路、伊勢湾岸道路と抜けて、中央自動車道の飯田周りので甲府へ向かいました。甲府は、竹中英太郎記念館のある湯村温泉郷へ一泊し、翌日は横溝正史館のある山梨市へ。帰路は山梨市から、南下して、河口湖、山中湖と周りながら、御殿場から東名高速を西へ走るとういことにしました。どういうわけか横溝正史館は金曜定休でしたので、金曜に竹中英太郎記念館を見て、翌日土曜に横溝を見て帰るという計画にしました。
ほかにも、今季大河ドラマの「風林火山」の関連で、かなり信玄を核に観光客の誘致に力を入れているのですが、わたしの住む愛知も、戦国の英傑なら事欠かないわけでして、桶狭間だの、長篠だの、小牧長久手だの、戦国の旧跡もあったりして、別に競うわけではないのですが、風林火山ってことで誘致されても、さほど心は動かないわけです。しかし、竹中と横溝が両方あるらしいと聞かされると、もうなんか、ツボにはまるようなわけですね。
正直、竹中英太郎という名前をどのあたりから知っていたかというと、そのへんはちょっと自信がありません。ただ、乱歩の「陰獣」のあの独特の、一種の病的なものを感じさせる、幻想的というよりも、閉ざされた感じというか、皮膜がはったように霞んだ感じが、わたしには忘れられませんでした。また、ダリのタッチを思わせるような、人間の肉体を崩すというか、溶け出した蝋細工のようにデフォルメさせている、「盲獣」の挿し絵にみられるような感じ。まさに、「エロ・グロ・ナンセンス」といわれた時代の「エロ」と「グロ」を挿し絵でイメージつけていたのが、竹中英太郎の作品(正確にいうと「一部の作品」というのがいいかもしれませんが)なのです。
その記念館なら、ぜひ見てみたいものだぞと思って、わたしは出かけましたが、なんと、「本日は都合により休館させていただきます」というプレートが……。

あのさ……。わたしは、今日このために来たのですよ。愛知から……。高速代6000余円にガソリン代、宿泊費……。それを、こんなプレート一枚で……。わたしは、へたりこみました。
確かに、そういうことはあります。公的なものではなくて、個人のものですから。都合により休みにしたいこともあるでしょう。人はいろんな事情があるものですから。一人前に世間様とつき合っていれば、よんどころない事情はあるものです。平日に開館してもいても、確かに一日どれくらいの来客があるものか、このロケーションと、竹中英太郎では、わからんでもない。理解します。……しかし、もの好きなわたしは、愛知からはるばる来てしまったのですね~。代替の案などない(県立美術館でもよかったのですが、幸か不幸か、山梨県立美術館のメインは、4月に岡崎で見た『シュルレアリスム展-謎をめぐる不思議な旅』だったのです。
看板にある電話番号二つに電話してみました。クレームというのでなしに、明日開館しているかどうかを聞きたかったのです。でもでませんでした。わたしは、あきらめて、宿に戻り、やむなく、信玄関係の散策に出かけたのでした。大河ドラマの「風林火山」の勢いもあって、駅前で風林火山博なんてのをやってましたので、ま、いい時間つぶしにはなりました。(→甲斐の国 風林火山博)
宿について、宿のロビーのマガジンラックに黒い一冊の画集を見つけました。

昨年、竹中英太郎の生誕百年を記念して出版されたものです。一般の書店にはなくて、記念館で求めるか、ホームページの通信販売(→こちら)でしか入手できないもののようです。
わたしは、部屋でその画集を開きながら、このまま見ないで帰るのはどうしてもおもしろくないと思いました。もう一度、電話をしてみましたが出ないので、あるいはと思って、ダメ元でauのCメールを送ってみました(メルアドでなくて、番号にメールするいわゆるショートメールです)。
それだけの文面です。そうしたら、相手にCメールが届きました。あっちもauだったのです。これで、とりあえず、こちらの意思は伝えることができたと思いました。
~以下追記~
すると、まもなく携帯が鳴りました。それは記念館の館長からの電話でした。あちらのブログ(竹中英太郎記念館館長日記)などを読むと書かれていることなのですが(後で読みました)、病名や病気関連のことは詳しくは触れませんが、要するに「6月20日より入院し、7月5日手術ということで、現在休館中」ということでした。ブログに書かれていたのに、読まずにホームページだけみてうかがったのです。ああ、ブロガー失格だわ……。
で、電話では、自分はそういう事情で行かれないので、代理のものが行って開ける。時間は都合のいい時間でかまわないということでした。
うひょ~。なにか、つまらない肩すかしの旅行が、一転、ちょっと感動的なというと大げさですが、そんな感じでしょう。なにか、思いがけない、嬉しい偶然の演出みたいな感じになりました。やっぱ、わたしの予感はあたってたんだよな。運命的だったんですよ~。こうして、翌日、わたしは約束の時間よりも30分も早く記念館に着くと、「お早いですね~」と言って出迎えてくれた人がいらっしゃり、わたしは無事記念館を見学することができたのでした。

カメラを持っていったのですが、作品を写真にとってはいけないと思って中は撮ってきませんでしたが、こうして記事にするとなると、実際の絵がないとなかなかうまく伝えられないのであれですが、ちょっと感想を書いておきます。
竹中英太郎はわたしにとっては、ほとんど、「新青年」の時代に江戸川乱歩や横溝正史たちに挿し絵を描いた人でしかなくて、あんなに、昭和の後期にカラーの絵を描いていたなんてのは、ちょっと驚きでした。たとえばちくま文庫の夢野久作全集のカバー絵もそうなんですね。
(実はわたしは夢野久作は角川文庫で集めたので米倉斉加年のカバーのばかりが印象に残っています)
こんな感じの幻想的で、きれいな絵が多いのですね。ま、きれいな中にも、ちょと毒があったり、怪しさがあったりします。昆虫で言ったら、やっぱり昼間野に飛ぶ蝶ではなくて、夜、誘蛾灯集まる蛾って感じです。それって、そのまんま、江戸川乱歩のイメージであり、横溝正史のイメージなんですね。
竹中英太郎は、「鬼火」(横溝・昭和9年)の挿し絵を描いた後でなぜだか急に断筆してしまうのです。そして満州に渡ってしまう。その理由は「謎」ということになっています。横溝の「鬼火」は、新青年発刊に際して検閲で一部削除されてしまうんですね。これは想像ですがあるいは、竹中英太郎の挿し絵も削除されてしまったのかもしれません。削除にならぬまでもあるいは、そうとう嫌気がさすようなことがあったのかもしれません(この点はこの記事を書いている時点ではわかりません)。
また、挿し絵画家ということが自体が嫌になったのかもしれません。絵が独立した作品でなく、小説のおまけでしかないというのは、同じ絵で食っていくとしても、イラストレーターやポスター作者ともまた違う、作家としてはちょっと不満というか、不自由というか、どこか半人前みたいな気持ちを抱いたのかもしれません。これも想像ですが、わかるような気はします。売れれば売れるほど、どこかその、コバンザメ的というか、人の褌で相撲をとってるみたいなところがあるような感じだったのかもしれません。
戦後、竹中英太郎が再び絵を描き、世に送り出したのは、息子竹中労の企画した映画の宣伝ポスターだったそうです。以後、レコードのジャケット用の絵だとか、書籍の表紙の絵などを描いたということなのようです(「ようです」というのは、これらすべてが「受注による制作」だったのかどうかが今ひとつ不明だからです。あくまで、理屈の上のことですが、書きためておいたものを提供するという形態もありえるわけですから)。
もちろん、明らかに受注によって制作したものもあったわけです。興味深かったのは、五木寛之原作の映画「戒厳令の夜」の中で使われた5枚の絵を描いたのです。「戒厳令の夜」は、偶然発見された「幻の絵」によって、闇に葬られていたかつての政治的陰謀が明るみになってゆくというミステリー作品なのですが、その重要なアイテムである「幻の絵」を竹中英太郎が描いていて、それが残っていて展示されているのです。ところが、映画のために一枚は穴が開けられ(見たところ銃弾があたったというような設定でしょうか? 穴があいたまま展示されています)、別の一枚はなんと、火中に投じられて燃えてしまったようです! それには、驚くやら、あきれるやら、おかしいやら。天下の竹中英太郎を小道具の一つくらいにしか思っていないのは、呆れました(今ならカラーコピーの模造品を燃やしたでしょうに~)。
燃やされるくらいの作品ですから、かなり重要な作品だったかもしれませんが、この映画、DVDになってないのですね。ちょっと検索したら、たのみこむってサイトがあって、たまたま、映画「戒厳令の夜」のDVD化がたのみこまれていました。得票数がある水準以上に達すると実現するかもしれません。
→ 映画「戒厳令の夜」のDVD化をたのみこむページ
挿し絵とこうした作品の違いは、注文を受けて描くという点では共通していても、表現するテーマ性というか、作家の作品に関わる主体性というか、内面の表現度というか、そうしたものが、質的に全く異なってくると思うのですね。挿し絵はあくまで付録的なのに比べて、ポスターや表紙絵は、自分自身で一人歩きすることが可能なので、主従が逆転しているとさえ言えるでしょう。
戦後の竹中英太郎はそうした、挿し絵画家ではない、画家としての独立性みたいなものを持ち得るようになったのかもしれないということが、あるいは言えるかもしれないのですが、ただ、挿し絵画家としての業績があまりにも大きすぎて、幸か不幸か、なかなかそこから脱し得ないと思うのです。おそらく、竹中英太郎自身は、挿し絵画家、それも、なんとなく際物的な色合いのする、エログロな挿し絵画家からは離れたいと思っていたと思うのです。江戸川乱歩も、自分がエログロで変態趣味の本家のように言われるの嫌がってましたから。
ただ、ファンというのは勝手なもので、江戸川乱歩にエログロの作風の作品を求めたように、当のご本人意向はともかく、竹中英太郎がエログロな挿し絵画家であってももらって、いっこうにかまわない、むしろ大歓迎なわけなのですけどね~。
長くなりました。その後、予定どおり山梨市の横溝正史館を訪れたのですが、特に書くことはありません。あえて書けば、今回の度では、メインは竹中英太郎(記念館)の方で、横溝正史(館)は、もう、挿し絵以下というか、刺身のつまにもなりませんでした。

最後に。
「風林火山」などの影響などで、信玄をたずねて甲府を訪れたら、ぜひ、竹中英太郎記念館を見学してみましょう。もちろんそこに信玄はいません。戦国時代もありません。ただ、いいと思います。こういう人がいたということを知って損はないと思います。特に、ミステリーが好きな人で、江戸川乱歩や横溝正史を読んだことがあるなら、ぜひ、見てみてほしいと思います。
え、そんなら山梨の横溝正史館へ行きたいって? そっちこそ、何かのついででいい。たいしたものはないよ、ほんとうに~。
たぶん、初めての人は、住所とか地図などわかっていても、一発ではいけないだろうけど、それでもこれが一番わかりやすいと思います。
→ 襟裳屋:湯村の杜竹中英太郎記念館の紹介ページ
さらに追記。
帰宅後、入院中の館長に再度Cメール。「ブログを持ってるので記事を書きますよ」と書いたら、「早く退院して、記事を読みたいです」ということでした。
末筆ながら、一日も早いご回復、ご退院をお祈りします。そして、この記事を楽しく読んでいただけますことを願っております。
とうとう、先日、出不精のわたしとしては、珍しく、クルマで出かけてしまいました。
愛知県から山梨県(甲府市とか、山梨市)にはどうやっていくのが正解なのでしょうか? 実は、出慣れていないわたしにはわかりませんでした。結局、行きは東名高速道路の豊田JCT東海環状道路、伊勢湾岸道路と抜けて、中央自動車道の飯田周りので甲府へ向かいました。甲府は、竹中英太郎記念館のある湯村温泉郷へ一泊し、翌日は横溝正史館のある山梨市へ。帰路は山梨市から、南下して、河口湖、山中湖と周りながら、御殿場から東名高速を西へ走るとういことにしました。どういうわけか横溝正史館は金曜定休でしたので、金曜に竹中英太郎記念館を見て、翌日土曜に横溝を見て帰るという計画にしました。
ほかにも、今季大河ドラマの「風林火山」の関連で、かなり信玄を核に観光客の誘致に力を入れているのですが、わたしの住む愛知も、戦国の英傑なら事欠かないわけでして、桶狭間だの、長篠だの、小牧長久手だの、戦国の旧跡もあったりして、別に競うわけではないのですが、風林火山ってことで誘致されても、さほど心は動かないわけです。しかし、竹中と横溝が両方あるらしいと聞かされると、もうなんか、ツボにはまるようなわけですね。
正直、竹中英太郎という名前をどのあたりから知っていたかというと、そのへんはちょっと自信がありません。ただ、乱歩の「陰獣」のあの独特の、一種の病的なものを感じさせる、幻想的というよりも、閉ざされた感じというか、皮膜がはったように霞んだ感じが、わたしには忘れられませんでした。また、ダリのタッチを思わせるような、人間の肉体を崩すというか、溶け出した蝋細工のようにデフォルメさせている、「盲獣」の挿し絵にみられるような感じ。まさに、「エロ・グロ・ナンセンス」といわれた時代の「エロ」と「グロ」を挿し絵でイメージつけていたのが、竹中英太郎の作品(正確にいうと「一部の作品」というのがいいかもしれませんが)なのです。
その記念館なら、ぜひ見てみたいものだぞと思って、わたしは出かけましたが、なんと、「本日は都合により休館させていただきます」というプレートが……。

あのさ……。わたしは、今日このために来たのですよ。愛知から……。高速代6000余円にガソリン代、宿泊費……。それを、こんなプレート一枚で……。わたしは、へたりこみました。
確かに、そういうことはあります。公的なものではなくて、個人のものですから。都合により休みにしたいこともあるでしょう。人はいろんな事情があるものですから。一人前に世間様とつき合っていれば、よんどころない事情はあるものです。平日に開館してもいても、確かに一日どれくらいの来客があるものか、このロケーションと、竹中英太郎では、わからんでもない。理解します。……しかし、もの好きなわたしは、愛知からはるばる来てしまったのですね~。代替の案などない(県立美術館でもよかったのですが、幸か不幸か、山梨県立美術館のメインは、4月に岡崎で見た『シュルレアリスム展-謎をめぐる不思議な旅』だったのです。
看板にある電話番号二つに電話してみました。クレームというのでなしに、明日開館しているかどうかを聞きたかったのです。でもでませんでした。わたしは、あきらめて、宿に戻り、やむなく、信玄関係の散策に出かけたのでした。大河ドラマの「風林火山」の勢いもあって、駅前で風林火山博なんてのをやってましたので、ま、いい時間つぶしにはなりました。(→甲斐の国 風林火山博)
宿について、宿のロビーのマガジンラックに黒い一冊の画集を見つけました。

昨年、竹中英太郎の生誕百年を記念して出版されたものです。一般の書店にはなくて、記念館で求めるか、ホームページの通信販売(→こちら)でしか入手できないもののようです。
わたしは、部屋でその画集を開きながら、このまま見ないで帰るのはどうしてもおもしろくないと思いました。もう一度、電話をしてみましたが出ないので、あるいはと思って、ダメ元でauのCメールを送ってみました(メルアドでなくて、番号にメールするいわゆるショートメールです)。
はじめまして。愛知から竹中英太郎館を訪ねてきました。休館でした。明日は見せていただけますでしょうか?
それだけの文面です。そうしたら、相手にCメールが届きました。あっちもauだったのです。これで、とりあえず、こちらの意思は伝えることができたと思いました。
~以下追記~

すると、まもなく携帯が鳴りました。それは記念館の館長からの電話でした。あちらのブログ(竹中英太郎記念館館長日記)などを読むと書かれていることなのですが(後で読みました)、病名や病気関連のことは詳しくは触れませんが、要するに「6月20日より入院し、7月5日手術ということで、現在休館中」ということでした。ブログに書かれていたのに、読まずにホームページだけみてうかがったのです。ああ、ブロガー失格だわ……。
で、電話では、自分はそういう事情で行かれないので、代理のものが行って開ける。時間は都合のいい時間でかまわないということでした。
うひょ~。なにか、つまらない肩すかしの旅行が、一転、ちょっと感動的なというと大げさですが、そんな感じでしょう。なにか、思いがけない、嬉しい偶然の演出みたいな感じになりました。やっぱ、わたしの予感はあたってたんだよな。運命的だったんですよ~。こうして、翌日、わたしは約束の時間よりも30分も早く記念館に着くと、「お早いですね~」と言って出迎えてくれた人がいらっしゃり、わたしは無事記念館を見学することができたのでした。

カメラを持っていったのですが、作品を写真にとってはいけないと思って中は撮ってきませんでしたが、こうして記事にするとなると、実際の絵がないとなかなかうまく伝えられないのであれですが、ちょっと感想を書いておきます。
竹中英太郎はわたしにとっては、ほとんど、「新青年」の時代に江戸川乱歩や横溝正史たちに挿し絵を描いた人でしかなくて、あんなに、昭和の後期にカラーの絵を描いていたなんてのは、ちょっと驚きでした。たとえばちくま文庫の夢野久作全集のカバー絵もそうなんですね。
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こんな感じの幻想的で、きれいな絵が多いのですね。ま、きれいな中にも、ちょと毒があったり、怪しさがあったりします。昆虫で言ったら、やっぱり昼間野に飛ぶ蝶ではなくて、夜、誘蛾灯集まる蛾って感じです。それって、そのまんま、江戸川乱歩のイメージであり、横溝正史のイメージなんですね。
竹中英太郎は、「鬼火」(横溝・昭和9年)の挿し絵を描いた後でなぜだか急に断筆してしまうのです。そして満州に渡ってしまう。その理由は「謎」ということになっています。横溝の「鬼火」は、新青年発刊に際して検閲で一部削除されてしまうんですね。これは想像ですがあるいは、竹中英太郎の挿し絵も削除されてしまったのかもしれません。削除にならぬまでもあるいは、そうとう嫌気がさすようなことがあったのかもしれません(この点はこの記事を書いている時点ではわかりません)。
また、挿し絵画家ということが自体が嫌になったのかもしれません。絵が独立した作品でなく、小説のおまけでしかないというのは、同じ絵で食っていくとしても、イラストレーターやポスター作者ともまた違う、作家としてはちょっと不満というか、不自由というか、どこか半人前みたいな気持ちを抱いたのかもしれません。これも想像ですが、わかるような気はします。売れれば売れるほど、どこかその、コバンザメ的というか、人の褌で相撲をとってるみたいなところがあるような感じだったのかもしれません。
戦後、竹中英太郎が再び絵を描き、世に送り出したのは、息子竹中労の企画した映画の宣伝ポスターだったそうです。以後、レコードのジャケット用の絵だとか、書籍の表紙の絵などを描いたということなのようです(「ようです」というのは、これらすべてが「受注による制作」だったのかどうかが今ひとつ不明だからです。あくまで、理屈の上のことですが、書きためておいたものを提供するという形態もありえるわけですから)。
もちろん、明らかに受注によって制作したものもあったわけです。興味深かったのは、五木寛之原作の映画「戒厳令の夜」の中で使われた5枚の絵を描いたのです。「戒厳令の夜」は、偶然発見された「幻の絵」によって、闇に葬られていたかつての政治的陰謀が明るみになってゆくというミステリー作品なのですが、その重要なアイテムである「幻の絵」を竹中英太郎が描いていて、それが残っていて展示されているのです。ところが、映画のために一枚は穴が開けられ(見たところ銃弾があたったというような設定でしょうか? 穴があいたまま展示されています)、別の一枚はなんと、火中に投じられて燃えてしまったようです! それには、驚くやら、あきれるやら、おかしいやら。天下の竹中英太郎を小道具の一つくらいにしか思っていないのは、呆れました(今ならカラーコピーの模造品を燃やしたでしょうに~)。
燃やされるくらいの作品ですから、かなり重要な作品だったかもしれませんが、この映画、DVDになってないのですね。ちょっと検索したら、たのみこむってサイトがあって、たまたま、映画「戒厳令の夜」のDVD化がたのみこまれていました。得票数がある水準以上に達すると実現するかもしれません。
→ 映画「戒厳令の夜」のDVD化をたのみこむページ
挿し絵とこうした作品の違いは、注文を受けて描くという点では共通していても、表現するテーマ性というか、作家の作品に関わる主体性というか、内面の表現度というか、そうしたものが、質的に全く異なってくると思うのですね。挿し絵はあくまで付録的なのに比べて、ポスターや表紙絵は、自分自身で一人歩きすることが可能なので、主従が逆転しているとさえ言えるでしょう。
戦後の竹中英太郎はそうした、挿し絵画家ではない、画家としての独立性みたいなものを持ち得るようになったのかもしれないということが、あるいは言えるかもしれないのですが、ただ、挿し絵画家としての業績があまりにも大きすぎて、幸か不幸か、なかなかそこから脱し得ないと思うのです。おそらく、竹中英太郎自身は、挿し絵画家、それも、なんとなく際物的な色合いのする、エログロな挿し絵画家からは離れたいと思っていたと思うのです。江戸川乱歩も、自分がエログロで変態趣味の本家のように言われるの嫌がってましたから。
ただ、ファンというのは勝手なもので、江戸川乱歩にエログロの作風の作品を求めたように、当のご本人意向はともかく、竹中英太郎がエログロな挿し絵画家であってももらって、いっこうにかまわない、むしろ大歓迎なわけなのですけどね~。
長くなりました。その後、予定どおり山梨市の横溝正史館を訪れたのですが、特に書くことはありません。あえて書けば、今回の度では、メインは竹中英太郎(記念館)の方で、横溝正史(館)は、もう、挿し絵以下というか、刺身のつまにもなりませんでした。

最後に。
「風林火山」などの影響などで、信玄をたずねて甲府を訪れたら、ぜひ、竹中英太郎記念館を見学してみましょう。もちろんそこに信玄はいません。戦国時代もありません。ただ、いいと思います。こういう人がいたということを知って損はないと思います。特に、ミステリーが好きな人で、江戸川乱歩や横溝正史を読んだことがあるなら、ぜひ、見てみてほしいと思います。
え、そんなら山梨の横溝正史館へ行きたいって? そっちこそ、何かのついででいい。たいしたものはないよ、ほんとうに~。
たぶん、初めての人は、住所とか地図などわかっていても、一発ではいけないだろうけど、それでもこれが一番わかりやすいと思います。
→ 襟裳屋:湯村の杜竹中英太郎記念館の紹介ページ
さらに追記。
帰宅後、入院中の館長に再度Cメール。「ブログを持ってるので記事を書きますよ」と書いたら、「早く退院して、記事を読みたいです」ということでした。
末筆ながら、一日も早いご回復、ご退院をお祈りします。そして、この記事を楽しく読んでいただけますことを願っております。
COMMENT
2007-07-13-Fri-15:44
リンク集に追加のご連絡
2007-07-13-Fri-16:49
いつぞやは横溝正史館についてのブログ記事にトラックバックありがとうございました。
今回の訪問記もなかなか読みごたえがありますね、私の竹中英太郎記念館リンク集に追加させていただきました。
http://takenaka.s216.xrea.com/link_takenaka.htm
今回の訪問記もなかなか読みごたえがありますね、私の竹中英太郎記念館リンク集に追加させていただきました。
http://takenaka.s216.xrea.com/link_takenaka.htm
☆金子さん
2007-07-13-Fri-22:42
退院おめでとうございました。そしてコメントありがとうございます。
失礼なんてことはちっともありませんて(笑)
今回だって、記事の中では、おもしろくなるよう少し大げさに書いたのですが、とらえようによっては、いささか感動的な旅行になったわけです。偶然cメールが通じて、電話でお話ができて、親しく見学させていただけたわけですから。
そして、また今回の件で、わたしは、記憶にとどまる特別な客になることができたわけです。ものは考えようですよ。
ごゆっくりなさってください。次にうかがうときは、あらかじめご連絡してうかがいますね。
失礼なんてことはちっともありませんて(笑)
今回だって、記事の中では、おもしろくなるよう少し大げさに書いたのですが、とらえようによっては、いささか感動的な旅行になったわけです。偶然cメールが通じて、電話でお話ができて、親しく見学させていただけたわけですから。
そして、また今回の件で、わたしは、記憶にとどまる特別な客になることができたわけです。ものは考えようですよ。
ごゆっくりなさってください。次にうかがうときは、あらかじめご連絡してうかがいますね。
☆アイシティさん
2007-07-13-Fri-22:49
コメントありがとうございます。
リンクなどへのご紹介もありがとうございます。
ま、横溝館などちゃっちいと書いてしまいましたが(笑)、せっかくですんで、近々、横溝館訪問記事も書いてみたいと思います。よろしく~
リンクなどへのご紹介もありがとうございます。
ま、横溝館などちゃっちいと書いてしまいましたが(笑)、せっかくですんで、近々、横溝館訪問記事も書いてみたいと思います。よろしく~
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遠方よりのご来館本当に有難うございました。
もう、山梨には暫くはおいでになられないかもしれませんが、いつかお目にかかり失礼をお詫びしたいと心から思っております。
ブログも楽しく、有難く拝見させて頂きました。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
館長 金子 紫