David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
横溝正史館(山梨市)も訪ねて
2007-07-18-Wed
先日、「竹中英太郎記念館を訪ねて」という記事のなかで、横溝正史館について、見る価値なしみたいなことを書いてしまったのだけれど、ま、正直これを旅のメインにするというのはどうかというようなところでして、ついでにもうちょっとって言うのならいいと思います。

ただ、横溝正史といったら、江戸川乱歩と並んで日本のミステリーの巨人でありますから、そういう観点で、興味や思い入れのおありになる方は見ておいてもいいかと思います。ま、わたしもその口です。そういえば、平成16年に乱歩邸が公開されたときに行ったのですが、それに比べたら、今回の横溝邸はほんとうに小さなものです。乱歩直筆の書がありましたし、乱歩が横溝正史に書き送った手紙とかもあって、ま、ふ~んという感じで見ることができます。ま、お二人ともわたしの「青春の作家」なんで、もう少し若い日に訪れることができたら、感動もちょっと違ったかもと思います。

横溝正史館の中にガイドの方がいらして、ちょと、なるみに似たおねいさんでした。そうですね、もう少し大柄な感じなんで、なるみとしずちゃんを混ぜたみたいな人でしょうか。とっても親しみが持てました。
山梨と横溝正史との関わりについて、ひじょうに苦しそうに説明して下さいました。横溝正史は電車が嫌いというか、乗り物嫌いだったんだそうです。軽井沢などによく出かけられたのですが、電車で旅行するときも、しょっちゅういろんな駅で途中下車したんだそうです。ずっと電車に乗っていられなくて。で、散歩した。そこで、山梨駅でも途中下車して笛吹川河畔を散策したそうなんです~って(笑)。
あ~、そんなの、ちょっと詐欺っぽいわ。全く関係がないに等しいんじゃないですか、「途中下車して散歩した」って。それもわざわざじゃなくて、たまたまでしょう。いくつか途中下車したうちのひとつなんて。ま、「散歩しながら小説のアイデアを練った」と言わなかっただけ、ま、よしとしましょうか(笑)。
展示品には、直筆原稿とか置いてありました。横溝は200字詰めが多かった。原稿用紙というのは普通400字でしょう。横溝は200字でしたって、おねいさんが説明してくれました。ま、学校の宿題とかでは、確かに400字の作文用紙が多かったのですが、実は200字のもちゃんと市販されてますよって教えてあげようかと思いましたがやめました。せっかく気分よくお話しされてるのに~。
そのとき思ったのは、これはこうした記念館の定番かも。でも、今の作家たちだと、「使ってたPC」とか「愛用のワープロソフト」とかが展示されるかもしれませんよね~。「この作家の使ってたATOKの登録辞書」なんてのは、研究者はおもしろがるかもしれませんが(念のために書きますが、こげなものは横溝館にはありません)、物見遊山的な発想にはどうかという感じですね。
ポスターも数枚展示されてました。有名な「犬神家の一族」とか、「八墓村」とか。ほとんどが映画のです。その中で、これ珍しいんですよって教えてくれたのが、国鉄(今のJR)が出した「一枚の切符から」ってシリーズのポスターでした。どうして、こんなに丁寧にガイドがついてもらえたかというと、ほかにお客がいなかったので、マンツーマンで案内してもらえたんです。言い方でしたよ~(笑)
実は竹中英太郎館を見てきたんだと言ったら、休館の事情をご存じで「今、ご病気で休館なさってるはずなのですが、開いてたのですか?」と聞かれました。電話して代理の方に開けてもらったことをつげました。けっこう連携してやっていこうということのようです。うまくいくといいと思いますけどね、時代的には同時代なのだから。

ええと、こんなふうにメインにはならない、展示物はたいしたことはないと書いて来ると、ほんとうにつまらないような印象なんですが、そもそもこのこの建物が重要なんですよ。横溝正史が晩年執筆していた書斎なんですね。これも、おねいさんから聞いたのですが、成城(東京都世田谷区)にあった横溝邸が取り壊されることになると聞き、ある古書店主がどうにももったいないと思われたのです。よくわかります! よくぞ、そう思って下さいました。ファンはここに感謝せねばなりません。その努力を振り返ることなく、展示がお粗末、もの足りないなどと言っていてはバチが当たるというものです。
そこに横溝が座って、金田一耕助を書いていたはずなんです! そうではあるが、もう一つなにか感じがしないのはなぜなんでしょう。一つは、妙に明るいとういことがあると思います。本当にこんな明るいところで、横溝はあの陰惨な殺人事件を発想していたのか。その当たりがどうにもしっくりこないのですね。江戸川乱歩は土蔵の鎧戸を閉め、燭台を立てて執筆しているというような噂が立ったようですが、そこまでとはいいませんが、正直そこに横溝が座って書いていたって姿が、ちょっと想像できないくらい、明るく人の気配のしない建物になってました。成城というのは高級住宅街らしいんで、どんなところか知りませんが、もう少し建物の周囲をそれに近い雰囲気をだしてもらえるといいんじゃないかと思いました。

学生時代石山寺にいったときに、確か紫式部が源氏を書いたということで蝋人形が置いてあったんじゃないかと思います。今でもあるかどうかはしりませんけど。そこまではいかなくても、せめて原寸大パネルとか、肖像画(乱歩邸にはあった)くらいを展示して、そこに横溝がいたって気配を感じさせてくれたらなぁと思いました。

ただ、横溝正史といったら、江戸川乱歩と並んで日本のミステリーの巨人でありますから、そういう観点で、興味や思い入れのおありになる方は見ておいてもいいかと思います。ま、わたしもその口です。そういえば、平成16年に乱歩邸が公開されたときに行ったのですが、それに比べたら、今回の横溝邸はほんとうに小さなものです。乱歩直筆の書がありましたし、乱歩が横溝正史に書き送った手紙とかもあって、ま、ふ~んという感じで見ることができます。ま、お二人ともわたしの「青春の作家」なんで、もう少し若い日に訪れることができたら、感動もちょっと違ったかもと思います。

横溝正史館の中にガイドの方がいらして、ちょと、なるみに似たおねいさんでした。そうですね、もう少し大柄な感じなんで、なるみとしずちゃんを混ぜたみたいな人でしょうか。とっても親しみが持てました。
山梨と横溝正史との関わりについて、ひじょうに苦しそうに説明して下さいました。横溝正史は電車が嫌いというか、乗り物嫌いだったんだそうです。軽井沢などによく出かけられたのですが、電車で旅行するときも、しょっちゅういろんな駅で途中下車したんだそうです。ずっと電車に乗っていられなくて。で、散歩した。そこで、山梨駅でも途中下車して笛吹川河畔を散策したそうなんです~って(笑)。
あ~、そんなの、ちょっと詐欺っぽいわ。全く関係がないに等しいんじゃないですか、「途中下車して散歩した」って。それもわざわざじゃなくて、たまたまでしょう。いくつか途中下車したうちのひとつなんて。ま、「散歩しながら小説のアイデアを練った」と言わなかっただけ、ま、よしとしましょうか(笑)。
展示品には、直筆原稿とか置いてありました。横溝は200字詰めが多かった。原稿用紙というのは普通400字でしょう。横溝は200字でしたって、おねいさんが説明してくれました。ま、学校の宿題とかでは、確かに400字の作文用紙が多かったのですが、実は200字のもちゃんと市販されてますよって教えてあげようかと思いましたがやめました。せっかく気分よくお話しされてるのに~。
そのとき思ったのは、これはこうした記念館の定番かも。でも、今の作家たちだと、「使ってたPC」とか「愛用のワープロソフト」とかが展示されるかもしれませんよね~。「この作家の使ってたATOKの登録辞書」なんてのは、研究者はおもしろがるかもしれませんが(念のために書きますが、こげなものは横溝館にはありません)、物見遊山的な発想にはどうかという感じですね。
ポスターも数枚展示されてました。有名な「犬神家の一族」とか、「八墓村」とか。ほとんどが映画のです。その中で、これ珍しいんですよって教えてくれたのが、国鉄(今のJR)が出した「一枚の切符から」ってシリーズのポスターでした。どうして、こんなに丁寧にガイドがついてもらえたかというと、ほかにお客がいなかったので、マンツーマンで案内してもらえたんです。言い方でしたよ~(笑)
実は竹中英太郎館を見てきたんだと言ったら、休館の事情をご存じで「今、ご病気で休館なさってるはずなのですが、開いてたのですか?」と聞かれました。電話して代理の方に開けてもらったことをつげました。けっこう連携してやっていこうということのようです。うまくいくといいと思いますけどね、時代的には同時代なのだから。

ええと、こんなふうにメインにはならない、展示物はたいしたことはないと書いて来ると、ほんとうにつまらないような印象なんですが、そもそもこのこの建物が重要なんですよ。横溝正史が晩年執筆していた書斎なんですね。これも、おねいさんから聞いたのですが、成城(東京都世田谷区)にあった横溝邸が取り壊されることになると聞き、ある古書店主がどうにももったいないと思われたのです。よくわかります! よくぞ、そう思って下さいました。ファンはここに感謝せねばなりません。その努力を振り返ることなく、展示がお粗末、もの足りないなどと言っていてはバチが当たるというものです。
そこに横溝が座って、金田一耕助を書いていたはずなんです! そうではあるが、もう一つなにか感じがしないのはなぜなんでしょう。一つは、妙に明るいとういことがあると思います。本当にこんな明るいところで、横溝はあの陰惨な殺人事件を発想していたのか。その当たりがどうにもしっくりこないのですね。江戸川乱歩は土蔵の鎧戸を閉め、燭台を立てて執筆しているというような噂が立ったようですが、そこまでとはいいませんが、正直そこに横溝が座って書いていたって姿が、ちょっと想像できないくらい、明るく人の気配のしない建物になってました。成城というのは高級住宅街らしいんで、どんなところか知りませんが、もう少し建物の周囲をそれに近い雰囲気をだしてもらえるといいんじゃないかと思いました。

学生時代石山寺にいったときに、確か紫式部が源氏を書いたということで蝋人形が置いてあったんじゃないかと思います。今でもあるかどうかはしりませんけど。そこまではいかなくても、せめて原寸大パネルとか、肖像画(乱歩邸にはあった)くらいを展示して、そこに横溝がいたって気配を感じさせてくれたらなぁと思いました。

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