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【追悼】小西甚一~「古文の読解」

2007-06-02-Sat
本日(6月1日)付の読売新聞のコラム「編集手帳」は次のようなクイズで始まっている。

次の漢字に音読みのふりがなを付けよ。
 「欧」「桜」「押」「横」「翁」…。


いかがだろうか? 「音読み」はみんな同じ「おう」でいいではないかと、ま、誰でも思うだろう。しかし、そうではないと「編集手帳」は続けている。

お茶の子さいさい、すべて「おう」で満点さ――というのは現代かなづかい(新かな)の場合で、昔の人は大変だった◆歴史的かなづかい(旧かな)では、上から順に、「おう」「あう」「あふ」「わう」「をう」となる。


ああ、そうなんだ~。そいつはびっくりだ。「おう」と発音する仮名遣いが、むかしはそんなにあったなんて。終戦の翌年(1046年=昭和26年)11月、政府は告示によって旧かなを新かなに改めた。ま、「おう」の書き方がこんなにあってはたいへんなので、少しでも発音に近い形に整理していこうという考えである。しかし、そういう動きに反対する人たちもいた。ただの利便性だけを考え、言葉の歴史を軽く扱うその態度に疑問を感じ、異議を唱えたのだ。

それはそうだろう。たとえば、「妻」の訓読みは「つま」で、「新妻」「人妻」と書くときは「にいづま」「ひとづま」だが、「稲妻」のときは「いなずま」と書けという、なんとも不合理なことを言っていたのだから(これは昭和61年になって許容ということになった)。じゃぁ、「妻」という漢字に「ずま」という読みを認めるのかというとそういうことではない。あくまで「妻」という漢字の訓読みは「つま」しかない。これは「川」の訓読みが「かわ」しかなく「がわ」という読み方を認定していないのと同じ理由である。

ただ、「川」は「小川」のときは「おがわ」となる。これは、国語的には「連濁(れんだく)」という現象であって、わざわざ読み方を認定しないのが普通なのだ。「海原(うなばら)」や「子会社(こがいしゃ)」など、みな連濁なのだ。そして当然、「新妻」も「稲妻」も連濁である。「にいづま」と「いなずま」では、その連濁という日本語の性質が見えなくなってしまっているではないか(※この点は昭和61年に「許容」ということになって、「いなずま」が望ましいが、「いなづま」でもよいことになった)。

そんなお粗末なものだったから、もちろん従いたくないという人も、むしろ有識者には少なからずいた。

旧かなを深く愛惜する人は新かなを使いたくない。なかには、新旧で表記が異なる言葉は用いず、新旧共通の表記となる言葉だけで文章を書く軽業師のような達人もいた


わたしはこれを読んで鳥肌がたった。そんなすごい抵抗の仕方を思いつく人がいたのかと。なんだろう。「悪法といえども法は法である」とソクラテスは毒杯を仰いだと言う。その態度が必ずしも正しかどうか、命までなくしてしまってはと思わないではないが、文章ならそんなことはない。不本意ながら新かなを使う人もいただろう。そんな中で、仮名遣いの制約を受けない言葉を選んで文章を書くなんて、なかなかやるではないかと、ま、その着眼点と実力に感動した。そして、それが、先日訃報を新聞で知った小西甚一だったと聞いて、わたしは、おおそうなのかぁと思わず唸った。コラムはこう続ける。

「いる」(ゐる)も「であろう」(であらう)も「考える」(考へる)も使えない。不自由極まる制約のなかで1冊の本を書き上げた人に、日本文学史の研究者で筑波大の名誉教授、小西甚一さんがいる◆講談社学術文庫に収められた「俳句の世界」は、全編、流れるような筆の運びで、読む人に制約の窮屈さを少しも感じさせない。中国文学者、高島俊男さんの評言を借りれば、「奇跡の名文」である


俳句の世界―発生から現代まで
小西 甚一
講談社 (1995/01)
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ああ、そうなんだ。小西甚一といえば、わたしの恩人の一人だろう。高校時代わたしは古文がちっともおもしろくなかった。興味が持ちきれないでいた。読書は好きだったし、物語を読むことは嫌いではなかったのだが、どうも、古典の授業というものが今ひとつ好きになれなかった。しかし、大学受験では必要だったので放り出さずに勉強しなければならなかった。

そんなわたしが、なんとかなったのは、小西甚一の受験参考書「古文の読解」のおかげにほかならない。Amazonで検索してみると出てこない。ネット検索をしてみると、復刊ドットコムにとりあげられていた。単に古文の文法書でも、古典文学の読解参考書でもない、古典の世界を現代の若者にわかりやすく解説しながら、それでいて、読解文法のポイントはきちんとおさえているという、ま、魔法の一冊といっても過言ではない。
 → 復刊ドットコム:小西甚一著「古文の読解」(旺文社)

そんな小西甚一の訃報を聞いた。享年91。正直なところ、むしろご存命だったのかと思ったくらいであった。考えてみれば相当失礼な話だが、でも、高校時代の参考書の筆者である。実際のところ、そんなものではないだろうか。

「編集手帳」の筆者は次のように結んでいる。

「編集手帳」は文字数の制約がきついものだから、どうも言葉足らずになってしまい…と、日ごろ言い訳ばかりの身である。碩学(せきがく)の名文を読み返しては、心ひそかに恥じ入る。


なかなかどうして、この日の「編集手帳」はすばらしいと思った。今朝、わたしは朝刊を手に「うぉ~」と声を出して吠え、家族に「今日のコラムはぜひ読め」と命令したくらいである(いちおう、わたしの家族はそういうと読んでくれようとはするのでありがたい)。

小西甚一さんのご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
 → Wikipedia:小西甚一
 → 読売オンライン:おくやみ:小西甚一



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COMMENT



2010-07-23-Fri-00:47
ステキな文をありがとうございます。
塾講師をしております。高校受験をする子供達を教えているのですが、教材を作っていて、「あう」が「おー」に なぜ なるのかを、どう教えようか 勉強していたところ このサイトにたどりつきました。読んでいて、「へぇ」と思いながら、少し感動して 思わず、コメントを 書かせて頂いています。
すごく 楽しく読ませて頂きました。
ありがとうございます。m(__)m

やぶさん

2010-07-23-Fri-12:45
コメントありがとうございました。

この編集手帳の小西先生のエピソードはすごすぎですよね。
新カナ時代に育った私たちには、もう、わかりませんけどね。

また、少し、記事を書いていこうかと思います。

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