David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
いなかの表現力
2005-02-23-Wed
「いなかのはなし」……夢野久作に「いなかのじけん」って短編があるのだけれど、あれが典型的な田舎の事件かどうかはともかく、わたしも「田舎」のことを書きたいのです。
ところでここまで書き出すと、知プラー根性がむくむくと頭をもたげます。--ん? 「田舎」って、なんで「いなか」なんだ? 「田舎」と「いなか」がどうしてくっついたんだなどと--これは、言いたいことを書き抜きたいという時には、いささか邪魔なんですが、楽しめる文章にするにはそれなりに役にたったりします。
そこで、知識検索! ありました~。わたしと同じ疑問ですね~。
→ 知プラ『田舎』という字は……。
この回答(うさなまけさん)によると、
・「田を作るための建物」を「たい(田居)」と呼び、田居が立ち並ぶさまを「たいなか(田居中)」と呼び、それがつづまって「いなか」になったという説。
・「稲」でつくられた家ということで「稲家=いなか」となったという説。
などが紹介されています。ふむふむ。それが、漢語の「田舎」と合体したわけですね。そかそか。ま、それなりにうなずけます。
さて、閑話休題。そのような田舎では昔ながらの人たちが、昔ながらの人間関係のまま住んでいるのです。もちろん、子どもが成長し、独り立ちし、家庭を持ち、大人が老いていくというような変化はあります。商売も「家を継ぐ」みたいな発想が残っていますので、あまり変わりません。ただ、時代の流れでシャッターを下ろしてしまう店も少なくありません。
で、そういう生活の中で、たとえば、あるお店で買った品物が、いささか古かったとか、調子が悪かったとしましょう。「おい、どういう品質管理しているんだ!」とか、「おい、どうなってるんだ、こんなもの。交換しろ」とか、そういう強い口調で抗議はあまりしません。それは、お客と店という以外に、別の人間関係がそこにあるからです。同じ共同体を生きていく仲間であるという意識がどこかに流れている。それも、代々、おそらく持ちつ持たれつで共同体を維持してきているので、それを、たった1つの「不良品」でぶちこわしたくないわけですね。
だから、そういう時には、「文句を言う(クレーム)」でなくて、「相談」になります。「この前の少し古かったよ~おまけしてよ」とか「調子が悪いけど、見てくれない?」とか、なんというのか、今後も互いに取引を続けていくという前提での話し合いです。もちろん、その関係は現代の田舎都市でもかわらないでしょうし、お客と店との関係としては、ひとつの理想的な関係だと思います。
ところが、かたやそこに、「競争社会」「競争原理」が出てくるとどうなるか……。このお客からの相談が、一気にクレームになり、さらに、「他社に乗り換える」という、ある種の脅しになり、場合によっては訴訟などにまでなっていくわけですね。逆にそれを恐れるあまり、「お客様は神様だ」ってことになっていくわけです。
長くなりましたが、表現力の話です。田舎の表現力を表に、そして、競争原理契約社会の理念を裏に、そうしてしなやかに渡っていくって、これって、わざわざ書くまでもなく、大人はみんな知ってることなんですけどね。
いや、訂正、以前の日本人はみんな知っていたはずのことだったんですけどね。

~~~~~~~~~~~~~
閉鎖された他ブログからの待避転載です。埋没させるだけになるのもなんなんで、黒さんのブログ「White Night」の記事「させられっぱなしかよ」にトラックバックさせていただきました。その折り、一部加筆訂正しました。
ところでここまで書き出すと、知プラー根性がむくむくと頭をもたげます。--ん? 「田舎」って、なんで「いなか」なんだ? 「田舎」と「いなか」がどうしてくっついたんだなどと--これは、言いたいことを書き抜きたいという時には、いささか邪魔なんですが、楽しめる文章にするにはそれなりに役にたったりします。
そこで、知識検索! ありました~。わたしと同じ疑問ですね~。
→ 知プラ『田舎』という字は……。
この回答(うさなまけさん)によると、
・「田を作るための建物」を「たい(田居)」と呼び、田居が立ち並ぶさまを「たいなか(田居中)」と呼び、それがつづまって「いなか」になったという説。
・「稲」でつくられた家ということで「稲家=いなか」となったという説。
などが紹介されています。ふむふむ。それが、漢語の「田舎」と合体したわけですね。そかそか。ま、それなりにうなずけます。
さて、閑話休題。そのような田舎では昔ながらの人たちが、昔ながらの人間関係のまま住んでいるのです。もちろん、子どもが成長し、独り立ちし、家庭を持ち、大人が老いていくというような変化はあります。商売も「家を継ぐ」みたいな発想が残っていますので、あまり変わりません。ただ、時代の流れでシャッターを下ろしてしまう店も少なくありません。
で、そういう生活の中で、たとえば、あるお店で買った品物が、いささか古かったとか、調子が悪かったとしましょう。「おい、どういう品質管理しているんだ!」とか、「おい、どうなってるんだ、こんなもの。交換しろ」とか、そういう強い口調で抗議はあまりしません。それは、お客と店という以外に、別の人間関係がそこにあるからです。同じ共同体を生きていく仲間であるという意識がどこかに流れている。それも、代々、おそらく持ちつ持たれつで共同体を維持してきているので、それを、たった1つの「不良品」でぶちこわしたくないわけですね。
だから、そういう時には、「文句を言う(クレーム)」でなくて、「相談」になります。「この前の少し古かったよ~おまけしてよ」とか「調子が悪いけど、見てくれない?」とか、なんというのか、今後も互いに取引を続けていくという前提での話し合いです。もちろん、その関係は現代の田舎都市でもかわらないでしょうし、お客と店との関係としては、ひとつの理想的な関係だと思います。
ところが、かたやそこに、「競争社会」「競争原理」が出てくるとどうなるか……。このお客からの相談が、一気にクレームになり、さらに、「他社に乗り換える」という、ある種の脅しになり、場合によっては訴訟などにまでなっていくわけですね。逆にそれを恐れるあまり、「お客様は神様だ」ってことになっていくわけです。
長くなりましたが、表現力の話です。田舎の表現力を表に、そして、競争原理契約社会の理念を裏に、そうしてしなやかに渡っていくって、これって、わざわざ書くまでもなく、大人はみんな知ってることなんですけどね。
いや、訂正、以前の日本人はみんな知っていたはずのことだったんですけどね。

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閉鎖された他ブログからの待避転載です。埋没させるだけになるのもなんなんで、黒さんのブログ「White Night」の記事「させられっぱなしかよ」にトラックバックさせていただきました。その折り、一部加筆訂正しました。
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