David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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お正月小景~テレビで駅伝を見る

2007-01-06-Sat
ことしの正月はなんか落ち着いていた。

もう毎年のことであるが、初詣にはいかない、年賀状はかかない、書き初めはしない、お屠蘇は飲まない。初日の出は見に行かない。正月などどこがめでたいものかと、やや偏屈になっている。

正月の風習で受け入れていること、鏡もちを飾る、しめ縄をかざる、お雑煮を食べる、お年玉をあげる、おせちを食らう。実家に帰って父母に会う、こたつで蜜柑を食べてごろごろして、テレビをたれ流すくらいのことだろう(これ風習?)。

「一年の計は元旦にあり」などと言われても、一年の計などというものを元旦には立てない。いつもなら、そう、ちょうど今ごろぼちぼちと立て始めるのだ。今年はどうしようかなって。

わたしがこういう自堕落でくだらない正月を送るようになったのも理由がないわけではない。なにか積極的に意図してなったわけではなくて、なりゆきでもあった。商業主義的というか、クリスマスからお正月にかけての、幸せの押し売り、おめでとうの押しつけにはうんざりだということはあるだろう。おそらくこれが、この時期の寂しい青少年を犯罪に駆り立てる一因だとさえ思っている。

で、なんだろう、もう少し自分自身が心から素直にクリスマスを楽しめ、おめでたいという気分になれないものかと、ま、そんなところでわだかまっていたのかなと思う。「ハッピ~」ってほんとに言えるのはいつだろうって。ま、ちょっと変な例でいうと、お葬式で、儀式などのだんどりがどんどん進んでしまって、自分が故人の思いを充分に処理しきれていないって感じに似ているかもしれない。そういう一種の乗り遅れ感が毎年この季節に訪れるわけだ(ところが、わたしは今年はそれが比較的に軽かった。ああ、なにかがちょっとだけ満たされたんだなと、ま、勝手に喜んでいる)。

居間のテレビで駅伝をたれ流しておいて、わたしはDSをやっていた。わたしは走るのが遅い。それもとてつもなく遅いために、リレーなどという種目はぞっとする。もう致命的である。もちろん、わたし一人ではなく、ほかにも足の遅い子どもはいたので均等に配してくれればそれなりに勝負にはなるのだが、それにしても図体はいたずらにでかいのでその点は少しかっこわるいのだ。そして、やはり、絶望的に遅いことといったらなく、同じチームの速い子がフォローしてくれるなんてふうに前向きに考えることができない相談なのだ。リレーでもそうなのに、駅伝などという恐ろしい種目はない。みんなで襷(たすき)に思いを込めるだとか、お守りなんかを縫いつけてあったりして、それを必死につなぐというのである。あ~いやだ。堪えられないそんなの。

そして、沿道から地域の人たちが声援を送るのだ。さらにその走りをテレビカメラがアップで写して、アナが克明に放送してくれたりするわけだ。「8区の出人選手ブレーキ、大ブレーキです。いつも不安だ不安だ、走るのが嫌だって言ってましたが、その不安が現実のものになりました。もう半ベソです。みんなの思いを込めた襷をつなげることができるんでしょうか」なんて言葉、たまらないなぁ。恐いなぁ。ああ、嫌だなぁ。

そんなわたしだから、オリンピックだの世界陸上だの、水泳もそうだけど特に好きじゃない(笑)。見たいと思わない。あんなおそろしいもの。ただ、いつのころからか、箱根駅伝は毎年のようにたれ流して見ている。そんな嫌なものであっても、他局のおめでたムードの押しつけ番組よりは、まだ心が安らぐからかもしれない。

だから、今年もそうしながら、掛け軸裏のダンジョンに潜っていたのだ。
不思議のダンジョン 風来のシレンDS
セガ (2006/12/14)
売り上げランキング: 85
おすすめ度の平均: 4.0
3 評価が二分する作品。
4 理不尽なもんはあるけれど
2 初プレイの人は注意した方がいいかも‥。


で、シレンでなくて、箱根駅伝の話。

別に記録がどうとか、選手がどうとか詳しいわけではないのだけれど、また、わたしの出身大学はそもそも地方で、出場資格ははなからないのだけれど、そんなわたしでも、箱根駅伝の放送を見るのは嫌ってことはない。むしろ、いいなぁと思う。他局の番組がつまらんからこれをつけてるようなことを書いたけど、たぶん本当はそうじゃない。おもしろいんだと思う。その証拠に、やむなくクルマで出かけるとしても、カーラジオつけて経過を聞きたいくらいだから。

走って次の人につないで、そいつがまた走る。実に単純。ただ走るだけ。しかし、それでも、全員の体調管理だの、作戦だの、駆け引きだのたくさんあって、さぞたいへんなことだろうなと思う。選手やチームサイドだけでなく、運営サイドもさぞ大変だと思う。地域の人たちも。そして放送局も、ドラマがあるかのように工夫している(演出といえば演出もあるのでしょうけれど)。そういう一生懸命さが番組から伝わるのも心地よいのだろう。--いささか過剰ぎみなアナウンサーの言葉も、ま、けっこう楽しめる。自分が選手で、そんなこと言われたらウザイと思うだろうけど。ウルセー、ほんならオメーが走ってみろ!って(笑)

ま、わたしは駅伝を楽しんでいるってよりは、駅伝の番組を楽しんでいる、駅伝の放送を楽しんでいるってことなのかもしれない。

で、駅伝の話。今年の箱根駅伝(第83回)では繰り上げスタートが、最後の中継所までなかった。繰り上げスタートとは、大会の円滑な運営(主として交通規制という周囲への影響)のため、前のランナーが中継所に到着するまえに、次のランナーをスタートさせてしまうというシステムである。もちろん、計時はちゃんとして正式な記録として扱われる。特別配慮だからといって失格というわけではない。ここ過去2年はたまたまなかったけれど、以前は別に珍しくなかったと思う。

今大会ではどの中継所も繰り上げスタートはなしできたが、9区から10区のランナーへとつなぐ鶴見中継所で、惜しくもそれは発生した。「トップ通過後20分」という基準で、神奈川大学と学連選抜(単独で出場権を与えられなかった大学からの選手で作る合同チーム)とが繰り上げスタートとなったのだ。

スポーツとは非情なもので、敗者は時にひどくかわいそうなものである。甲子園の高校野球を見ていて、最後の晴れ舞台であんな痛恨の、逆転サヨナラエラーをしてしまったら立ち直れないだろうと思うことがある。この子は二度と野球をやりたくなくなるんじゃないだろうかと思ったりしてしまう。--もう、そんなふうに気持ちで負けてる時点で、自分はスポーツマン失格なんだろうけれど。

さて、駅伝の話。鶴見中継所。神奈川大学の9区のランナーは必死で走って目の前に(数十メートルというと誇張しすぎ?)中継所が見えた。10区のランナーが手を振っているのが見える。10区のランナーは腕時計を気にしながら、9区のランナーに声をかける。早く、早く。二人の気持ちは同じだったのだろう。お互いに姿が見えていた。そして、時間が来た。お互いの姿が見える中、9区のランナーを残して10区の選手はスタートを切った。

そういうルールなんだ。どの選手だっておそらく勝利を夢見、記録めざして練習してきた。だから、誰も責められない。責める人がいるはずはない。ルールなのだから。もちろん、わたしだってなんら10区のランナーを責めるつもりはない。彼が、必死で走る9区の選手を置きざりにしてスタートしたなどといって、ことさらに責めたいのではないのだ。それは、誰がどう考えても当然だし、それがスポーツというもので、おそらくわたしがその立場でもそうしただろうと思う。

ただ、ぼうっと見ていて思ったのは、彼は待つことはできないのか? という疑問だった。実況アナウンサーは「みんなの思いを込めた襷をつなげることができませんでした。無念でしょう。残念でしょう」みたいなことを叫んでいるし、実際、9区のランナーはゴールしたあとで、泣きながら「ごめん、ごめん」と謝っている(念のために書くが前のランナーの不調が積算されてここで繰り上げスタートになってしまったわけで、9区のランナーが特に悪かったということはない)。そんなら彼を待つことは許されないの?という素朴な疑問である。

球技だと「遅延行為」というのがある。主に勝ってるチームが、故意にプレイを遅らせることで時間を稼ぎ、結果相手チームの反撃できる時間を少なくしようという作戦である。ただ、多くのスポーツではこれをルールで認めていない。また、逆に、野球では「わざと負けるためにアウトになる」というのもルールでは認められていない。
 (→ 関連記事:「故意の三振はアウトなのか?~秋田高野連」

で、そういうルールとか作戦とか、変則プレイとか考えていると、ま、正月を楽しめないようなへそ曲がりは、駅伝を見てもへそ曲がりでしかないという証明なのだろうけれど、アナウンサーの実況を聞いていているうちに、「そんなに襷が大事なら待ってたらいけないの?」なんて変なことを考えてしまったというわけだ。

もちろん、ルールどおりにスタートしたものとして計時はされるのだ。自分の記録が悪くなるし、チームの成績にも響く。襷を待つなんて、そんなあまちょろいものではないのだろう。今までの努力を無にする、競技者としては恥ずべき行為だと思った。ただわたしはいつだどりつくかわからない人を待つというようなことではなくて(競技的にはそれでも大きな数字なのだろうけれど)、ただ目の前に見える選手を待つだけの話なのだ。これが、3メートルでも、1メートルでも待ってはいけないの? ま、そんな禅問答みたいな話なのだ(今回の神奈川大学のケースは20秒くらいの差だったという)。

たとえば、10区の選手が10メートルくらい走って、やっぱり待ってるわって戻ってきて、ゴールした9区の選手から襷を受け取って走り出したりしたら、どんな展開になるだろうって……、そこからちょっと夢想して、痛感した。

記録や勝負のことよりも、そういうことを考えるほうが楽しいなんて、とことんわたしはスポーツに向いていないんだということを。



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COMMENT



駅伝は苦手でした

2007-01-07-Sun-01:53
駅伝はとても苦手で(というかスポーツ観戦全般ですが)、箱根駅伝って関東の大学だけでするって事も昨日知った位です。
何となく借りた本が箱根駅伝に出場する大学生達の本で、それがもの凄く良くって、箱根駅伝見たい~~!ってなりました。ああ、でも時は既に遅し。借りたのは年末だったから早く読めば良かったようん。
駅伝のルール等もその本で知ったんですけど、襷渡せないって~。ええ~?って。そんなのイヤだ。うう。。。渡せない襷って一体……。ですよね。

☆あふろやんさん

2007-01-07-Sun-11:40
そうそう。

本当はレースしてるのに、なんか襷に注目が行ってしまうんですよね。やっぱり、襷より記録のはずなのにね。

それだけ、襷にシンボリックななにかがあるのですね。でも、なにか九区の選手に余計な負担をかけているような、そんな気もしませんか。

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