David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

スポンサーサイト

-----------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画:「愛を読むひと」~録画で

2012-01-30-Mon
「ミッション:インポッシブル/ゴースト プロトコル」が好調のようだが、そう言えば、以前主演のトム・クルーズが自分は「ディスレクシア」だと 公表して話題になったことがあった。「ディスレクシア」とは識字障害、つまり、字が読めないという障害なのだ。学習の機会がなかったというのではなくて、学習しても文字の意味がうまく認識できないという病気、というか、ま、障害なのだ。Wikipediaの「ディスレクシア」の説明によると、アメリカでは珍しくなくて、2割くらいがなんらかの識字障害だという調査もあり、俳優では、オーランド・ブルームやキーラ・ナイトレイもそうだという。字が読めないなら、脚本が読めず、俳優になどなれないと思うのだけれど、努力や工夫、あるいは、スタッフなどの協力で、あんなに素晴らしい俳優になっているのだから、字が読めなくてもいいとは言わないけれど、一つや二つの障害など、努力次第でなんとでもなるということだろうと思う。もちろん、そこには、現代の進んだ科学技術も大いなる手助けになっているのだろう。

その進んだ科学技術のおかげで、家庭で非常に快適にテレビの録画をし見ることが可能になりましたね。録画してエンドレスで映画やドラマを見ているような状態でして、ブログを書く暇がありませんわ。

というわけで、公開した当時には、さほど興味もなかった(というか、当時はスクリーンではアクションやスペクタクルなものを選んで見て、じっくりしたドラマはDVDで落ち着いて見るのがいいという傾向があったので)見ていなかった、「愛を読むひと」を、録画で見ました。

最初に評価を書いておきますが、わたしは、これは5点満点で5点、星五つをつけます。★★★★★です。



二十世紀のドイツを舞台にしたこの映画は、大きく二つの時代に分けられます。

前半は、主人公の男が十代の後半で、成熟した年上の女性(ケイト・ウィンスレット)に憧れ、性の導きを受け、そして、突然女は一方的に関係を断ち、姿を消します。大きな喪失感を味わうということになります。別れはつらい。突然で、思い当たることがないだけに少年は混乱と失意のどん底に落ちますが、ま、十代の男性の初めての相手としては、あるいは一種の理想的な恋愛のあり方の一つだろうとわたしなどは思います。女への思いは、苦く、甘く残るとしても、その後の人生で出会いのチャンスはいくらでもあるからです。

後半は、この女性との再会にあります。少年は大学へ進み法律を勉強しています。女は被告席にいます。大学の講義の一環で、法廷での裁判の傍聴ということで、傍聴席から、かつての恋人が被告席に立つのを目撃するわけです。ストーリー的には たとえばここで、少年はあの突然の離別の理由がわかったり、あるいはその後の女の生活への少年の存在の大きさがわかる……というのが、ま、おもしろいのかもしれません。それはそれでおもしろいかもしれませんが、時にご都合主義になりがちです。

本編では、被告席と傍聴席の距離は離れており、女には少年の存在がわかりません。それどころか、女は自分が立つ法廷の深刻な意味がわかっていないようにさえ思われます。成長し、客観的に見ることができるようになった少年はあることに気づきます。それは、女が自分を捨てた理由などではなくて、女にとっておそらくもっと大事なことだったわけですが、これ以上書くと本当のネタバラシになってしまうので、ここではあえてボカしておきます。

その女の「秘密」に気づいたとき、また、なぜ女がそれを秘密にしているのかを理解したとき、少年は迷います。果たして、自分が気づいたことを公開して、女の裁判を有利に展開したものか、あるいは、あくまで秘密にしたいという女の気持ちを尊重し、結果裁判が不利な展開に終わっても受け入れるのかと……。

この選択には正解はありません。少年が学生でなく、すでに法律家として一人前になっていたら、女の気持ちなどよりも、その事実を公開して、真実を伝えより公平な裁判となることを選択しただろうと思うのですが、そこは、また、女にとっての秘密の重さを察知して、より深く悩むことになります。このあたりも非常にドラマチックです。

判決が下り、女と少年のその後はから結末にかけての展開は感動的です。少年の側からすれば、恋愛のドラマと法定のドラマについて、まさに、人生上で決着させる場面ということになります。自分を重ねる部分もないわけでなく、感情移入をして見ることができました。まさに、愛の純粋さと、女への理解、そして、間近にいながら二度とも女を救いきれなかった一種の罪滅ぼしであるかのようです。悲しくもあり、また、温かくもあり、そしてまた、寂しくもあるシーンです。

ラストシーンはいくぶん蛇足っぽくもありましたが、ま、悲しいだけでなく、一種の清涼感がほしかったのでしょう。見ていない人は、お勧めです。

また、女の秘密に関わるネタバラシをどこかで読んだとしても、ま、それなりに味わえるいい映画だと思いますが、ま、できれば知らずに見る方がおもしろいと思います。


スポンサーサイト

映画の、正義の、ミカタ~正かな同人誌第2号用原稿

2012-01-26-Thu
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力

映画:「ハイドアンドシーク」~録画で

2012-01-24-Tue
妻を亡くした心理学者デービッド(デ・ニーロ)は、まだ幼い一人娘のエミリー(ダコタ・ファニング)と森の中の館に引っ越します。母を亡くしたショックから、無口になり、なかなか笑顔を見せようとしないエミリーの気分転換とういか、転置療法と行ったところでしょう。

親切な隣人夫婦や、エミリーと同じ年の姪の世話をしながら、新しい生活を夢見るバツイチ女性のエリザベスなど、デービッドに勇気を与えてくれて、エミリーの治療をアシストしてくれそうな人たちに囲まれて、デービッドはエミリーの安らかで幸福な生活を取り戻せるはずだったのですが……、なんとか一緒にエミリーの心を癒そうとするのですが、エミリーは「チャーリー」という謎のお友達がいるからと言って、一向になじまないのです。それはただのエミリーの嘘なのか、それとも、エミリーのなかに現れる攻撃的な交替人格かなにかなのか……。

そんなチャーリーの存在が次第に鮮明になりながら、謎が意外な結末へと急展開しておもしろいです。


→ 公式ページ

※事前にネットなどで結末とか、結末の謎への意見など読まないほうが絶対いいです。うちのブログもネタバラシはなしなんで、いつものようにここまでに。

映画:「ベンジャミン・バトン」~録画で

2012-01-22-Sun
公開中に劇場で見たいと思って見られなかったのを、年初めにテレビでやってたので、録画しておいて見ました。

メインは、病院のベッドの上で、一人娘に看取られながら人生の幕を閉じようとしてい老女が、分厚い一冊の手帳を出して、これを読んで欲しいと最後の願いをします。それは、80歳の老人の肉体をもって生まれ、普通の人とは逆に次第に若返り、やがて幼くなっていった一人の男の物語書かれていたのです。

後にベンジャミンとなることになる男は、自らの誕生の時に母が死んでしまいます。父は「この子を頼む」と言われて託されてたのですが、見ると赤ん坊の姿は、普通の赤ん坊とは似ても似つかぬ老人のような皺だらけの、生気のないものでした。おそらく、妻を亡くしていなければ、二人で力を合わせて、この奇妙な老体の赤ん坊を育てようという話になったことでしょう。しかし、混乱した父は、この醜い肉体をした子供が妻の命を奪ったかのように思い込んでしまい、ベンジャミンを捨ててしまうことになります。

ベンジャミンは子供が欲しくて授からない黒人夫婦によって拾われ、夫婦が自宅で経営する老人養護施設で育つことになります。すぐに死んでしまうのはないかと思われていたベンジャミンですが、老人の仲間にも愛されて育ちます。老人のまま、心は子ども。それがどんな気分であり、どんなことなのかわかりませんが、戸惑いの連続だったはずです。何よりも、だんだん若くなっていくなんてことは、その時は誰も思わなかったわけですので、誰もそんなふうに導いいてくれる人はいなかったのです。

ベンジャミンは次第に若返り、やがて、一人前の大人になっていくのですが、所謂思春期は60歳前後の肉体で迎えます。所謂性徴や異性への関心などが、この肉体でどのようになるのか生理的なことはわかりませんが、映画では、恋愛も、若者としての成長も、そして人間としての成長も描かれることになります。

ヒロインである、デイジーは普通に年をとる女性です。少女の頃、ベンジャミンの事情を詳しく知らずにベンジャミンと遊び、親しく接し、成長にしたがって別々の道を歩くことになります。それは、夢に向かって家を出て、事情により完結せぬまま家に戻るという、ま、ある意味普通の人生を歩く女性として描かれます。

その普通の人が、ベンジャミンのような特別の人とどう関わるか、特に、異性として愛する時にどう関わるか、また、それはベンジャミン自身にとっても難しい選択を迫られることにでもあって、この映画のひとつのクライマックスを形成するテーマとなっています。


→ 公式ページ

HOME NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。