David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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ドラマ:「IRIS」~DVDで

2011-11-30-Wed
韓国ドラマの「IRIS」を見ました。

ものすごくおもしろいドラマがあるけれど……と紹介され、ま、わたしは全然知らなかったのですが、彼女は割合と評価の目が高いので、信用して借りて見始めました。TBSテレビで放映していた韓国ドラマで、1話が70分で20話の構成、DVDで10巻ものです。

基本的に戦争ものや、銃撃戦ものは好みません。これは好みの問題で、イデオロギーの問題ではありません。それから絶対イヤとかそういうことでもありません。描き方ですが、ま、ここをうだうだいうところではないのですけど。で、冒頭は兵士っぽい服装をしたイ・ビョンホンが負傷して、軍事基地みたいなところさまよっている感じだったので、いや、こいうてゃハズレかと思って見始めたのですが、3話くらいでおもしろくなって、レンタルに継ぐレンタルで、20話10巻を、一挙に見終えました。

→ TBS;「IRIS」のページ

Wikipedia(「IRIS」)から少しデータ的なことを引用しておきます。

韓国での初回視聴率は24.5%、平均視聴率は30%を超え、最終回視聴率39.9%・最高瞬間視聴率50.2%を記録した。制作費は200億ウォン(約15億円)で、日本やハンガリーなどで長期海外ロケをしている。


ということで、韓国ではものすごい視聴率だったんですね。また、こんなことも載っています。

オリジナル第17話での光化門での銃撃戦は、ソウル市の全面協力で光化門広場一帯を12時間統制して進行された。映画やドラマを通して、初めて光化門広場での撮影が許可された。


当然このことも話題になり、人気に拍車がかかったんだろうと想像します。ところが、日本での放送となると、どうでしょう、ボロボロの惨敗って感じだったんです。

初回はスペシャル構成となり2話分が放送され、視聴率は10.1%。水曜劇場枠では『浅見光彦~最終章~』以来2作品ぶりの二桁スタートになった。韓国ドラマとしては好スタートを切ったと一部の韓国のマスコミなどで楽観的な評価もあったが、第2回(第3話)以降は6 - 7%程度の一桁が定着し苦戦。 視聴率挽回のために韓流好き芸能人を活用した口コミや、放送当日の昼に先週の再放送を流す、プレゼントキャンペーンを行うなどのてこ入れ策を行ったがほとんど効果はなく、6月に入ってからはテレビ東京の水曜シアター9にも抜かれて時間帯最下位を争うようになった。第17回(8月25日)では6.0%と最低を更新し、最終回は初回と同様に2話分が放送された。全18回の平均視聴率は7.1%だった。なお、アイリスの放送終了をもって、視聴率低迷が続く『水曜劇場』枠は廃止され、ドラマ枠は『渡る世間は鬼ばかり』(最終シリーズ)を後番組として木曜21時枠へと再移動した。10月以降のこの時間帯は毎日放送(MBS)制作のバラエティ番組に生まれ変わることになる。



これは残念な結果ですよ。物語としては十分おもしろいですから。しかし理由はなんとなくわかります。

そもそも、この設定となっているNSSという、韓国版MI6みたいな組織そのものが日本人にウケないと思いますね。NSSは任務として要人の警護だけでなく、暗殺も担当するのです。南北の緊張関係が続く韓国ならそれなりのリアリティを持って感じられるかもしれませんが、日本ではちょっとどうかなと思います。ショットガンをぶっぱなしたり、毒ガスや爆弾でテロを起こすとなると、う~んどうでしょう。映画ならともかく、テレビでこうした陰惨なシーンが毎回流れるのは、ちょっとどうかなと感じます。「洋画劇場」とは違うのですね。

設定やらなにやらは違うのですが、比較的似ている話として連想するのは、フジの系列の「SP」シリーズと言えるかもしれません。こちらはマンガが原作のドラマですが、けっこう銃撃もありましたし(多くは拳銃でしたが)、要人の暗殺とか、シリーズ全体では政権を転覆させるような大掛かりなテロというか、クーデターめいた話も出てきました。刑事ドラマとか、法廷ドラマとか、いろいろなジャンル分けをしていくと、「IRIS」とは比較的近い位置づけになろうかと思います。もちろん違いはありますが、ドラマ全体の中の位置づけとしてはです。

しかし、「SP」とはぜんぜん違うのは、SPは基本攻撃はなく、防衛が中心で、主人公は何かを勝ち取る側でなく、正義を守るとという立場で一貫していたということかと思います。これに対してIRISの主人公キム・ヒョンジュン(イ・ビョンホン)は、闇の作戦を実行し、目的は達成するが、自らは負傷するというミスを犯し、逃げることから始まります。もちろん、それは命令を受けてのことですが、なんだろう、最近覚えた言葉でいうと、コンプライアンス違反があるんですね、主人公に。

統一問題の残る数少ない国である韓国ならではのリアリティとも言えるでしょうが、そういうシーンや、テロに近いスパイ行為、自白剤を用いての拷問や尋問など、なんというか、そもそも日本が舞台ではとうていリアリティを感じないことの連続なんです。ま、この手のテーマは、日本では時代劇で、チャンバラや忍者や隠密でやってたのかもしれなが、韓国ではこれが通じるんだと思いながら見ていました。

ま、そういうことを承知で見ていると、それなりにスケールも大きい作品になっているし、イ・ビョンホンとキム・テヒ、キム・ソンファ、そいてチョン・ジュノの「四角関係」は、ま、「冬ソナ」(しかまともに見ていないのだけれど)に通じる、韓国お得意の切なさを持って感じられ、なかなか泣かせる展開となっていきます。一言で言えば、愛する人を守るために、不本意な作戦を受け入れなければならない男たち……というような。また、男女の間柄だけでなく、さまざまな環境の中で、生きる上で諜報活動や工作活動に関わらざるを得ない男や女の辛さも自然に描かれます。こういう話は、おそらく韓国であっても、日常的であるはずはなく、むしろ極めて珍しいケースなんでしょうけれど、それでも、ひょっとするとどこかでこんなことが行われているんだろうか……というような薄ら寒いリアリティを持つことができるのかもしれません。あちらでは。

ですが、ま、繰り返すようですが、そういうことを承知して、割り引いて見ても、この作品はおもしろいです。キム・テヒもとってもかわいいし、キム・ソンファもとても切ないです。もちろん、男たちも。

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観劇:「妻と社長と九ちゃんと」~劇団青年座公演

2011-11-27-Sun
演劇鑑賞の市民サークルに入っています。今回の例会は劇団青年座の「妻と社長と九ちゃん」という、古き良き昭和の文房具メーカーの世代交代の話です。世代交代には、平成から昭和へ、バブルの崩壊から国際化、グローバルスタンダードの時代の波が押し寄せる、経済的な背景は、もちろん無縁ではありません。企業が大きくなればなるほど、守旧的なだけではやっていけない、新しい波をいずれかの方法で受け入れなければならないのでしょうけれど。
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→ 劇団青年座:「妻と社長と九ちゃん188」のページ

現代の世代交代の話なんですが、こういう話は日本ではもう、わたしの子どもの頃からずっと続いています。たぶん。日本だけでなく、どこの国でもどの時代でも、どんな組織でも、新しい世代が古い理念や手法を否定するというのは、もういくつも繰り返されて来たのでしょうね。

この芝居のようにそれがメインテーマになっているかどうかは別にして、わたしが読んできた小説や見てきたドラマなどでも扱われてきました。古くて新しいテーマというか、永遠のテーマになるのでしょうね。芝居はおもしろく、脚本も四季と起承転結をうまくマッチさせていて、ポスターのワンポイントにもなってる梅の伏線もよく効いていていい出来ばえで、楽しんで見ました。ま、役者がテレビのような芝居でなく、大きなホールであるということを考えて、もう少し客の方を向いて台詞を言ってくれるとよく聞こえたと思うので、その点はやや残念でした。自然な演技を優先し、結果横を向いて声の通らない役者の台詞が聞こえない……。全体のテーマがわかればそれでいいというつもりかもしれませんが、ま、そんなら、テレビなり映画にみればいいわけですのでね、ま、創作サイドもホールに応じた演技の工夫を考えるべきですね。大ホール向けではないから、オファーを断るとかさ。ま、そもそも、そういう劇団はオファーしなきゃいいのですけれどね。見ないとわからないだけに、きちんと記録をとっておかないと。


映画「ベルセルク」三部作の公開予定とプレミアム前売りも発売される…って

2011-11-25-Fri
劇場版「ベルセルク」の話が続きますが、今回の「ベルセルク」の映画化は「《ベルセルクサーガ》プロジェクト」ってことになっていて、原作の世界観すべてを映像化する企画です。今回の劇場版は、ガッツがそうであったように、言わばプロジェクト全体の切り込み隊長的な役割を負っているのですね。2012年中に黄金時代篇三部作全てが公開される予定と、クララ広報官が伝えていました。公式ページのNewsにも掲載されていますので、少し転載。

『ベルセルク 黄金時代篇Ⅰ 覇王の卵』に続く、パートⅡとパートⅢのサブタイトルとその内容が解禁されました!
そしてパートⅡとパートⅢも2012年内に公開と、1年で3本の完全新作の長編劇場作品が公開されるという、史上初の試み。2012年はまさに、ベルセルクイヤーとなります!!
もともと黄金時代篇は、大長編1本を想定して進んでいたプロジェクトでした。しかし世界観を描ききるため、コンテを切る段階で長編三部作へと膨らんでいき、第一部1,114カット、第二部1,257カット、第三部1,591カット……全篇総カット数3,962カットという大ボリュームとなり、3部作に分けて公開されることとなりました。連作の劇場版アニメは昨今珍しくありませんが、それらは各1時間未満の中編であることがほとんど。『ベルセルク 黄金時代篇』は、第一部が約80分、第二部が約100分、第三部に至っては約110分余りの長編となり、2012年内というわずかなスパンで楽しめる前代未聞の大作アニメーション映画となります!!
→ 2012年に3作品公開決定!パートⅡ、パートⅢのサブタイトル解禁! | 映画『ベルセルク 黄金時代篇Ⅰ 覇王の卵』2012年2月4日ロードショー(c):2011 三浦建太郎(スタジオ我画)・白泉社/BERSER



2月公開が決定した『ベルセルク 黄金時代篇Ⅰ 覇王の卵』 に続いて、6月に『ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略』が、そして12年中に第3部の 『ベルセルク 黄金時代篇Ⅲ 降臨』 が全て公開の予定なんだそうです。サブタイトルや解説で見ると、ガッツとグリフィスとの関係から言えば「遭遇-共闘-離別」ということになるし、イベント的には「結団-大戦争-蝕」ということですね。「ベルセルク」全編を通じて、一番いい時代、まさに黄金時代の話です。ああ、そうか、「黄金時代まで-黄金時代-黄金時代の終わり」という三部構成なんでしょうね。

で、わたしが好きなのは、この中のガッツの生い立ちが書かれていることですね。まさにファンタジー王道とも言える、勇気と自立がそこに描かれています。生きるためにひたすら剣を振り続けてきたガッツは、剣によって地位を得ようとするのだけれども、果たしてそんなもののために自分が闘ってきたのかと悩むわけです。戦士が戦いに悩むこと、これは「人を殺す」「殺さなければ殺される」という現実の前には仕方のないことですが、その戦争を起こし、利益を得るものは、自らの手を汚さず後方で安穏と過ごしている……。グリフィスの鷹の団は常勝軍団で、まさに神がかりのように、敵の前線を突破、敵軍の大将を打ち破り栄光を勝ち得ていくのです。それは、鷹の団に出世をもたらし、地位と富をも与えます。

それでもなお、ガッツは悩む。なんのために自分が戦ってきたのか? こんなもののためか? と。自分の夢、自分の目的、自分の戦いについて苦悩するのです。それは、まさに、なんのために「ベルセルク」を描いているかという、作者そのものに重なるとき、まさに「ベルセルク」は、押井守が言うところの「表現」たりえていると思うのですね。
 → 過去記事:「映画「ベルセルク」黄金時代はコピーか……。

もう、十年以上前、マンガ喫茶にインターネットがなかった頃、初めて手にした「ベルセルク」は衝撃でした。時間を忘れて10巻以上読み続けた……。14巻まで(黄金時代)というのは、そういうすごい話です。ほんとうに、完全映画化を期待しています。


→ 映画公式サイト

映画「ベルセルク」黄金時代はコピーか……。

2011-11-25-Fri
押井守監督の「今のアニメはみなコピー」発言が話題になっているようです。

朝日新聞は2011年11月21日付けの電子版コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは

「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」

と語ったという。つまり、制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった、という批判だ。
 →  「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース 「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース


最近のアニメはほとんで見ていないので、今のアニメが押井監督の言う通りなのか、それほどでもないのかそういうことはわかりません。ただ、「コピーばかりで表現とは言えない」という言い方は、ま、アニメに限ったことではなくて、小説でも言われてきたことだと思います。流石に「表現ではない」とは言われなかったけれど、「小説とは何か?」というようなかたちで。詩でも同じです。つまり、本質的に言うと、芸術家か職人かってことですよね。消費者に迎合することなく、自分のテーマ性を求めて作品を作るかということだ。それは小説家たちも悩んできたし、ミュージシャンたちも悩んできたことなんですね。自分の作品を書くか、売れるやつを書くかって。

ことはアニメなのでよけいにそうなんでしょうね。ちと違いますが、テレビドラマでもそうでしょう。本当に映像作品が作りたければ、テレビドラマでなくて映画を作ればいいわけで、そういう中でのテレビドラマに、なんというか、大衆迎合でなく芸術性
を求めるかどうかということなんです。アニメもテレビドラマに近いポジションで消費されていますからね。

で、「火曜サスペンス劇場」などの二時間枠の推理物ドラマが流行った頃、もちろん全部ではないのですけれど、まさにこういう現象の非常にわかりやすい例があったと思うのです。どこのテレビ局の二時間サスペンスみても、なんとなく似たり寄ったりの展開なんです。そしてそれを飽きもせず視聴者は喜んで見てたのではないかと思います。押井監督がいうような「おたく」ではありません。「普通」の視聴者です。そして、それらが普通に視聴率はとれたんでしょうね。「今のアニメ」も同じような感じで制作されているのではないかと、ま、押井監督はおっしゃるのではいでしょうか。ただ、サスペンスドラマを見てるのは「おたく」のような一部の限られた人ではなくて、一般の人だったと思います。とはいえ、サスペンスドラマそのものが、何か、流行りものの流れに乗っかっただけのようなものってところがあるのかもしれませんね。

→ 映画公式サイト

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