David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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第61回正倉院展で琵琶を見る~奈良国立博物館

2009-10-30-Fri
先日やっといくつかの多忙な事情が一段落し、ふっと時間がとれましたので、奈良国立博物館で開催中の第61回正倉院展に出かけてきました。
 → 正倉院展の公式ページ

愛知県はクルマの町豊田があるおかげで、高速道路も整備されておりまして、朝8時前にこちらを出ますと、平日ですと、道路事情にもよりますが2時間余りで奈良に着くことができます。

公式ページによりますと、正倉院展開催中は休館なしで、しかも金~日曜日は午後7時まで開館しているということですが、なにぶん大混雑が予想され、道路の面でも、会場でのことを考えても、なんとかウィークデーに行けたらいいと思っていましたが、いろいろなやりくりがうまくいき、ふっと平日に時間がとれたのです。しかも、温かな、まさに小春日和と呼ぶにふさわしい日でした。

しかし、驚いたことに、最寄の駐車場はすでに満車、国立博物館を春日大社側にやりすごし大きく右に回ってしばらく進んだ兼営駐車場におかなければならないほどでした。徒歩15分……。土日でしたら、ここも満車だったかもしません。さらに、博物館には入管制限があり、15分待ちの行列でした。平日に言って正解とういべきか、平日でもこんな具合なんだと驚きました。

日本史について、はっきりいってわたしは詳しいほうではありません。いろいろ読んではいるのですが、ちっとも頭に入らないということもあって、正倉院がシルクロードの東の終点というようなことはわかっていても、あとは校倉造りだとか、そんな言葉しか思いつきません。
 → Wikipedia:「正倉院

だから、歴史的に意義あるものを見るというよりは、美しいものや素晴らしいものを見るという、そういう感覚で見に言ったのです。いくつも目玉があるのでしょうが、わたしが回った印象で、一番印象に残っているのは、「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」です。これは「平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)」と並んで、今回の中心的展示でしょうが、これが楽器というところが、非常に不思議でした。琵琶というと琵琶法師しか思いつかないわたしには、どんな演者がどんな衣装でどんな曲を弾いていたのだろうかというのが、大いなる謎でした。

だって、そうでしょう。全く鳴りもしない形ばかりが琵琶で、見てくれだけが豪華な楽器……。そんな楽器が意味があるでしょか? 演奏するために作られたものでなければ、それはそもそも楽器ではなく、楽器に似せたオブジェとか小道具とかでしょう。音色のよさや、演奏のしやすさを追求していけば、見事なまでの装飾は蛇足も蛇足、むしろ邪魔もの以外の何ものでもない、そう考えるとここまでする意味は何? と思われてしまうのでした。もっとも、音楽鑑賞自体が一部の選ばれた人の、贅沢な娯楽であったときに、演奏を楽しむ側から見れば、見た目にもすばらしい楽器からきれいな旋律が流れてくることは、格別の意味、それは至福の時間であり、貴賓を接待するときなどには大いなる意味があったtも思われます。琵琶である以上は少なくともそこそこの音色を奏でなければ、そして、それが宝物であるからには並々ならぬ音色でなければならないはずだと思うのですが、楽器としてのできばえはどうなんでしょうか。

イヤホーンガイドからは「番假祟」という曲を流してくれていました。なんでも正倉院から発見された世界最古の琵琶の楽譜だそうで、天平19年(747年)の日付けのある写経所の書類の裏に書かれていたそうです。全体に、鹿の角だとか象牙や貝がらなどで、精緻なまでのモザイク画が施され、演奏の際に撥(バチ)があたる部分(「捍撥(かんばち)」というのだそうです)には、虎狩をする馬に乗る人々や、宴会をする模様が描かれている……この贅沢な琵琶から、こんな地味な感じの曲が流れていたとは、なんとなくギャップを感じていました。


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「青い薔薇を贈りたい人」

2009-10-22-Thu
いつものように
ネットで新聞記事を読み、
青いバラが開発されたことを知る。

世界初の「青いバラ」が
11月3日から首都圏と京阪神、
愛知県内の生花店で発売されることになった。


ふっと浮かぶ面影。

妻でもない。
母でもない。
娘でもない。
もちろん、姉や妹でもない……。

そんなことに気づいてしまった夜の、
驚きとためらいと、そして、薄い花びらのようなせつなさ。蒼ざめた。

ああ、なんと罪深きものの発売されることよ。
責任をとれ。苦笑。




参考:
文中新聞記事
 → YOMIURI ONLINE:「世界初の「青いバラ」、来月3日発売

top_photo01.jpg
 → サントリー:「世界初!「青いバラ」の開発に成功!」のページ



映画:「さまよう刃」~劇場で

2009-10-22-Thu
東野圭吾原作の、少年による残虐な犯罪の被害者をテーマとした映画です。


 → 公式サイト

こういう根源的テーマの作品は好きなのですが、正直わたしは、長嶺(寺尾聡)よりも、犯人の少年たちの事情をもう少し知りたかったです。

いや、法の下の平等ですし、私刑は禁じられているわけですんで、極悪非道な少年たちであろうと、被害者の父親が復讐していいことにはなっていません。被害者がいかに家族に愛され、被害者の父にとって必要な唯一の家族であろうと、そしてよりにもよってあんな凄惨なビデオを見せられるはめになって、それは気持ちはわかります、誰だって……。しかし、父親自らが復讐の刃を持つことを、少なくとも現代の日本の法律は禁じています。

長嶺は、比較的冷静で、落ち着いた、もの静かな人柄だと思います。しかし、犯行のVTRを見たときに「復讐」を思いつくわけです。もちろん、それが単純な復讐というよりは、現代の少年法の下で、非常に軽い「刑期」で、「更生」したものとして社会に戻ってくるというその仕組み自体を、まさしく命がけで問うているわけです。

こういうのは「ある種の確信犯」と言っていいと思います。

ややもすると「確信犯」とは、「悪いことと承知であえてする」というような形ばかりの解釈で理解されがちですが、それは不足です。むしろ、犯罪の多くは法に触れるとわかっていてされています。そんなことではなくて、

確信犯(かくしんはん)(独; Überzeugungsverbrechen)とは、道徳的、宗教的あるいは政治的な確信に基づいて(つまり、自分の行動の“道徳的・宗教的あるいは政治的な正しさを確信”して)なされる犯罪のこと。(Überzeugung:確信 Verbrechen:犯罪)ドイツの刑法学者グスタフ・ラートブルフの提唱による法律用語。いわゆる義賊やテロがその代表例である。
 → Wikipedia:「確信犯

というような説明がなされます。

果たして、「自分の行動の“道徳的・宗教的あるいは政治的な正しさを確信”して」と言えるほどにまで、確信していたか? というと疑問は残ります。「現行制度の不十分さ」を確信していたとはいえるだろうが、果たして、残虐な犯人とは言え、若者二人の命を奪うことが、「道徳的・宗教的あるいは政治的な正しさ」と言えるかというと、そこは疑問です。

典型的な確信犯といえるのかどうか、わたしはちょっと決め手がないのですが、犯人は現在の法制度が不十分であるというアピールを持ってこの殺人をしているということは言えると思うのですね。

禅問答や、屁理屈の好きなわたしは、だから、こういうテーマの映画は好きです。

ただ、なんでしょう、被害者(の家族)の気持ちは、別にここまで映像にされなくてもわかるんですってことですね。また、それを追わねばならない刑事たちの気持ちも、わかるってことですね。法律の限界というよりは、現実の限界だと思うんですね、覆水盆に返らず。どんなに法律が整備され、あるいは、犯人の少年たちが「更生」するプログラムが見つかったからと言って、死者は戻ってこないし、家族を失った苦悩や悲しみ、絶望は癒えることはないってことです。どれだけ爆発させても憤りや怒りは消えないということです。それは、その加害者たちを罰しても同じような気がしますね、わたしの場合は。

どんなことをしても、悲しみも憤りも消えることはない……。そういう絶望の暗闇のなかで、社会全体の償いとして、少年を更生させていきましょうという少年法の精神も、まさに、遺族感情に対する確信犯的な法律ということができるのではないかと思うのですね。

ああ、こんな屁理屈を書いたら、映画ではない、実際の犯罪被害者の方から、お叱りの言葉を受けるかもしれません。すみません、わかったようなこと書いて。最初に謝っておきます。

ただ、この映画見て、ほんじゃぁ、犯人の少年の側の家族はどんな気持ちなんだろう……とか、考えたくなる人もいらっしゃると思うのですね。自分の子どもが犯罪者になってしまった、親の気持ちというか……。そりゃ、誰にも、同情してくれとも、わかってくれとも言えない、絶望的な気持ちでしょう。

そんな、犯罪者の親と被害者の親を描いた、興味深い映画があります。犯人の少年の役を小栗旬がやってるのも見ものです。ま、わたしは津田寛治の代表作になるだろうと思っていますけど。
 → 過去記事:「映画:「イズ・エー [is A.] 」~DVDで




これで、映画の感想になってますか?



映画:「あらしのよるに」~DVDで

2009-10-16-Fri
先日の台風18号の被害はいかがだったでしょうか?

わたしの住む愛知は伊勢湾台風以来の大きさが直撃したとあって、大きな爪あとを残されました。わたしの実家も、カーポート(簡易車庫)の屋根が飛んでなくなり、フェンスの波板が破損したりしましたが、同様に被害のお宅はたくさんあったようです。また、屋根瓦の一部が破損した家も少なくないようです。ただ、今回の台風で非常にインパクトがあったのは停電でした。

停電というと、これまで落雷による停電は度々体験してきたのですが、そうした場合はすぐに復旧しました。落雷による停電がどうして起こるか詳しくないのですが、たとえば、一瞬の異常な電圧などを機器が感知して安全装置が働くというようなことがあるとしたら(ブレーカーが落ちるとか、ヒューズが飛ぶとかいう感じのが、変電所や送電所のレベルで起きるような)、それは機械を操作してやれば復旧はたやすいでしょう。また、落雷が送電施設のどこかにあったとしても、代替コースや迂回などで一部の復旧は可能でしょうし、修理にしても、落雷自体の危険性が去れば、ピンポイントで修理すむわけですから、比較的容易でしょう。

しかし、今回の台風は違いました。これは想像ですが、おそらく、複数の箇所で送電線が切れたり、電柱やその上の装置自体が破損したりということがあったと思うのです。全然復旧しませんでした。電気というのはただ流せばいいのではなくて、安全に流さねばなりません。切れて垂れ下がった電線に人が触れたら危険でもあるのです。

愛知県は午前9時半ころには警報が解除され、午後から開始した学校などもあったのですが、そんな感じでしたが、停電の復旧には時間がかかったところが多かったようです。日暮れを迎えてもまだ復旧しないという家もありました(最新技術オール電化の家などは怒っていました)。大型冷蔵庫に買いだめしてあったものもゴミになってしまいます。コンビニに弁当やおにぎりを買いに行っても、品物がありませんでした……。それでも大半は当日中には復旧したのですが、山間部(もちろん人が住んでいますよ)や、海に近い一部の地域(こっちはむしろたくさん住んでいます)では、翌日になっても復旧を見ず、ひどいところでは翌々日になってやっと復旧したというところもあったようです。テレビやパソコンも使えないわけですからね~。インターネットもあてにならんですわ。

停電以外では、高潮の被害や、ビニールハウスの被害が多かったようです。

こんな状況だったにもかかわらず、わが家は被害らしい被害もなかったので、「ああ、台風が来るのかぁ~」と呑気に思って、借りてきた「あらしのよるに」を見ていました。


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