David the smart ass

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FC2ブログリニューアルは不調?~日別集計

2007-08-31-Fri
FC2ブログが管理画面のリニューアルを発表して以来、どうなんでしょう、新管理画面に移行したブログも、たぶん、移行しないで従来の管理画面を使っているブログも何がしかの不具合、不安定に見舞われているのではないでしょうか?

それは、管理画面のリニューアルと関係のあるケースもあり、あるいは、国内の一部プロバイダ(Y!BB)での一部接続の不調などというようなケースもありました(→ユーザフォーラム:「ブログおよび管理画面が表示されません」最新障害情報:「一部プロバイダによるFC2へのアクセス障害について」)

それにしても、これです。昨日のアクティブユーザ数(グラフ右端)。もう、ヤフーブログやアメーバブログ並みです。(※アメーバブログに関して追記あり)

act070831a.gif


これはどういう原因かわかりません。過去にライブドアブログで、このように急激に値が低下したケースは、実際にブログで記事が書かれていないわけではなくて、ブログサービス側の新着記事に関するデータの集計がうまくブログファン(http://www.blogfan.org/)側に伝わらないということがありました。今回もまさにブログファンがこの該当の回線を使っていた結果がこの数値なのかもしれません。FC2側のあるいはリニューアルにともなうなにかで、こうした集計に関わる何かがあるのかもしれません。

また、実際にブログのシステムが動かない(たとえばメンテなど)で下がることも当然あるわけです。これだと、グラフ上は奇異ですが、計画的なもので事情がはっきりしているのであれば、いわゆるトラブルでもなんでもありません。

こういうことを書くといささか年寄りくさいですが、日本(自宅)にいて、プロバイダや回線を経由して、アメリカのサーバのデータとやりとりしているんです。そして、それを全世界で、また、モバイルでも見ることができるんです。時代は変わったなぁと、今更ながらしみじみと思います。そういう複雑な状況の中で、全ての局面で常に安定的に運営されているとうのは、改めて考えるととてもすごいことだとも思うわけです。非常に複雑なしくみの中で運営しているのですから。

で、一端トラブルがあると、担当者としてもちょっとわけがわからないのではないでしょうか。特に、「管理ページのリニューアル」や「ブログの構造的リニューアル」などをしていると、とりあえず自分の責任を疑わねばならないところがあって、ストレスたるや大変だろうと思います(ご自愛下さい>担当者)。

今日回復しているのかどうかわかりませんけど、アクティブユーザ数のグラフは、うちのブログのメインシリーズであるだけに、ま、一日くらいで回復してほしいです。

ということで、なんだ、結局今日の記事もFC2ブログに対するエールか(笑)。

※アクティブユーザ数関連追記
ブログファンにメールで問い合わせたところ、すぐに返事がいただけました。8月30日のFC2ブログのデータについては「集計に利用している新着記事情報がFC2ブログ側で更新されていない」のが原因ということです。

FC2ブログのトップページ(http://blog.fc2.com/)の中ほどの「新着記事」欄は更新されているものの、その新着記事欄の右下の「新着記事のRSS」からリンクされているRSS情報(http://blog.fc2.com/newentry.rdf)が、8月30日の午前4時ごろの情報を最後に更新されてないということです(集計には、更新Pingの受信サイトの情報なども参照しているのでゼロにはならない)。

すばやいお返事ありがとうございました。>ブログファン担当者



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五井道子のYouTube貼っちゃいます。

2007-08-30-Thu
先日、マン喫で、フクフク丸さんが記事にしていた「シグルイ(の原作)」の最新刊(9巻)を、あ~すげぇ、こんなに……って思いながら読んでいたら、有線から、なんだか、か細い声で、しんみり悲しい歌がながれてきた。



あ~、なんだか森田童子の今風のやつだな。歌詞が森田童子の文学性には及ばないが、このつぶやくような歌い方……。ムード的にはいけそうだぞと思いながら、誰の歌なのか気になったので、そのまんま目の前のPCで「なんだか なんだか」だとか「ほんとに ほんとに」とかで検索したのだけれど、ヒットしないで終わってしまった。ああ、耳から入った初めての曲で、どこが一番特徴的なのかを瞬時につかみ、それをキーワードに検索させるのは難しいとうことを痛感した。

ところが、その日テレビ見てたら、なんと、その曲がCMに出ていた。「僕の花」という題名で、五井道子という知らない人の曲だった。



知らない曲だった。その後、15分ほど番組をして次のCMの枠のときに、その正体がはっきりとした。これは、「伝染歌」(でんせんうた)って映画の中の、「歌うと自殺する」という、呪われた歌というか、問題の歌というか、ネタ中のネタの歌だったのである。

ああ、そうなのかぁ。いい歌だと思ったのに……。で、YouTubeで検索したら、あったので、貼っちゃいます。


どう?

よかったらこっちも(笑)。

こっちのは、ちと怖いんで注意して~。あ、上のちょっと音小さかったから大きくした人は、ちょっとボリューム見直したほうがいいかも。次のは、ちょっと逆に大きめですから。


しかし、これは「冬ソナ」とのめぐり合い方とよく似ていて、あの時は古本屋で「はじめから今まで」(「冬ソナ」のテーマ)を聞いて、なんじゃこりゃと思って、それから遅ればせに「冬ソナ」を全部見たのだったな。で、それが思いっきりよくて、わたしも、ちと韓流ドラマにずっぷりとハマった……。
  → 過去記事:「言ってくれるじゃないか、ペ・ヨンジュン」


ああ、「伝染歌」見にいこうかな……。
 → 「伝染歌」公式サイト
 → 五井道子のサイト
 → 「僕の花」の歌詞はこちら(goo音楽)


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観劇:「アイーダ」~劇団四季

2007-08-29-Wed
先日、劇団四季のミュージカル「アイーダ」を鑑賞してきました。

 → 公式サイト

四季のミュージカルを見たのは、「レ・ミゼラブル」「ライオンキング」に続いて3本目です。「レ・ミゼラブル」を見たのは、もうほんとうにずいぶん前で、その時はずいぶん後ろの席でした。よく覚えていませんが、とっても感動して、高いパンフレット買ったのを覚えています。

「ライオンキング」は、それに比べたらまだ最近ではあります。もう数年前の話ですけど(笑)。象や鳥なんて印象的でした。ただ、ストーリーは、ま、少年向けと言ってはあれですんで、ファミリー向けと言っておきましょう、ま、悪い話ではありませんでしたが、そういうところがあったのに対して、今回の「アイーダ」は完璧に大人向けでしょう。

エルトン・ジョン・アンド・ティム・ライス・アイーダ・ブロードウェイ・ミュージカル版(CCCD)
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5  すべての人に・・
5 かっこええ!!
5 ディズニー・イメージをハイセンスなオトナの愛の世界に変えた


舞台はファラオの時代のエジプトです。海外遠征を繰り返し、領土を拡大していきました。領土拡大の象徴でもある英雄ラダメス将軍は、父親の策略で、ファラオの娘アムネリス王女とは許婚(いいなずけ)でありました。

ヌビア(現代のエチオピアです。でも、なにか、名前だけ聞くとリビアっぽい)遠征の折り、川べりでヌビアの女たちを捕獲、奴隷として連れ戻りました。その女たちの中にアイーダはいたのです。アイーダはヌビア王の娘です。しかし、そればれると危険だったり、戦争への影響ということも配慮したのでしょう、アイーダは囚われても正体を明かしませんでした。

アイーダはラダメス将軍によって、婚約者アムネリス王女の元に奴隷として送られます。これはプレゼントです。人間をプレゼントするというのは、現代人のわれわれにはわからない感覚ですが、奴隷といえば、家畜などと同じ扱いですので、モノとして扱ったわけです。

ラダメス将軍がとらえた奴隷ですので、どうしようとラダメスに決定権があったのですが、実は捕らえるときにすこしドラマチックな展開があります。女だてらに剣をふるい、捕らえられた他の娘たち(アイーダ姫のお供ということになります)を救おうとします。そしてそれがけっこう腕が立つわけで、そうしたことがあって、ラダメスは心のどこかにアイーダに興味を持つところがあったのですね。他の奴隷たちと同じように鉱山に送ったのではすぐに死んでしまうので、身近なアムネリス王女のところにおいてみたいというおもわくもあったのです。

一方で、アイーダを送られたアムネリス王女ですが、まるで、現代の日本の娘を連想させるほど驕慢で、おしゃれを気にする、いかにも馬鹿女であります。王の娘という立場と容姿で手に入れられないものはないと思って、美に磨きをかけています(アムネリスの驕慢ぶりをいかんなく発揮するファッションショー仕立ての場面が、わたしはとっても気に入りました。現代日本人に対する痛切な風刺だと思いました)。しかし、本心はそうではなかったのですね。王女もある意味被害者で、彼女の立場からすれば、そのように驕慢に振舞うことがもっとも王女のふるまいとしては賢明であり、安全であったのではないかと思えてきます。そのように、アムネリス王女なりの悩みがあることを、もとよじ自身も王の娘であるアイーダもよく理解するわけです。ここに、王女と奴隷という立場ではありながら、一種のソウルメイト的な結びつきを二人は持つわけです。

さて、将軍ラダメスからみると、そんな親の極めた婚約者である王女の悩みなどはちっとも見えてきません。むしろ、ヌビアの女剣士とも思われる正体不明の女アイーダのことが忘れられなくなっているのですね。一方で、ちっと婚約者が姿をみせてくれないことに悩む王女アムネリスは寂しい気持ちをアイーダに打ち明けるわけです。アイーダは自分の祖国の敵国に捕らえられ、多くの国民が奴隷として使われている現実を目の当たりにしているわけで、いくら言い寄られたところで、その侵略の英雄ラダメスと恋に落ちるわけにはいかない……。愛と、友情と、宿命とが絡み合う、何を捨て、何を選び、どう生きたらいいのか……。


ま、そんな話です。スタートとエンディングは、芝居にはわりとあるパターンですが、とってもいいです。とってもよかったです。感動しました。

ちょっと気になったのは、補助動詞をそこまではっきりと本動詞のように発声しなくてもいいのでは?ってぐらいかな。いや、ちょっと耳障りだったけれど、ま、それはそれでよかったのかも。



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「ネットカフェ難民」で考える、差別語。

2007-08-29-Wed
ネットにいると、しばしば言葉について考えさせられます。また、同時に差別についても考えさせられます。そして、差別語や言葉狩りなんてことについても考えさせられます。わたしが今まで一番びっくりしたのは、「お年寄りという言い方は差別語だ」と上司に言われたときですが、「ええ? それは違うでしょう……」と口ごもると、「いや、使い方によってはそうなるんだ……もごもご」と言ったときには、もう、それ以上追求しないでおいてあげましたけど、基本的には「差別語だ」とレッテル貼りをして片付けるのは反対なのです(一時期「スパム」という言葉にも同じ匂いを感じていました)。

さて、先日厚生労働省が「ネットカフェ難民」について調査をしました。

ネットカフェ難民5400人 50代も2割超す
定まった住居がなく、インターネットカフェなどで寝泊まりしている「ネットカフェ難民」が全国で約5400人に上ると推計されることが28日、厚生労働省が実施した調査で分かった。20代が27%で最多だが50代も23%おり、高齢層にも広がっていることが判明。このうち半数が日雇い労働など非正規労働で日々の生計を立てているとみられるほか、失業者や無業者も全体の4割に達しているという。全国的なネットカフェ難民の実態調査は初めてで、厚労省は今後の具体的な支援策を検討することにしている。
  izaの記事の全文を読む……


5400人のネットカフェ難民というのが多いか少ないかはわかりませんが、わたしもいっぺんくらいオールタイムで過ごしてみたいって気持ちもないわけじゃありませんし、学生時代だったら結構快適ってやっていたかもしれません。でも、わたしの場合はちゃんと帰る家があって、たまにはやってみたいくらいのレベルでして、別に、そういうことまで、厚生労働省も問題にしているのではないようです。

記事の中の「週の半分以上をネットカフェなどで泊まり歩いている住居喪失者が約5400人いると推計した」という言葉にあるように、住居喪失者を問題にしているのですね。ネットカフェにいる住居喪失者だから「ネットカフェ難民」といっているのでしょう。

で、これに対して「(客の中には)定職に就くことが難しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、複合カフェにとっては大事なお客さまなのです」と、業界団体がクレームをつけたんですね。
 → iza:「ネットカフェ難民は差別語 喫茶業界団体が声明」

う~む。これは微妙ですね。こういうときに安易に「差別」を持ち出してしまうと、声明を出した側が「難民」を蔑視している、つまり差別しているんじゃないか?って言われかねませんから。大丈夫ですか? 業界団体。

そもそも「難民」という言葉は差別語ではありません。差別の匂いはありません。一般的に「戦争、宗教や民族対立などの理由だけでなく天災や貧困、飢餓などの理由で住む場所を追われた人々を指す」(→Wikipedia)のが「難民」です。気の毒で悲惨な人たちです。援助の手が差しのべられる必要があって、ま、国際的には支援の運動はあり、法的な措置も考えられています。だからといって、「難民」という言葉には差別の匂いはありません。

また、比喩的に「元いた所にいられなくなり行き場を失った人を、難民に喩えることがある」(→Wikipedia)ということもあります。これは、わたしも使っています。わたし自身Naver難民として、ここ(FC2ブログ)に来ましたので。 こういう比喩として扱うことが難民に対して失礼だとか、現実を軽んじているということなら、一応その理屈はわからないでもないが、しかし、「災難で行き場を失った人」という意味ではぴったりなんですね。

さて、「ネットカフェ難民」という言葉はどうでしょうか? わたしが自身を「Naver難民」と呼んだのは、「Naverの閉鎖にともなって、居場所を失った人」という意味です。また現実にいる、「アフガン難民」とか「イラク難民」というのは、「本来にアフガンにいて、居場所を失った人」「イラクで、戦乱などで居場所を失った人」ということなんですね。

「ネットカフェ難民」という言葉を、「難民」という言葉の意味合いを込めて読むと「ネットカフェで暮らしていたが、追われて住居を喪失した者」という意味になってしまいます。そういう意味を込めたいときに「難民」ということばを選んでつかうべきだと思うんですね。

ところが逆ですよね。ネットカフェはお客として、彼らを受け入れているのです。ここで「難民」をつかう必然性はむしろなくて、「ネットカフェ居住者」でもいいというか、むしろぴったりのはずなんですよね。

あるいは最初に「ネットカフェ難民」ということばを選んだ人には、「居住地を失った人」とう類似点に加えて、経済的に困難な人とか、背景の悲惨さのイメージを持たせたかったのかもしれません。世の中が悪いからこんなことに……みたいな。ところが、そこが問題なんです。そういうときに、本来の意味を変質させて「難民」を使うと、気づかぬうちにそこに偏見や差別意識みたいなものが、すりよっているのです

これが恐ろしいんです。こんな形で「難民」という言葉を使い出したら、それこそ、ネットカフェの業界団体ではありませんが、「難民」という言葉が偏見や差別を込めた言葉になってしまいかねないんです

業界団体は「ネットカフェ難民」という言葉に、住居喪失者に対する差別の匂いを感じたのか、「ネットカフェ」に対する差別の匂いを感じたのかは、ちょっとわかりませんが、「ネットカフェ難民」という言葉には、本来の「難民」が持っていた意味を損なって使った結果、「難民」という言葉を差別的な言葉に変質させてしまっているということが言えるかもしれません。



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