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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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◆Date:2005年01月09日
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平成17年度初場所~初日結びの一番

2005-01-09-Sun
大相撲は初場所を迎えた。わたしは、それなりに相撲が好きだ。北の湖を思わせる、「強い悪役横綱」朝青龍がわたしの一押しで、わたしの同僚K氏曰く「大鵬そっくり、いや、それ以上」と言わせる白鵬が注目株である。

思うに、日本の力士たちは、淡泊である。こだわりもなく、粘りもない(いや、ないというのは語弊がある。比較的少ない)。その象徴が、強い魁皇である。魁皇は強い。爆発的に強い。パワーと破壊力を感じる。だが、同時にどこかで、「このくらいで勝てる」とか、「これで勝てた」とか、相撲を取っている最中にも無意識のうちに身体のどこかが思ってしまうのではないだろうか……。そんな気さえする。

それに比べて朝青龍は勝ち方にこだわっている。勝てばいいなんて思ってない。勝って当然、いかに勝つかにこだわっている。それは、余裕のなせるわざだろうか……。かもしれない。しかし、それこそが朝青龍をさらに進化させている最大の理由であり、それこそが、朝青龍の強さだと思うのだ。

白鵬はあきらめない。誰だってそれはあきらめないのだろうが、その心に充分応えるだけの身体の柔らかさを持っている。それは相手の突き押しの威力を殺してしまう。土俵際ではその柔らかさはいっそう引き立つ。それは白鵬の粘り強さとして映るだろう。

そういうこだわりや粘り強さを、取り組みの中で表現する。それが、アマチュアの相撲でなく、大相撲だと思うのだ。

平成16年名古屋場所、中日の結びの一番。その表現力が結果を左右してしまった取り組みがあったと、ま、いささか独りよがりながら、わたしは思っている。

「死に体」「かばい手」で揺れた朝青龍対琴ノ若戦だ。あれをかばい手にしないでかばい手があるのか……とさえ思われるのだけれど、わたしには現在の大相撲に何よりも求められている、勝利への執念の具現化の手本がまさにまさに映像として展開されたように思われた。
 → 平成十六年・大相撲名古屋場所
 → NumberWeb「権威を投げ出した審判団の無責任な判定」

確かに、首をかしげたくなる判定である。スポーツである以上ルールに則り、厳密に判定すべきだと思うのだが、あの一戦は、朝青龍の「勝利への執念の素晴らしさ」が、あまりにもみごとに表現され、見る者を惹きつけてしまったので、誰も負けと言えなくなってしまったのではないかと思われるのだ。

もし、もしも、そこで琴ノ若の勝利と判定してしまったら、それはこのみごとさを否定してしまうことになる。結果、今日本の大相撲に最も求められている、勝利への執念の大切さを否定してしまいかねない、これでは相撲はダメになる……というような、意識無意識の配慮がどこかにあったのではないかとさえも、思われてくるのだ。……これも独りよがりな見方でしょうけど……(笑)

さて、今日の初日の結びの一番は、上記二人の対決である。勝ち方へのこだわりにより進化し続ける朝青龍と天性の柔らかさによる粘りが魅力の白鵬が対戦する。朝青龍が勝ち方にこだわっていられない……そんな展開になるのが楽しみだ。

アンプラで優勝力士予想のアンケやってました。

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