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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

原爆の日に読む、金子みすゞと昭和天皇~今日は何の日

2009-08-06-Thu
先日から少しずつ金子みすゞを読んでいます。

金子みすゞの登場の仕方は劇的でした。大正末期に西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され、天才と言われた童謡詩人だったのですが、西條八十の渡仏や自らの結婚生活の破綻、疾病、自殺などによって、その作品のほとんどは散逸し、わずかに「大漁」の一編以外は知られることのない、いわば幻の詩人だったわけです。

で、この「大漁」が、一度読んだら忘れられないほど強烈な童謡詩なんですね。全二連からなる短い作品なんですけど、第一連は、大漁に賑わう浜を詠みます。

朝焼子焼(あさやけこやけ)だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ

勢いのいい詠いぶりです。その勢いのまま、しかし第二連ではトーンが少し、重く沈うつに変わるようなんですね

浜は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。

これが、童謡なんですね。ほとんどこの一編のみで、強烈にその存在をアピールしていた金子みすゞ。その存在が忘れられず、自らも童謡詩人であり作家の矢崎節夫(→あの人検索スパイシー)が、金子みすゞの遺稿を探し求め、そして実弟がみすゞ本人から3冊の手帳を託されていたということを知るのですね。そうして、「金子みすゞ全集」という形で世に出たのは、なんとみずゞの死後50年余りたった1984年のことだったのです(1903年生まれのみすゞは1930年、26歳で自死しています)。

この発掘の過程は、矢崎節夫の「童謡詩人 金子みすゞの生涯」で詠むことができます。小説や物語ではなく、脚注がついているようなむしろ論文というべき構成ですが、ま、小難しく感じるところは読み飛ばして、ドキュメントとして、わたしは読みました。


こうして発掘された金子みすゞの童謡詩は(童謡というからは「曲」があったものもあるはずだと思うのですが、こんな事情ですので当時の曲は残っていません)独特の感覚がうかがえます。上の「大漁」に通じるものに、「雀のかあさん」という詩があります。

子供が
子雀
つかまへた。

その子の
かあさん
笑つてた。

ここまでが前半。でも、金子みすゞが注目しているのは、雀を捕まえた子どものおかあさんでなくて、捕まってしまった雀の子の、お母さんです。

雀の
かあさん
それみてた。

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。

これで終わり。「鳴かずに」ってのは「泣かずに」じゃなくて、「鳴かずに」なんです。「泣かずに」のはずがありません。泣いてたと思います。だから、鳴かなかったというか、鳴けなかったんだと思いますね。

鰮(いわし)と雀。「収穫」には獲る側と獲られる側があるのですね。そして獲られる側のことなど、あんまり気にすることなく、獲る側は自分たちのことばかり考えます。金子みすゞはそういう、見えない側のことを、やさしく、かなしく思い出させてくれるのですね。「土と草」という詩では、土は幾千万の縁もゆかりもない草を育てていると書いています。

母さん知らぬ
草の子を、
なん千萬の
草の子を、
土はひとりで
育てます。

はい、では、ここで問題です。
この幾千万の草がぐんぐん育ち、青々と茂ると土自身はどうなるでしょう?

……どうなる? って、変わらずにそこにあるんじゃないの? とか、それでも草を育て続けるとかいろいろな想像が働きますね。

もちろんそれはそうなんですが、金子みすゞはどう詠むかというと、こう続きます。

草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。

土は育った草のおかげで、もう隠れてしまい、日が当たらなくなってしまうんです。

悲しいですね。そして、同時にやさしいですね。金子みすゞの詩の多くには、そういう見えない側への愛情が込められています。それが、子どもの持つ、素朴さとうまく合わさって、ファンタジックな色合いも忘れずに表現されているのですね。そして、金子みすゞの中で最も有名と思われる、「私と小鳥と鈴と」では、そうした、見えないもの、小さなもののそれぞれが、それぞれ個性を生かせばそれでいいということが詠われるのです。

私が両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地べたを早くは走れない

私が体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それから私
みんな違って みんないい



■参考ページ
 → 金子みすゞ記念館
 → 金子みすヾWorld
 → 尾崎眞吾のみすゞギャラリー


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