David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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【追悼】北杜夫~「あくびノオト」

2011-10-27-Thu
ああ、北杜夫が亡くなった……。北杜夫はわたしの青春の作家の一人である。

思い出すのは、ミステリーだと思って買った「怪盗ジバコ」が、ま、広義ならミステリーかもしれないが、所謂ユーモア小説だったということだ。期待した、江戸川乱歩の「怪人二十面相」や、ルブランの「怪盗ルパン」とはまったく違う、なんだろう、もちろんそれは実はミステリーの必要条件でもなんでもないのだが、不可解というか、ホラーな感じというか、そう、「怪奇」な味付けががまったくなかったのだ。

なんというか、うすらとぼけたようなというか、一種間の抜けたような感じがあった。正直なところ話の内容はほとんど思い出せないのだが、なんとなく、楽しくゆかいで、ほのぼのとしていて、暢気なイメージが残っている。若き日のわたしはそのムードがとっても気に入って、同じような系譜になるだろうと思う作品を漁ったものだ。

井上ひさしの「ブンとふん」も傑作だった。ジバコの上を行っていた。小林信彦の「怪人オヨヨ大統領」のシリーズも友だちと交換し合って読んだ。畑正憲の「ムツ・ゴーロの怪事件は、当時のわたしには難しかったのか、あんまり印象に残っていないけど……。



以来、わたしの読むものに幅ができた。ミステリーやSFだけでなく、エッセイが加わったのだ。

ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家(にれけ)の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。 84歳だった。告別式は親族で行う。 近代短歌を代表する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松本高を経て東北大医学部に進学。卒業後の1954年、初の長編「幽霊」を自費出版した。
→ 「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)



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【追悼】団鬼六の訃報に触れ、謹んで、むやみにソッチ系のページを検索する

2011-05-07-Sat
昨日仕事の帰りに、久々にマン喫によって、遅くに自宅に戻りました。最近連載を読み始めた「今日からヒットマン」の発端を知りたかったのです。30代半ばの普通の営業畑のサラリーマンが、行き当たりばったりにヒットマンの事件に遭遇し、あらがうこともできず、あっという間に、自分がヒットマンってことにされてしまう……、ってな展開でした。現在連載中(「漫画ゴラク」)のくだりがとても面白くて、どうも人物関係がよくわからなかったのですが、その点1巻を読むことでかなりすっきりしました。ちなみに今まで「ゴラク」を読むメインは「激マン」でしたが、最近はこの「今日からヒットマン」がお気に入りです。「激マン」というのは、永井豪のマンガ家生活の回顧録といった作品で、ま、「ハレンチ」「あばしり」「おもらい」「ダンテ」「デビルマン」「マジンガ」などをリアルで読んできた世代ですんで、虚虚実実なところがいっそう興味深くもあるわけです。
 → 「漫画ゴラク」のWebページ

父の看病のために通勤経路を変えていた時期に、ときどき息抜きに入った店に、この「ゴラク」がおいてあって、そのころは「SとM」なんてのも楽しみに読んでたわけなんですが、その「SとM」なんて言葉を日本に定着させた、日本人のリビドーの恩人とも言うべき団鬼六が亡くなったってことを、ま、マン喫で道草したおかげで、不覚にも深夜知ることになったのです。

花と蛇」などの官能小説の第一人者として知られる作家の団鬼六(だん・おにろく、本名・黒岩幸彦=くろいわ・ゆきひこ)さんが6日、胸部食道がんのため死去した。79歳。葬儀は未定。喪主は長男秀行(ひでゆき)さん。
 → 訃報:団鬼六さん79歳=作家 - 毎日jp(毎日新聞)(5月6日付け)


ショックでした。

twitterで団鬼六をフォローして、以前自分の書いた「「花と蛇」もしくは団鬼六の楽しみ方」って記事のURLをツイートして読んでもらってうれしかったことが忘れられません。

昨年の大河ドラマが竜馬で、同じく幕末維新期の境事件を扱った「最後の浅右衛門」の感想記事をアップして読んでもらおうと思っていたのですが、そう思うと、どんどん肩に力が入ってしまって、いつもの自分らしい軽い文章が書けなくて、ついつい延ばし延ばししていたところでした。ああ、なんだかまた先延ばししていて乗り遅れちゃったなぁと痛感しました。

もう少し早く知って、戻ってきていたら、その記事を完成させることができたのですが、ちとくたびれていて、それでも、団鬼六の記事や、ちとエロだったり、グロだったりする、あるいはノスタルジーだったりする記事やサイトを検索し、わたしなりの通夜が続いたのでありました。こういうことやるときりなくなるし、果てるまでやるから……。

謹んで、団鬼六先生のご冥福お祈りいたします。          合掌

最後に、twitteで公開されているサインをコピペしときます(左のラインはわたしがつけたもの)。

oniroku_signs.png



「朝右衛門」の記事、公開できるようにがんばろ。


【追悼】小林司~JSHC主宰者

2010-10-01-Fri
今年は変な年です。わたしにとって。

今まで書きませんでしたが、父を亡くしました。四十九日が終わるとまもなく父の義弟が亡くなり、さらに初盆が終わるとほどなく父の次弟が逝きました。実はさらにその前にも、親戚が相継いで亡くなっています。

親戚や知り合いの葬儀が続く……。高齢化社会ですんで、統計的に考えればそういうことになってくるんだろうと思います。わたしの両親の世代は、兄弟が多く、また、戦争にいかずにすんだ世代です。逆に言えば、戦後の経済成長期をまさに汗まみれになって生き抜いてきた方たちですけれど。そういう人の葬儀などで、いとこ同士が集まると、しだいになんだか笑えてきてしまうのはなぜなんでしょう。ま、後期高齢者なんですから、ある意味「天寿を全うする」という感じもあるのかもしれませんけどね。

こうしてブログを始めてから、時折、(思い出の)有名人の訃報に接すると、思いを記事にしたりしていたのですが、今年は、ちと書きたくても書けないということが続いていました。特に、プロレスラー山本小鉄は、記事を半分以上書いたのに、どうしても「ヤマハ・ブラザーズ」時代の動画が見つからず、頓挫してしまいました。

でも、今日は書いておきたいというか、短くてもいいから書かねばならないって思います。

小林司が亡くなりました。

 小林 司氏(こばやし・つかさ=精神科医、日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰)27日午前2時37分、骨髄異形成症候群のため東京都杉並区の病院で死去、81歳。青森県出身。葬儀・告別式は親族で済ませた。喪主は作家の妻東山あかね(ひがしやま・あかね、本名小林洋子=こばやし・ようこ)さん。
→ 47NEWS;「小林司氏死去 精神科医


「おたく」という言葉が定着して、もう20年以上になろうとしていますけれど、おたく文化は別に最近の若者(といっても「だいぶ前の若者」ってことになっちゃいますが)が始めたもんじゃないということですね。「シャーロキアン」という言葉があって、--初めて知ったが、本家イギリスでは「ホームジアン」と呼ぶようですが--、「ホームズおたく」ってのは世界中に、アニメやビデオ、ネットができる以前から存在しているんですね。

小林司は日本に「ホームズおたく」の会を発足させました。奥さんであり、おなじくシャーロキアンの東山あかねといっしょに。それが「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」です。わたしも数年間、会員でした。画用紙に印刷したような会員証や手書きの会報を送ってもらっていたことがあります。ま、シャーロッキアンの足元にも及ばない、単なる、探偵小説好きだっただけなのですけれど。
 → 日本シャーロック・ホームズ・クラブの公式ページ
さて、追悼記事を書こうと思ったのですが、小林司自身の思い出はほとんどありません。だって、わたしはホームズが好きではあったのですが、残念ながら小林司のファンってことではなかったのですから。もちろん、小林司と東山あかね夫人によって出版された事典や写真集、ガイドブックなどの編著はいくつも買いもとめ、書棚に並んでいます。「シャーロツク・ホームズ大事典」なんかも。

あ、そうそう、あれはいつだったかな、「あかね書房は東山あかねとは無関係」みたいな告知文を読んだのが、妙に記憶に残っています。なぜだろう。

・小林司先生のご冥福をお祈りいたします。

【追悼】三沢光晴、まさにリングに散る……。

2009-06-14-Sun
実は、生誕百年の太宰の記事でも書こうかと思っていたら、なんだか、不穏なニュースをネットで見つけてしまいました。ノアの三沢が試合中に倒れ、病院に搬送されたというのです。そして、次に見たときは、「死亡」に変わっていました……。
 → iza:「プロレスラー三沢光晴さん試合中に病院搬送 心肺停止状態

13日午後8時半すぎ、広島市中区の広島県立総合体育館で、プロレスラー、三沢光晴さん(46)が試合中に相手の技をかけられて頭を強打。病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。
 → iza:「プロレスラー三沢光晴さん死亡 試合中に頭強打

信じられません! プロレスラーというのは、強いと思います。どんなスポーツの選手よりも、不死身だと思っています。だって、あんな凄い試合を連日やってるのですから。

今まで、いろんな形でレスラーの死に接してきました。もっともショックだったのはブルーザー・ブロディですけど。好きな選手だったし。最近では橋本(→過去記事:「爆勝宣言を聴きながら-追悼!橋本真也-」)。しかし、トップレスラーが、リング上で、技を喰らって死ぬというのは……、信じられません。それも公開の試合で。もちろん、危険なスポーツだとは思いますけれど。

わたしは、それからさっそく2chを読みました。新聞の記事では、

大会関係者によると、三沢さんはこの日開かれた「サザンナビ09」広島大会のメーンイベントのGHCタッグ選手権に出場。試合開始から約30分後、後方から抱え上げて、反り返るようにして投げるバックドロップをかけられ、リングで頭を強打し、意識を失ったという。

 試合を観戦した人によると、意識不明になった三沢さんに、リング上で自動体外式除細動器(AED)による蘇生(そせい)措置が施された。約2300人の観客からは「三沢コール」が起こったが、意識は回復せず、救急隊員が三沢さんを担架で運んだという。
 → YOMIURI ONLINE:「プロレスの三沢光晴さん、リングで頭強打し死亡

せいぜい、この程度なのですが、2chではとりあえず、こんな感じでした。

310 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2009/06/14(日) 00:09:03 ID:KkoFTvcF0
779 : キエビネ(千葉県) :2009/06/14(日) 00:02:57.91 ID:rVgI+7IK
■現場画像と流れ(今北重産業用)
http://www.776town.net/uploader/img/up4876.jpg

・ 三沢にタッチが渡り、エルボーを連発しバイソンを止めると、バイソンをコーナーに乗せる。
 ところが斎藤が駆け付けて雪崩式アイアンクロースラムを炸裂。そのままタッチをもらった斎藤はカカト落とし、
 キチンシンク、顔面への串刺しニーリフトと三沢を畳みかけ、急角度のバックドロップで突き刺した。
・ そこで、三沢はそのまま動かなくなり異変を感じたレフェリーが直ちに試合を止めた。
・ 試合後は騒然。三沢は息をしていない模様で、血相を変えてトレーナーらが駆け込む。
 会場に来ていた医者の観客らが駆け込んで心臓マッサージが行われ、心肺蘇生装置も持ち込まれる。
 選手らはほぼ全員マットに上がり、「社長!」「社長!」と口々に叫ぶが、三沢に反応はない。
 しばらくして救急隊が到着し、サードロープが外されて搬出処置がとられる。
 見た限りでは三沢の心配が蘇生したかどうかわからないが、救急隊が担架に乗せて病院へと運ばれた。
・ 騒然とする会場。森嶋選手会長がマイクを握り「三沢社長は容態がわかりませんが、選手一同無事を祈っています。
 本日はありがとうございました」。
・ おれはまじでめしうまです。

会場は広島グリーンアリーナ。メインエベントとしてGHQタッグ選手権で、三沢は挑戦者チームでした。NOAHのホームページの試合結果はこうなっています

misawa_01.png

試合はレフェリーストップで、バックドロップを食らわした斎藤の勝利で王座チームの防衛ということを淡々と伝えています。試合としてはそうなんでしょう。しかし、試合中は真剣に、比喩的な意味ではまさに相手を殺すくらいの気でやっていても、まさか殺してしまうことはないと思ってやってると信じますので、勝った斎藤も相当にショックだったろうと思います。怖くて試合ができないんじゃないでしょうか……。亡くなった三沢も気の毒ですが、残された関係者も痛手が大きいと思いますね。

ま、わたしもショックを受けながら、スレをいくつか読んだり、リンクをたどって、動画を何本か見ました。これがよかったので、一つ、貼っておきます。

90年9月1日、ジャンボ鶴田対三沢光晴。解説はジャイアント馬場です。今ではもう三人とも故人なんですね。どうぞ、天国で、心行くまでプロレスして楽しんでください。三沢選手のご冥福をお祈りします。

……いくつも動画見てるうちに、眠れなくなってしまいました。

ついでに、テーマ曲貼っておきます。浸ってください。





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