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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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映画:「蛇にピアス」~DVDで

2009-06-08-Mon
祖母が明治の女なので、と、祖母のせいにするのがいいのかどうかはわからないけれど、たぶん、祖母の強い影響下にあった幼少期に形成されれたであろうわたしのモラルからする、ピアスするとか、タトゥするとか、まして、スプリットタンだとか、理解できないというか、そもそもタブーである。整形手術だとか、プチ整形だとか、いや、男の化粧だって、タブーである。そもそも、「熱があっても学校に行け」と言っていた人なので……。

ただ、それはわたしにとってタブーであるだけで、別に頭っから否定しているわけではないし、スプリットタンも、痛くないならやってみたい気もないわけではない。おもしろ半分に。ただ、刺青もそうなのだけれど、元に戻らなさそうだから、わたしは、自分の気まぐれや、移り気なのかよくわかっているので、そういう決定的なことはできないでいるということもある。そういう臆病な性格を、祖母のいいつけみたいに振舞っているとは、なんと、臆病で卑怯な話だと思わなくもないが。

--と、ま、自分の身を照らし合わせて、省みたくなるような作品でしたね。「蛇にピアス」は。


 → 公式サイト

身体改造やタトゥーなどは、一見ファッション、それも、社会から逸脱しているファッションのように感じられますが、相当の痛みと、後戻りできなさを考えると、そう決断する段階では相当に追い詰められた心理状態にあるのではないかと思います。タトゥーが悪なのではなくて(文化だという国もあるでしょうし)、この日本において、タトゥーをしよう、身体改造をしようという状況に身を置くことが、すでにして、ある種の逸脱であるということを踏まえ、そういう逸脱を経験した者という意味で、世の中からは偏見の目で見られるというような傾向になっているのでありましょう。それを、差別といえば差別なのだと思いますけれど、幸か不幸かそういう道を決断してしまったのは自分自身であるはずなのです。

ここで、派遣切りに合った人も同じというとあるいはお叱りを受けるかもしれませんが、社会構造がいろんな形での弱者にしわ寄せとなって現れているという意味では同じことなのかもしれないと思うわけですね。つまり、この映画の主人公ルイは、すごくスタイルもよくて、すごく綺麗で、それなりに聡明そうなんだけれど、自分で生きている感覚がないというか、実感がないとうか、達成感がないわけなんですね。「どうしてそうなってしまったのか」ということを描くのも意義あることなのですが、ま、この作品は、生きていると実感のない苦しさ、誰をどう愛してどういう生活を築いていっていいかわからない苦しさ、なにをしたら自分が本当に満足でき、周囲の者から認められるのか見つけられない辛さ、そうしたものを、タトゥーとピアスとスプリットタンという、逸脱を使って表しているのだと思います。

ルイの絶望というか、虚無はひじょうによく共感されるわけです。そして、「このまんま、日の当たらない暗い世界でずっと生きていたい(正確に生きていたいと言ったのか、生きていかねばならないと言ったのか忘れたのですが)」という言葉に激しく共感されるのでした。

で、冒頭のような言葉になるわけですね。共感されるのだけれど、それを身体改造とか、ピアッシングとか、タトゥーというような、身体に表すような形でアピールすることは、僕らの世代には許されなかった……のかな、と。

いい映画ですね。

こんなのもあります。わたしの下手な鑑賞文より参考になるかも。
 → Youtube:「前田有一の超映画批評「蛇にピアス」



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