David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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マンダをラする~「曼荼羅」語源

2009-07-28-Tue
曼荼羅って動詞だったのですね~。

まず、ITMediaNewsの記事です。



kwoutによる引用部分の右端の写真はiPhoneの画面の拡大版でしす。写っているのは、iPhoneアプリ「iMandalart」を起動させているところのようです。マンダラート……。なんでしょう、この言葉。iPhone版なので「iマンダラート」というようですが、iPhoneの画面をいろいろ使いやすいように区切っていったら、たまたま分割されて9つになって、なんとなく曼荼羅(たとえば下のような金剛界曼荼羅)っぽくも見えたので、「マンダラート」と命名したという、ちょっと際物的なうさんくささを感じました。別にここで大袈裟に曼荼羅に結び付けなくても、iPhoneはもう知名度もあるんだし……と。



しかし、それは逆でした。

「マンダラート」(MANDALART)というのは、iPhone登場以前から、「デジタル思考ツール」として既に存在していたのですね。知りませんでしたが。
 → マンダラートの誕生のページ

だから、ITMediaNewsの伝える記事は、従来からある思考ツールマンダラートのiPhone版アプリが登場したというものだったのです。ま、そう書いてありますけど~w。

もちろん、それだけでなく、iPhoneにとってマンダラートのような思考ツールが欲しいとは思っていたが、それにぴったりだ。ただ、どのようなものが求められ、どうバージョンアップしていくかは今後の課題であるという、iPhone側の思惑や、マンダラートにとって、PC版やPalm版がすでにアプリとしてあったが、iPhoneと出会って、一層それも大幅に活用されるチャンスが増えるだろうという、マンダラート側の情熱を伝える記事でもあったわけですけれど。

ちなみに、PC版もPalm版も、このページからダウンロードして期間限定で無料で使えます。Win95に対応してるとありますので、そうとう歴史あるソフトですね。

さて、この「マンダラート」のページにネーミングの由来が書いてありました。

よく マンダラートは 仏教の曼荼羅と関係がありますか?
と聞かれますが まったく関係はありません。

たまたまデザインした九画の図形が
仏教(正しくは密教)の金剛界曼荼羅と酷似していたため
今泉は仏教曼荼羅の勉強を始めたことがあります。

結論から言えば
曼荼羅には マンダラートのような使い方の痕跡もありませんでした。
 → マジカル・ソフトウェア:「マンダラートは どのようにして 生まれたのか?

あ、わたしの思ったとおりです。際物的という言い方は失礼にあたるとは思いますが、最初に9分割のデザインがあってそこに金剛界曼荼羅との共通点を見出して命名したのですね。思考ツール「マンダラート」の発案者今泉氏はそこで留まらず、曼荼羅について調べ、結果「曼荼羅にはマンダラートのような思考ツールとしての使い方はない」ということにたどりきます。それと同時に、「曼荼羅」とは「曼荼(マンダ)を羅(ラ)したもの」ということに共感したのでした。

ただ このカタチを「マンダラ」と呼ぶのは
このカタチは 「マンダをラするカタチだ」という言い伝えに
深く同感しました。

このカタチで考えれば 物事の本質に迫れる!
日々に使うことで それを実感していた今泉は
それまでヒログラムと呼んでいたこの手法を
マンダラート マンダをラするアート(技術)と名づけたのでした。
 → 

ああ、そうなんですか。

曼荼羅とは、宇宙観というか世界観や真理を同心円状にきれいに配置した図のことを言うと理解していたのですが、語源的には曼荼(マンダ)を羅(ラ)するということなのですね。

曼荼(マンダ)とは、ものの本質、真髄

羅(ラ)とは、所有する、与える、持つ。

いずれもサンスクリット語で、つまり「マンダラ」とは「真髄を与えるもの、ものごとの本質を有するもの」という意味だったのですね。

おもしろがって、ついでに調べると、阿修羅展などで大人気の「阿修羅(アスラ)」は「阿修(アス=命)を羅するもの」ということのようなんですね。ただ、同時に「ア(反)するもの、スラ(天)に」という解釈もできるところが、阿修羅の阿修羅たるゆえんでして、同じ名前が「命を与える」の意味にも「天に反する」の意味にも解釈されてしまうのです。

ただ、「金毘羅(コンピラ)」や「婆裟羅(バサラ)」については、調べて「ワニの名前」「ダイヤモンドのこと」というような語源はうかがえるのですが、サンスクリット語での読解はわかりませんでした。

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やっと電子辞書にメモ帳がつくか……。(「ざっくばらん」語源付き)

2009-06-26-Fri
まず、ITMediaNewsのこの記事です。


う~む。現在までに電子辞書は4個買いました。いろいろな事情があって(笑)。

現在使っているのは、CanonのWordTankというやつです。それも高校生バージョン。

これを選んだ理由は、コンパクトとドリル機能がついているという2点です。とても気に入っています。何か書くときはPCとネット環境がありますので、辞書コンテンツが必要以上に充実しているということまで求めません。わたしがよく調べるのは日本語や漢字です。英語などほとんど調べない。むしろ歳時記とかあってほしい。それが、標準的なユーザーかどうかわかりませんが、同じ値段なら辞書がたくさんある方を選びますが、失くしたり、壊れたりするものですからね、使わない高価な立派な電子辞書1冊よりは、そこそこの値段で使うもので壊れたらもう1冊買えるくらいの方をわたしは選びます。

だから、どんどん機能を拡張してもらわなくてもいいと思っています。手ごろな大きさ、強度、軽さ、見易さ……、そうしたものを中身と並んで大切だと思いますね。で、わたしの使ってるWordTankは、学習ドリル機能がついています。簡単に言うと、受験勉強時代に誰でも一度は使っただろう「暗記カード」みたいの電子版が、用意されていて、それを持ち歩けます。英検・漢検だと3級と準2級、2級レベルのドリルが入っています。あと、古文単語とか、日本史・世界史の年代暗記だとか。そんなの入っていてどうなるのかと思いますが、携帯電話の電源を切らねばならない病院の待合室なんかでは、これがとっても重宝しています。記憶力にまったく自信がなくなっているので、必死にやってます(笑)。もちろん文庫本を読んでいて調べたりもしますけどね。

価格で言うと2倍くらいする電子辞書があるんですけど、それって大きさも1.5倍から2倍くらいで操作に両手が必要なんですが、このWordTankの学習補助機能(つまり暗記カード)は左手に持って、左の親指でカードをめくって正解を見ることができます。大変便利で、重宝です。

ただ、調べてると書きたくなりますね。たとえば、「ざっくばらん」って漢字でどう書くんだろうなんてことを突然気になりだして調べると(今はPCがあるでわざわざ電子辞書で調べないけど)、そもそもは、擬態語の「ざっくり」や「ばらり」から派生してきたと考えられていて、「心をざっくり割って、ばらりと明かす」という意味だと、語源由来辞典には出ているんですけど、こういうことを知ると、そこから妄想が膨らんで、あれこれとメモっておきたくなるんですね。

ずっと、思っていたのですね。なんでこういうとき、メモができなんだろうって。

携帯電話よりも立派な図体をしていながら、ポケットPCがあんなに注目されていながら、電子辞書にテキストエディタくらいつけられないもんだろうかって。ずっと思ってました。そりゃ、ポメラだったかな、

これを買ってもいいんだけど、これだってそうそう使わない。普段使わないってことは、わたしの場合使いこなせないってことに等しくて、購入にはたどりつきません。
 → ITMediaNews:「「ポメラ」3万台突破 どんな人が使ってる?

だから、スマートフォンだとか、WindowsモバイルやポケットPCだとかになってくるわけなんですが、いろいろな条件があって、たとえば、充電だとか、操作する場所だとか、そんなこと考えていると、いずれもくれるってのならもちろん欲しいけど、使いこなすってところまではたどりつけそうにないなって。

先日、電子辞書がPCに取り込めるってきいたときに、おって思ったのですが、これも、いちいちつないだりはずしたりが面倒くさいですしね。ま、頻繁に使うようなら、一冊買ってずっと接続しておいてもすばらしいとは思いますけど……。下の記事読むと7万円くらいと出てますけど、Amazonでは3万円代で買えますね。

 → ITMediaNews:「PCにつないでPCから検索できる電子辞書、SIIが発売

だから、今の軽くて丈夫で充電が長持ちの電子辞書に、テキストエディターがついてくれたら、便利じゃないのかなとずっと思ってはいたのですけどね……。どうなんでしょう、使ってみたい気持ちはありますが、どうでしょう、売れるでしょうか~。

実際、ブログの記事もブラウザでいくつもタブを開いて参照やコピーして書いていますから、そんな使い方ができるかどうか。いざ、製品化されてみると、やっぱりポケットPCなんでしょうかね。

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カレンダーの語源とお粗末な「関連記事」>産経新聞iza

2009-03-12-Thu
izaが「85歳の集大成 日本語の起源求め退職後に研究」(2009/03/12・配信元:産経新聞)という記事を、この元中学教師東厳夫さんの顔写真入りで紹介しています。

 「85歳の集大成 日本語の起源求め退職後に研究

■横浜の元中学教師 東巌夫さん

 定年退職後、日本語の起源を求め、20年近く地道な研究を続けていた元中学教師が、出版にこぎつけた。病気を機に60代で研究の道に入り、単身、中国への留学を繰り返した。「研究の楽しみがあったからできた」。80代半ばでの出版には中国の研究者の心遣いとかつての教え子たちの多大な応援があった。

記事途中の

 言葉への興味は続き、理科の授業で月の満ち欠けを説明するとき、「昔は新月になると村の代表が『次の月になった』と叫んだ。カレンダーの語源はラテン語で『叫ぶ』を意味するカレンダエ」と話すなど個性的な授業で生徒に慕われた

という、カレンダーの語源もなかなか興味深かったのですが、記事の趣旨はもちろん、東先生の退職後の研究です。

記事によると、東先生は85歳。理科教師を退職後、日本語の期限について研究して、今年1月、「騎馬民族がもたらした日本のことば」(露満堂)を出版したということです。昭和23年、文化勲章受章者の故江上波夫さんが、渡来した騎馬民族が日本列島を支配したという「騎馬民族征服王朝説」を発表したのを知って、「日本という国の成り立ちがはっきりし、うれしかった」。元来言葉に関心が強く、「日本人の元が騎馬民族なら日本語の起源も彼らかもしれない」という着想を得ていたのだそうです。

定年後、海外で日本語を教えるつもりだったそうですが、病気のため断念。日本語の起源を調べる足がかりとして、「騎馬民族の言葉を学ぶために中国に行こう」と決意し、都内の中国語学校で勉強、その後北京の中央民族学院(北京中央民族大学の前身)に留学したんだそうです。中国語だけでなくて、ウイグル語、古代テュルク語、ロシア語、モンゴル語なども学んで、

日本語の起源にはアルタイ説など諸説あるが、東さんは江上さんのいう騎馬民族がいた地域の「古代テュルク語」が有力だと判断。古代テュルク語の「アカル」が日本語の「明るい」に読み方と意味が対応するなど、似た言葉がいくつもあることを見つけた。「騎馬民族によってもたらされた古代テュルク語の音と意味が残り、同じ意味をもつ漢字にあてはめられた」との仮説を打ち出した

んだそうです。

すばらしいですね! 若い頃は、この手のj「第二の人生の成果」みたいなものになんとも思わなかったんですが、なんだか最近は素直に、すばらしい、なかなかできることではないと思います。同時にわたしもこういうのを目標にしなければならないのではないかと思っている、自分自身にも、ちょっとためらっています。

それにして、iza。このすばらしい記事の関連記事が2本ともわいせつ教師の記事というのはどういうことなんですか? 

iza_kanren.png

確かに、ひどい教師がいるという現実なんでしょうが、それにしても、85歳の元教師の「偉業」を紹介するには、あまりに不似合いです。それどころか、この配置では、まるで東先生が「わいせつ教師」であったかのようではありませんか。これではあまりにお気の毒です。

※こんな「関連記事」でいいんですか?>iza? 

念のために、「関連記事」へのリンクも引用しておきます。もちろん、東先生とはまったく関連がありません!と断言しておきます。

* 教え子とわいせつ卒業旅行 元中学教諭…
* わいせつ教師ら懲戒免職



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弁慶が薙刀もって五里霧中に立つ~「五里霧」

2008-05-22-Thu
わたしはクルマの運転中では基本はラジオ派です。それも、AM。それもNHK第一放送。場所中ならもちろん相撲を聞き、国会中継をやっていれば国会中継を聞き、健康相談をやってればそれを聞きます。夏休み子ども相談ならそれを聞き、高校野球なら……聞かないときもあるかも~w。

お気に入りは「真打ち競演」や「名人寄席」などの演芸番組や、梅津アナウンサーの出る言葉の番組、もちろん相撲中継。月曜の夜にやる火曜歌謡ドラマ、キラリ十代(稽古の帰りに聞く)などなんだけど。ま、いいや。逆に聞きたくない(他局にするか、CDなどの音楽にする)のは、素人のど自慢、野球中継、園芸相談や日曜大工相談みたいなやつ……。

で、他局に浮気中だったか、NHKだったか忘れたのだけれど、梅津アナ(→関連過去記事)じゃない人が言葉のことを語っていて、どういう加減だかで「五里霧中」という言葉についての話でした。

「五里霧中」という言葉がありますが、あれは、「五里、霧中」でなくて、「五里霧、中」と読むのが本当らしいですね

へぇ~。知りませんでした。実はその衝撃で、次の逸話を正確に忘れてしまいましたが、なんでも放送によると、「五里霧」という妖怪だか、「五里霧」を発生させる妖怪だかがいて、ま、その「五里霧」の中に紛れ込んでしまうような状態を「五里霧、中」というのだそうです……。

うわぁぁ、そうだったんだ。てっきり、「五里ほどの長い距離を霧の中を進む」なんて意味だと思っていたのだけれど(ま、結果的には「深い霧に巻き込まれたような、混迷した状態」という意味では、どちらで解釈しても大きな違いはないのですけれど……)。

念のためにちょっと検索しました。出典は『後漢書』の「張楷伝」。張楷(ちょうかい)という人は、ひじょうに高名な学者で、学びたいと訪ねてくる人がたくさんいたのですね。しかし、張楷は仕官などするのでなく、むしろ隠者として学問を続けたいタイプの人でした。入門希望者や有力者からの相談、政治家から登用の勧誘などもあったのですが、それを嫌いとっととどこともわからない山中に引きこもってしまうような人だったようです。

どうも、この、求める人から逃げて行方をくらまして、どこに行ったか探しても見つからないというような状態が、五里霧を発生させて逃げるとういようなふうに伝承され、「五里霧中」になったというのが由来のようです。
   参考ページ:まぐまぐ:「故事成語で見る中国史(18)五里霧中」(出典もきちんと載っていて、解釈もおもしろいです)

そもそも「五里霧」というのがあるので、「五里、霧中」でなく、「五里霧、中」と読むのがいいとは知りませんでした~。受験勉強で四字熟語を丸暗記しても、こういうおもしろい話は知らないで通ってしまいますね。

そういえば、切れ目がよく問題になるのに「間髪を入れず」というのがあります。これは有名ですよね、「かんつをいれず」などと続けて読んではいけません。「間、髪を容れず」と切り、「かん、はつをいれず」と「髪」は「はつ」と読まねばなりません。「かんつ」などと読んでしまうと、ちと恥ずかしい。

そもそもは、「間に髪の一本も容れられないほど隙間がない」ことで、「間不容髪」と書かれました。これでは「かんぱつ」などとなりようがないでしょう。(→goo辞書:「間不容髪

これでは、「ぎなた読み」ということになってしまってます。「五里霧、中」が「五里、霧中」になろうが、実態はあまりちがわないのですが、「間、髪を容れず」が「間髪(かんぱつ)を入れず」になってしまうと、「間髪」みたいな特別な髪の毛が登場してしまいますね。

ちなみに、「ぎなた読み」とは「弁慶が薙刀を持って刺し殺した」という文が、ひらがなで書いてあったのでしょう、「べんけいがなぎなたをもつてさしころした」の句読点を誤ってしまって、「弁慶がナ、ぎなたを持ってサ、し殺した」と読んで、意味がとんちんかんになってしまうことで、「ぎなた読み」とか「弁慶ぎなた式」とか言うようです。

「ここではきものをぬいでください」が、人によって、「はきもの」に読めたり、「きもの」に読めたりするのは有名ですが、Wikipedia(「ぎなた読み」)にはいろんな例があっておもしろいです。「けいざいはきゅうこうか」が「経済は、急降下」と「経済波及効果」とになるなんて、なかなか秀逸と思いました。



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