David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
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- 12/26 映画:「家族ゲーム」を森田芳光を偲んで、見る。 - シアター
- 12/22 【訃報】上田馬之助~大嫌いだったまだら狼 - リングサイド
- 08/24 「祖母に遇う」 - 緋夏集
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映画:「家族ゲーム」を森田芳光を偲んで、見る。
→ ■追悼・森田芳光さん 「個人の中から普遍性追求したライバル」大森一樹監督 - MSN産経ニュース
いつからか、映画を好んで見るようになったが、どの監督がどんな映画を作るかというような、監督や脚本を意識したことはあまりなく、ただおもしろそうなものを消費しているだけなので、「森田芳光」と言われてももちろん名前は聞いたことがあるが、代表作が思い浮かばない。かろうじて覚えているのは「模倣犯」で、森田監督は中居くんが嫌いなんだなと思ったことくらいである。せっかくの素晴らしい映画が、なんだか最後の爆発シーンで台無しになっているような気がしてならなかった……。あれは忘れようがない。逆にあれがなかったら、わたしが片端から消費する映画の一つに終わっていたかもしれないとも思わないでもないので、当時はともかく、今となってはアレはアレで正解なのかもしれない……。そんな気もする。……そうか! 「模倣犯」をもう一回見ないと……。今、「家族ゲーム」を見終わってレビューを書き始めて、気づいたことだった。
さて、森田監督の訃報に接して、これをきっかけにいくつか森田作品を見たいなと思っていたところ、こんなツイートに接した。
松田優作の未亡人熊谷美由紀が森田監督の訃報に触れ、夫優作の代表作のトップ3にあげたうちの2つが、森田芳光の「家族ゲーム」と「それから」だと言っているのだ。わたしは「野獣死すべし」とか「蘇る金狼」、あるいは「探偵物語」あたりを思い浮かべていたんだけれど、「家族ゲーム」だったかと、ま、わたしは次はこれを見たいと思って、クリスマスの日にレンタルして来たら、なんt、その夜のBSプレミアムでやっていた……。
松田優作の代表作品はと聞かれたら、私は「家族ゲーム」「それから」「野獣死すべし」をあげたい。二つは森田芳光監督作品。監督の冥福を祈って皆さんに映画を見て欲しいです。
→ https://twitter.com/#!/MATSUDA_MIYUKI/status/149343684738035712
【訃報】上田馬之助~大嫌いだったまだら狼
→上田馬之助の画像で見る経歴【訃報】 - NAVER まとめ
身近な人の死が、遠くの有名人の訃報よりも衝撃が大きいのは当然で、世界的にはどんなに金総書記の死が大ニュースだろうが、わたしにとっては上田馬之助の死の方が重く、そして寂しいのだ。
猪木や馬場の敵役で、日本人ながら、日本のヒーローを、舐めた、卑怯な態度でいたぶる上田は大嫌いだった。父と一緒に見ていたプロレス放送では(一時期は3つの局が地上波ゴールデンタイムにプロレスを放送していた。それも毎週)、今は亡き父が「あんなやつ金玉やってやりゃぁいいんだ!」と真っ赤な顔で怒っていたのが忘れられない……大のおとなをそれほどにまで興奮させるエンタティメントだったのである。ただし、正確に記すと、父がそう言った相手レスラーが上田だったかどうかは覚えていない。ただ、父は上田にだってそう思っていたに違いないのだけれど。
わたしも上田は大嫌いだった。大嫌いを通り越して、寂しくもあった。この人、なんでこんなことやってるんだろうって。でも、その後プロレスを見ていてわかったのは、悪役レスラーやってるからって、別に悪人というわけではない……ということだった。むしろ、プロレスの中では逆というとまた語弊があるが、激情型でなく、理性的なタイプ、つまり、血を見ても熱くならないクールな人にやってもらわないと、暴走が心配で悪役など任せられない……ということがあるようだ。すべての悪役レスラーがそうであるかどうかはわからないが、成功した悪役レスラーはそうだったのだろう。
上田はだから、みんなに嫌われるように努力していた。ネットにはこんなエピソードがある。
俺が知っている上田馬之助さんのエピソードは、当時いかに嫌われるかを考え、芸風にしていた彼はサインを求めに来た子供に対し「邪魔だどけ!」と振り払ったそうだ。その後、子供の寂しそうな顔が忘れられず、付き人にその子らを呼び出させ裏で優しくサインをしてあげたそうだ。
また、こんなものもある。
上田馬之助さんも深夜に出待ちの中学生に写真を撮られたことがあるらしい。突然写真を撮ってきた中学生に向かって「こらっ!」と一喝。名前と電話番号を聞き出すと「夜分遅く失礼します、上田と申します。XXさんのお宅でしょうか」と、少年の自宅に電話をかけた。「…というわけで、ただ今お宅のお子さんをお預かりしています。今から必ずそちらにお返しします。…はい」少年の親に事情を説明して受話器を置くと、筆と紙を取り出してサインを書き「いいか、写真を撮りたいときはな。まず相手の人に「写真を撮らせてください、お願いします」と言うんだぞ。わかったか」と言いながら渡してくれたんだそうだ。
ま、子どもにまで悪役レスラーをする必要は逆にないのだが、イメージは大切にしたのだろう。もう、ずっとあとの話だが、大人になってから見に行った新日本プロレスで、上田馬之助的な衣装をまとってまだら狼をやっていた矢野選手を応援すると、ちっとも嬉しそうな顔をせず、いつも「うるせーェ」と怒鳴り返されたな……。
日本人が日本で悪役をやるのは、今以上に大変だったと思う。こんなエピソードも載っている。
徹底したヒールキャラを通していたため、親類の幼い子供から「おじちゃんは家に来ないで!」と言われたことがあるらしい。プロとしてヒールを演じていた上田は後に「あれが精神的に一番辛かった」と述べたという。しかし、現在行っている施設慰問は現役当時から続けているもので、訪問先では「上田のおじちゃんが来た!」と子供たちに大喜びで迎えられていたという。施設慰問のことを取材したマスコミが「このことを記事にしてもいいか?」と聞いたら上田は「そんなことしたら俺の悪役のイメージが壊れるからやめてくれ」と断った。
みんな、悪役の意外な一面、亡くなったときにするには、これまた絵に描いたような都合のいい話ばかりなのだけれど。
※参考ページ
→ 上田馬之助 (プロレスラー) - Wikipedia
→ 【訃報】上田馬之助さん死去と、福岡のプロレスラーがブログで報告:Birth of Blues
[上田馬之助] ブログ村キーワード
「祖母に遇う」
父方の叔母は三人で、末の叔母が亡くなった。入院はしていたのだが、先日快方に向かったと聞き、個室から大部屋に移ったからという連絡を受けていた。
--ああ、お祖母さんに似てるな
通夜の晩の夜食の席で、少し離れた席に座った上の叔母が、死んだ祖母に似てきたことに気づいた。突然の発見だった。思わず見とれた。
頭髪のほとんどが白髪になり、しわくちゃになった叔母は、若いころはよく肥えていて、ちっとも似ているとは思ったことがない。久しぶりに見た叔母は、祖母にそっくりだった。
それまでは、中の叔母が一番祖母に似ていると思っていた。でもそれは、祖母の若いころはこんな感じだったんだろうなという、そういう感じだった。
--しかし、今度は違う。
上の叔母はわたしの記憶の中の祖母に似てきた。もう、死んだ祖母が生き返ってきたような感じだった。わたしは久しぶりに、心の奥のぬくもりのような幸福な感情を感じとっていた。そして、中の叔母も幾分年をとってきて、昔の昔の祖母に似てきた。
--通夜の翌日
告別式を終えて斎場での弁当の席で、二人の叔母の向かいに座った。斎場に似つかわしくないにこにこの笑顔で、
おばあちゃんに似てきましたね
何も前置きもなく、最初に出た言葉がそれだった。
だもんで、じっと見ておったのかん。
なんだかてーさいが悪かったに。
連日じーっと見つめられたら、なるほど嫌なものだろう。
痩せて、ほんとうによく似てきましたね
また、繰り返した。
自分で鏡を見ててそう思うよ。
おばあさんが生き返ったみたいで嬉しいかん?
ほんとうにそんな気分だった。それは懐かしいというよりも、明確に幸福感だった。
突然、一家の主婦を亡くした末の叔母一家の悲しみと痛手には申し訳ないが、少なくともわたし一人は、なんとなくそうしたほんのりとしたぬくもりを味わわせていただいた……。
--斎場からのマイクロバスの帰りに、中の叔母の隣に座った。
補助席だったので、背もたれがなく、少し叔母の席の背もたれにもたれかかるようにして座って、上の叔母の後姿をずっと見た。祖母の隣に座って、祖母をじっと見つめていられるのは、ほんとうに幸福だった。
亡くなった下の叔母も、きっと天国でこうして祖母に遇っているんだろう--。
なんだ、もう来ただかやれ?
ごめんね。来ちゃったじゃん……。
ほうだか。しょうがないなぁ……。まぁ、いい。のんびりやれ。

