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映画「靖国」の上映中止って、かえって見たくなりませんか?
2008-04-02-Wed
十把一絡げみたいに言うのは嫌なのですが、どっちかというと「戦争映画」というジャンルは好きではありません。好きでなくても、そちらのことを話題にし、気にしていないと、人はすぐ戦争の悲惨さを忘れてしまうので、もう古いことだ、もう毎年同じだなどと言ってないで語り継ぐことは大切だと思います。だからそういう作品をそれなりに評価はします。
「靖国」という映画については、実はまったく興味がありませんでした(正確にいうとしりませんでしたし、知っていたとしても興味は持てませんでした)。映画を選ぶとき、お気に入りの女優が出ているとか、もともとそういう傾向が好きとか、ま、そういうのは別にして、また、そうでなくても、「評判がよい」というのは別にして、そうではなくて、「華氏911」とか「不都合な真実」とか、一種のプロパガンダ的な色合いを帯びているというか、問題作というか、あるいは、一種の政治的な意味合いを持つというか、そういう作品というのは、それだけでわたしは選ばないんですね(むしろ敬遠するというのに近いかと思います)。
だから、「靖国」という映画についても、ほとんど興味がなかったんです(というかほとんどその存在を知らなかったという感じです)。ところが、「公開直前に上映中止が決定される」という、きわめて異例ともいえることがおきてしまいました。
う~む。ちょっと待ったぁ。わたしは「靖国」がどんな映画なのか全く知りませんでしたが(たとえば靖国に肯定的なのか、靖国に否定的なのかを知りません。ただ、経緯から、否定というか批判色が強いものだろうとは思いますが)、とりあえず、この上映中止の経緯を見て、いつかは見たい映画だと思うようになってしまいました。そうしてちょっと興味を持ち検索してみると、以前から注目されていたなか、先日の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれたのですね。
あるいは靖国神社を大切に思う人たちには許せないような部分があるのかもしれません。もしそうだとしたら、わたしはそれを見てみたいと、まぁそう思ったのです。ああ、あの人たちが見せたくないと感じたのはここだったのか、見せたくなかったのはこれだったのかと、それが知りたいと思うようになったのですね。
上映中止を訴えている方たちはどこでご覧になったのでしょうか? 自分では見ないで上映中止活動をなさっているのだとしたら、やっぱりそれはよくない。せめて、見てから言ってよって思います。そして、そのためには、やっぱり上映しなければそれができないのです。
先日、「コドモのコドモ」の映画化について、わたしのブログ記事に長文のコメントを寄せられることがありました。「コドモのコドモ」はいろいろとけしからん作品だとその方はおっしゃいました。その人は、マンガを全部読んでの感想だとおっしゃっていました。これが映画化されるとなると危惧することがいっぱいあるぞというのがその方の意見でした。わたしは、連載中途切れ途切れに読んだということで、すでにその点でその人に及んでいません。そして、映画についてはまだ見ていないので(まだ、できてないのですけど)、やはり、コメントできません。「教えていただいた観点からも見てみることにします」とお返事しました。
→ 過去記事:「「コドモのコドモ」が映画化」
映画「靖国」も、まず見ましょう。というか、上映の機会は与えられなければならないと思います。一応、香港国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞です。それなりに評価をされて、世界的には見られるんです。それを見る機会も奪われてしまったら、もうものが言えない。実際の作品を見もしないで意見は言えません。「俺は見たすばらしかった」と言っている人に、あの映画のこういう点は間違っている、ここが偏っているとうような反論ができないではありませんか。それは愚かな選択です。
参考までに、読売新聞の社説(4月2日)では、この映画の内容の問題、この映画に対して公的助成金が出ている問題が浮上していることなどをとりあげつつ、「憲法が保障する「表現の自由」及び「言論の自由」は、民主主義社会の根幹をなすものだ。どのような政治的なメッセージが含まれているにせよ、左右を問わず最大限に尊重されなければならない」と書いています。
→ 読売新聞社説:「「靖国」上映中止 「表現の自由」を守らねば(4月2日付・読売社説)」
「靖国」という映画については、実はまったく興味がありませんでした(正確にいうとしりませんでしたし、知っていたとしても興味は持てませんでした)。映画を選ぶとき、お気に入りの女優が出ているとか、もともとそういう傾向が好きとか、ま、そういうのは別にして、また、そうでなくても、「評判がよい」というのは別にして、そうではなくて、「華氏911」とか「不都合な真実」とか、一種のプロパガンダ的な色合いを帯びているというか、問題作というか、あるいは、一種の政治的な意味合いを持つというか、そういう作品というのは、それだけでわたしは選ばないんですね(むしろ敬遠するというのに近いかと思います)。
だから、「靖国」という映画についても、ほとんど興味がなかったんです(というかほとんどその存在を知らなかったという感じです)。ところが、「公開直前に上映中止が決定される」という、きわめて異例ともいえることがおきてしまいました。
上映中止決定の背景には、一部の政治団体が街宣jカーなどでつめかけて、住民やテナントなど近隣の迷惑になるということを心配してのことのようです。また、これはわたしの想像ですが、映画館や配給会社などで話し合って足並みをそろえたということもあるかもしれません。靖国神社を題材としたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」を4月12日から上映する予定だった銀座シネパトス(東京都中央区)、シネマート六本木(同港区)、Q-AXシネマ(同渋谷区)、シネマート心斎橋(大阪市中央区)の4つの映画館が相次いで上映自粛を決定。3月31日、同作を配給するナインエンタテインメント、アルゴ・ピクチャーズが発表した。
同作については、すでに新宿バルト9(東京都新宿区)が上映の取り止めを決定していたが、さらに上記4館が上映自粛を決定したことによって、予定されていた公開劇場がなくなるという異例の事態となった。
→ eiga.com:「異例!ドキュメンタリー「靖国」が、公開直前に上映中止決定!」(4/1)
う~む。ちょっと待ったぁ。わたしは「靖国」がどんな映画なのか全く知りませんでしたが(たとえば靖国に肯定的なのか、靖国に否定的なのかを知りません。ただ、経緯から、否定というか批判色が強いものだろうとは思いますが)、とりあえず、この上映中止の経緯を見て、いつかは見たい映画だと思うようになってしまいました。そうしてちょっと興味を持ち検索してみると、以前から注目されていたなか、先日の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれたのですね。
個人的には、スルーしてほどんど見るとは思われなかった作品のはずが、海外の映画際で最優秀ドキュメンタリー賞をうけながらも、国内で一部の者の圧力で上映中止になった作品という、ただそういう事実で、つまり、映画の内容への関心とは無関係というか、別のレベルで見たいという作品になってしまったのです。靖国神社の現実と精神構造に、映画『味』の李纓(リー・イン)監督が挑んだドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』が香港国際映画祭にて最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。
本作は靖国神社というそのデリケートなテーマから、以前より国会議員試写や一部映画館の上映取りやめなど、さまざまな人や場所にて、物議を醸していた問題作。
→ eiga.com:「問題作『靖国 YASUKUNI』が最優秀ドキュメンタリー賞を受賞!-香港映画祭-」(3/27)
あるいは靖国神社を大切に思う人たちには許せないような部分があるのかもしれません。もしそうだとしたら、わたしはそれを見てみたいと、まぁそう思ったのです。ああ、あの人たちが見せたくないと感じたのはここだったのか、見せたくなかったのはこれだったのかと、それが知りたいと思うようになったのですね。
上映中止を訴えている方たちはどこでご覧になったのでしょうか? 自分では見ないで上映中止活動をなさっているのだとしたら、やっぱりそれはよくない。せめて、見てから言ってよって思います。そして、そのためには、やっぱり上映しなければそれができないのです。
先日、「コドモのコドモ」の映画化について、わたしのブログ記事に長文のコメントを寄せられることがありました。「コドモのコドモ」はいろいろとけしからん作品だとその方はおっしゃいました。その人は、マンガを全部読んでの感想だとおっしゃっていました。これが映画化されるとなると危惧することがいっぱいあるぞというのがその方の意見でした。わたしは、連載中途切れ途切れに読んだということで、すでにその点でその人に及んでいません。そして、映画についてはまだ見ていないので(まだ、できてないのですけど)、やはり、コメントできません。「教えていただいた観点からも見てみることにします」とお返事しました。
→ 過去記事:「「コドモのコドモ」が映画化」
映画「靖国」も、まず見ましょう。というか、上映の機会は与えられなければならないと思います。一応、香港国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞です。それなりに評価をされて、世界的には見られるんです。それを見る機会も奪われてしまったら、もうものが言えない。実際の作品を見もしないで意見は言えません。「俺は見たすばらしかった」と言っている人に、あの映画のこういう点は間違っている、ここが偏っているとうような反論ができないではありませんか。それは愚かな選択です。
参考までに、読売新聞の社説(4月2日)では、この映画の内容の問題、この映画に対して公的助成金が出ている問題が浮上していることなどをとりあげつつ、「憲法が保障する「表現の自由」及び「言論の自由」は、民主主義社会の根幹をなすものだ。どのような政治的なメッセージが含まれているにせよ、左右を問わず最大限に尊重されなければならない」と書いています。
→ 読売新聞社説:「「靖国」上映中止 「表現の自由」を守らねば(4月2日付・読売社説)」