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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

映画:「容疑者Xの献身」~劇場で

2008-10-06-Mon
東野圭吾のガリレオシリーズ、初の長編「容疑者Xの献身」を見てきました。

 → 映画「容疑者Xの献身」公式ページ
 → ガリレオシリーズの特設ページ

フジテレビの人気ドラマの映画化なんですが、おもしろいです。時間は144分なんですが、長さを感じさせません。

天才物理学者湯川(福山雅治)は、論理的な思考力で犯罪を解決に導く、いわば天才肌の探偵で、「ガリレオ」はいわば彼のニックネームです。若き女性刑事内海(柴咲コウ)は、難事件の捜査に行き詰ると先輩刑事草薙(北村一輝)とともにガリレオを尋ね、事件を次々と解決……。基本的には、この三人が探偵サイドの主人公です。

対する今回の犯人役というよりはむしろタイトルにある「容疑者X」の役と言ったほうぴったりくるのかもしれませんが、同じ大学の同級生であった石神(堤真一)です。石神はガリレオが唯一認める「天才」で、今はある事情から落ちぶれて高校の数学教師をしていますが、ガリレオと知り合った頃は数学の天才といってもいいような、明晰にして柔軟な頭脳を持ち、数学以外には全く興味のない、理想に燃えた将来を期待される学生でした。その石神とガリレオは、偶然、ある殺人事件を通して再会することになるのです。


▲特報

その事件は、開拓用の空き地で、一人男の絞殺体が発見されたという、それだけの事件です。顔がつぶされ、手足の指紋、掌紋などは焼き消されています。顔もつぶされて、歯の治療痕もわからない……。こういう全裸死体が発見されるのです。着衣は近くで燃やされているのですね……。身元を隠している死体は、逆に言えば、身元がわかれば解決は近いのが常なのですが、なかなかそこから進まないので、内海刑事(柴咲)がガリレオに相談にいくわけですね。

ガリレオは事件に対して当初は全く興味を示さないのですが、捜査の過程で、石神が登場すると、事件よりも、石神に興味を持ちます。才能を信じ将来を期待していた、かつての天才石神が今はどうなっているのか、友達として心配になったというのが正直なところでしょう。

……こうして、ガリレオと石神は再会します。同級生の旧友を尋ねたつもりが、それは、探偵ガリレオにとっては、容疑者石神と対決する辛い事件への関わらねばならないことになっていくのですね。なぜなら、石神はその事件の犯人を助けるために、天才と称された頭脳で、死体の処分をしていたわけなのですから。数学の天才が築き上げた誰にも解けない完全犯罪のトリックを、天才ガリレオが果たして美しく解くことができたのか……。ま、そういう仕立ての映画です。

わたしがネタバレを書いているようです、そういう心配はまずありません。本作は一種の倒叙形式の小説と言えるように、犯人というか殺人事件そのものがどういう過程で起きてしまったか、なぜ、数学者石神がそれに関わるようになったのかは、映画の比較的冒頭に近いところで、画面そのものに映し出されます。そもそも、それ以前に予告でも出ています。しかし、真犯人を救うために、石神がどういう狙いで、どういう段取りで死体を処分していったのか、それは映画を見ていてもわかりません。そこが謎なのです。見る人は、犯人がわかっていながら、トリックが見抜けない……。そういう展開で話はすすんでいくのです。

比較として思い出されるのは、夏に日テレの「相棒」の映画化「相棒-劇場版-絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン」です。これもとても楽しく見た良作なんですが(→過去記事)、猟奇的でセンセーショナルな事件を扱っているので、キャラのおもしろさはあり、「東京マラソン」や「ネット犯罪」など現代的なアイテムをいくつも入れながら、やや大味なサスペンスという感じかなと思うのです。もちろん現代人の内面的な問題も入れて面白くできているので、このあたりは甲乙つけるというよりは、好みの問題だと思うのですが、それに比べて、本作はじっくりと論理的に落ち着いて勝負する、ミステリーになっています。冒頭に、主人公の紹介を兼ねた荒唐無稽な犯罪が描かれますが(TVシリーズ見てないのでつながりがあるのかもしれませんが)、逆にそこが一つの伏線というかトリックになっていて、初めてガリレオを知ったわたしには、なにか途方もない大仕掛けのトリックとガリレオとの対決があるのじゃないかと期待(厳密にいうと不安に近いものです)させ、それが的外れに終わって安心させます。きちんとした論理ミステリーになっているところがすばらしいと思います。

原作は東野圭吾です。現代人の孤独というか、せつなさというか、不器用さを描くのがうまいですね。理想と現実、夢とロマンと現実をよく描いていると思います。

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
文藝春秋
売り上げランキング: 9
おすすめ度の平均: 4.5
4 東野ファン
5 ●数学って、実に面白い!!
5 献身とは何でしょう
4 読後の一言 「一長一短」
1 これは愛の話ではないと思う




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映画:「相棒」GW公開~語源と「棒」について。

2008-04-21-Mon
なにか、映画「相棒」が評判がいいようです。といっても、まだ公開されてないのですけど。公開は5月1日。今年は短期型といわれるGWの5月1日ですね。

GW(ゴールデンウィーク)はそもそも、映画館にとってお客がよく入る時期で、映画業界の用語が一般化したものなのですが、加えて、1日は毎月映画の日となっていますんで、5月1日公開というと、なにか特別な感じがしてこないでもないですね(単に曜日の関係なんでしょうけど。慣例で「土曜」が封切りですからね)。

過去物語さんところの記事によると(といっても元ネタはヤフーニュース(ゲンダイネット)らしいのですが~)、映画評論家の秋本鉄次はこんなふうに言っていて、なかなか面白そうです。

「これまでの人気ドラマの映画化では“2時間スペシャルで十分じゃないか”とガッカリさせられる作品が多かった。そんな中、『相棒』は映画単体としても十分に楽しめる仕上がりです。良質な謎解きは健在だし、東京マラソンを舞台にした犯人との息詰まる攻防は、スケールが大きくて映画ならでは。爆破やカーチェイスといった見どころも多い。映画らしく脚本を練り、満を持して丁寧に作り込んだ作品です」(映画評論家の秋本鉄次氏)

ちょっと楽しみですね~。


 → 映画「相棒」公式ページ

さて、「相棒」の語源ですが、これはわりと有名というか、簡単のような気もします。一緒に仕事をする仲間や片割れ、パートナーを呼ぶわけですが、江戸時代の駕籠担ぎからきているのでしょう(駕籠に特定することもないでしょうけど)。ただ面白いのは、同じ語源だろう「片棒を担ぐ」という言葉は、あんまりいい意味にはつかわれないで、もっぱら悪さに荷担するようなときにつかわれるのですね。どうしてなんでしょう。別に駕籠を担ぐことが悪いってわけでもないでしょうに。
 参考:語源由来辞典「相棒」「片棒を担ぐ

で、これはあくまで「仮説」ですが、ひょっとしたら、「棒」に悪い意味があるのかもしれないなぁと思うんですね。

たとえば「泥棒」。なんで泥棒のことを「泥棒」というのか、実はよくわかっていないようですが、「でくの坊」や「甘えん坊」「見栄坊」など人をあらわすときには「棒」でなくて「坊」なのに、「泥棒」だけ「棒」ってのも「棒」にネガティブなイメージがあるからかもしれません。

「犬も歩けば棒に当たる」。この「棒」は犬にとっては敵ですね。棒が落ちてくるというよりは、誰かが振り回している棒に当たるという感じじゃないかと勝手に想像しているのですけれど、ま、よくないものとして「棒」が出てきます。

そして、「棒に振る」……。これが、どういう「棒」なのかそのあたりがなかなか決定的な説がないようで、けっこう謎なんです。す。
 → はてなクエスチョン:「「棒にふる」の「棒」ってなんでしょう。」になかなかいろいろ書いてあって興味深くはあるのですが、決定打はないようです。

このあたりまでは、「棒=よくないもの」という感じですが、次は「棒」が悪いってわけではないが、ま、あんまりよくない感じの慣用句に使われている「棒」です。「藪から棒(=いきなり。唐突に)」、「箸にも棒にならない(=なんの役にも立たない)」、「足が棒になる(=歩きつかれる)」。

さて、こんなふうに並べると、「相棒」って言葉には、「相方(あいかた)」「パートナー」に比べて、やっぱりどこかに、なにか、粗野という匂いがしてくるような気もするのですが、どうでしょうか。



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