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百人一首の日に考える、仮名遣いの歴史

2005-05-27-Fri
今日は「百人一首の日」です。ネット上いくつもある「今日は何の日」的なサイトを見ると、定家が『明月記』の文暦2年(1235)5月27日に、「親友(頼綱)の求めにより和歌百首を書写し、これが嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られた」というような記述があることによります。
 → こちらの「百人一首の日」を参考にしました。

藤原定家といえば、百人一首の選者ですが、新古今集の選者でもあり、和歌の歴史を語る上では避けては通れない人物なのですが、同時に、「国語」の歴史を語る上でも重要な人物です。

それは国語の仮名遣いについて研究し、「定家仮名遣い」と呼ばれる仮名遣いの一つの基本を完成したことによります。知プラで「仮名遣いの歴史」として回答したことがありました。(→  知プラ「歴史的仮名遣いと、現代仮名遣いへの変遷」

では、転載します。


「歴史的仮名遣い」の第一歩は歌人藤原定家(鎌倉初期)によって開かれたと言えます。

定家以前には「仮名遣い」という意識はなく、発音通りに仮名を表記していたと思われるのですが、鎌倉時代にもなってくると、発音と表記の間にずれや、表記の混乱が目に余るものだったと思われます。

そこで、定家はワ行やハ行などの使い分け(「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」)について「下官書」に書き、こうした混乱をただし、統一的に文字を使おうという態度を示したわけです。いわば「仮名遣い」の第一歩です。この仮名遣いは、後に僧行阿(南北・室町)によって、補足修正され、江戸時代まで続く「仮名遣い」としてひとまずの標準となりました(「歴史的仮名遣い」と区別して「定家仮名遣い」と呼びます)。

ところが、その定家仮名遣いも文献的に見て誤りがあることが研究によりわかってきました。江戸中期の学者契沖は『和字正濫鈔』(わじしょうらんしょう)を著し、定家仮名遣いなどにみられる文字遣いの乱れを指摘、それが本居宣長らにも引き継がれ、明治期になりさらに研究され、所謂「歴史的仮名遣い」として一つの標準的な表記法として定着しました。

以上が「歴史的仮名遣い」の由来というか、歴史です。

「現代かなづかい」への転換ですが、最大のきっかけは太平洋戦争の敗戦であり、ずばり、アメリカから「よくわからん」と言われたことにあります。鎌倉時代から明治にかけて、我が国の学者たちが文献をあたり研究し完成させてきたものを、簡単に捨ててしまうとは、考えてみれば愚かなことであり、寂しくもあります(これは感想です)。

とはいうものの、明治維新前後から大戦期まで、歴史的仮名遣いの不都合さを指摘する声は、国内にも決してなかったわけではありません。発音と表記が違うわけですから、漢字を習う以外に個別的に仮名遣いを覚えねばならないというのは、実際のところ効率が悪すぎるというのです。そこで、仮名遣いの見直しのみならず、漢字の廃止(すべてカナ表記)とか、カナも廃止しローマ字による一本化などが、学者や文壇で真剣に論ぜられていました。

太平洋戦争の敗戦で、アメリカから表記についての簡易化を求められ、どうしても見直さねばならなくなったのですね。そうして、国語審議会によって「現代かなづかい」という新しい標準が作られたわけです。ちなみに、1946年内閣告示「現代かなづかい」が出され、1986年に内閣告示第1号として改定されています。


参考資料: ウィキペディア その他

こういう動きで「現代かなづかい」の完成をみたわけですが、やはりこの歴史を無視した国語の「改悪」に異議を唱える人たちもいなくはありませんでした。

これは、知プラの「1945年以前に普通使った旧仮名表記について易しく説明した本とか。」という、外国人のからの質問に答えたときに紹介しました。

歴史的仮名遣いを「正仮名遣い」として見直そうというサイトにはたとえば、次の二つがあります。
 → 「旧仮名遣いと呼ばないで」
 → 「國語國字問題解説」

実はわたしの知り合いにも、そういう「正仮名遣い」でWebページを作っている頑固者もいます。

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