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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

「現代のコンフィギュレーション」展~岡崎市美術博物館

2008-04-07-Mon
先月、三重県立美術館に出かけたのに続いて、地元で現代美術の企画をやっていたので、花見がてら(桜はあんまりなかったので、花見は午後から岡崎公園に回りました。すごい人手でした)、岡崎美術博物館に行ってきました(内心、先日落書きで話題になった岩瀬文庫に行きたかったのですが、諸事情で変更)。

三重県立美術館の記事の中で、

わたしはこういう、現代美術にはえてしてこういう「屁理屈みたいななもの」(「屁理屈」というとしかられるんでしょうけど)があると思っています。美しいものを美しいとただ賞賛しているだけでは許されない、その美しさの背後にある、一種の努力とか、必死さとか、あるいは無理とか、犠牲とか、場合によっては欺瞞とか、欠落感みたいなものを、両方を合わせて描くのが、一つのリアルさであって、同時代を生きている人の作品に関する共感が生まれるのだと思うのですね。別にすべての作品にそれを求めるわけではないのですけど、そういう意図で作った作品は、そういう意図で鑑賞したいかなと、ま、とりあえずは思っているわけです。

ただ、「屁理屈」という言葉を使ったのは、残念ながらそれはなかなか美術の王道にまで育ちきっていないかなと思っているからです。つまり、なんというか、万人に共感を得るものにまでなかなか達しにくい、場合によっては作家の自己満足で終わったり、見る側の思い込みみたいなものに留まったり、けっきょく「わかる人にはわかる」というレベルになってしまいがちではないかと思うのですね。

なんてことを、偉そうに書いているのですが、時系列からいうと、この三重県立美術館の記事は、この岡崎の「現代のコンフィギュレーション」展を見た直後に書いたものでして、むしろ、こっちの展覧会の感想というのが大きいと思います。

たとえば、展示室に入るとすぐに、ちょっと厚めの薔薇の模様の織物の両端はそのままで、その中間をわざわざきれいに解いて、流れるように見せている作品(「弛緩する織物」)があるのですが、なるほど、オーソドックスでない実験的な手法で、新たな視点を与えてくれるという気はするのですが、だから何? と、こっちが挑戦されているような気分になったりもするものです。

また、「行人-性的人々」だったかな? 一人のみょうちくりんな人間を描いているのにタイトルが複数形とういような作品もあって(連作の一部なのかもしれないのですが)、題名と作品との段差を、見る側が必死で補わねばならないところがあって、ちょっと失礼な言い方に聞こえるのかもしれないのだけれど、作者はあるいは言語表現に不自由なので、絵画という手法で表現しているのかと思ったりするのですね。

そうかと思うと、大きなキャンバスに、色とりどりのアクリルの塊を、厚くちりばめたような作品があって、それは逆に作者自身(岡崎乾二郎)でさえタイトルを間違えずに記憶していないのではないだろうかと思われるような、200字近い題名がついているのがあるのですね。これは二つ展示されていて、今回の展覧会のポスターに採用されているような代表作であるらしいのです。確かにきれいです。

そんなものを見ていると、なんとなく、一種の屁理屈というか、わかる人にはわかるというようなそんなところに行っているんじゃないかなぁと思ったりしてしまうんですね。これはちょっと批判しているようにも聞こえるわけですが、ま、確かに疑問を感じてはいるのですが、同時に、こちらはそれを承知で見にいくというか、常識的な見方や、気づかないでいた新しい視点をもらいにいくというところもあるわけで、ま、脳みその別のところが同時に刺激されるというか、それはそれで快感なので結構なことなのですが、作者たちはそれで構わないのだろうかと、ま、ちょっと気を回したりするわけなのです。

わたしが気に入った作品は、八島正明の「階段」「帰路」などの作品で、肉体を描かずに、塀に映った影や、水溜りに映った姿、肉体を一切描かずに、駅の階段を上っていく数名の男女の後姿だけを描いた(まさに透明人間の群れが服を着て歩いているという感じ)作品で、現代人の虚無的な感覚と、その中の人間らしさが感じられてとてもよかったです。

もう一つは、3メートルもあるような大きな木を2枚、分厚い本を開いて立てるように置いてあって、こちら側が開いていて、奥は行き止まり(閉じられている)という作品です。オレンジ色を基調にした縦横のストライプが引いてあって、温かな閉塞感というか、行き止まりなんだけど苦しくないというか、ちょっと不思議な感覚になります。作者は佐藤勲。「MISSING LINK,DOUBLE BIND~NO SIDE 2」という作品ですね。

あと、菅原健彦の「無名の滝」もすごいです。墨と岩絵の具で、ふすま障子の紙みたいのに書いてあります。ひとことで言うとどうやって作るの~って感じ。どこまで偶然で、どこまで計画的で、どこまで修正でってところがなかなか興味深い。流れ落ちる水が白で、水しぶきが墨(黒い)なんです。おもしろい。

ほかにも面白い作品はあるのだけれど、こうして書き並べてみると、「現代美術は屁理屈的だ」と思ったのは、作品や作者の側に責任があるのではなくて、わたしが屁理屈的に作品をみているからにほかならないのではないかという気がしてきますね。もっと直感的な見方というか、色彩のおもしろさや、かたちのおもしろさを言葉を介さずに感覚的にわかる人が見たら、わたしの見方はなんとおもしろくない散文的な見方だと馬鹿にされるかもしれないと、ま、そんな気がして、ちょっと恥ずかしいです。

 → 岡崎市美術博物館
 →  〃  現在の展覧会

会 期
 2008年 2月16日(土) → 4月13日(日) 休館(月曜日)
開館時間
 10:00~17:00 *最終の入場は16:30まで
観覧料
 一 般   300円
 小中学生 150円
*岡崎市内の小中学生は無料。
*各種障害者手帳の交付を受けている方及びその介助者は無料。





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「液晶絵画Still/Motion」展を見る~三重県立美術館

2008-04-04-Fri
先日というか、すでに先月というのがいいのですが、三重県立美術館のスティル・モーション「液晶絵画展」に行ってきました。
tubijyutu.jpg

 → 三重県立美術館(その中の「液晶絵画Still/Motion」のページ)

簡単に言うと、最近ことに進歩の見られる薄型の液晶テレビ、そのきれいさ、細密さ、薄さに着目すれば、これはもう、キャンバスになるだろうというので、美術展ができるんじゃないかということですね。しかも、動画という形で。

知ったのは新聞の広告です。有名なフェルメールの「真珠の耳飾の女」(→Wikipedia)の、モデルとなったと思われる女性の前後の動作を想像し、ランプの下で読書していてふっと振り返る様子を液晶絵画で再現しているのですね。広告はそれを映画のフィルムを広げて見せるような感じで見せていました。実際の展覧室ではかなり大きな画面でリアルをそれを見ることができるのですが、目の印象は実際の絵とはかなり違ったもので、相当に、大人っぽく、そのあたりに作家(この動画を作った森村泰昌)の作家(フェルメール)に対する一つの解釈があるということだろうと思います。

▼展覧会に直接関係ないですが、フェルメールとモデルを扱った映画もあります。
真珠の耳飾りの少女 通常版
メディアファクトリー (2005-01-14)
売り上げランキング: 7296
おすすめ度の平均: 4.5
5 フェルメールの絵画のような映像
5 今年も日本にやってくるフェルメール、彼の絵画が好きな方にはお勧めかも
5 蘇らせた17世紀オランダの光と影
5 美しい
5 カラーが本当に美しい



また、同じ作家の「フェルメール研究」では、「絵画芸術」(→Wikipedia)を、なんというか、画家の後ろ姿にもモデルがいたはずだろうというような解釈から「モデルを書く画家をさらに描く画家」という本当の視点が再現されています。現代美術にある、こだわりというか、屁理屈というか、知的な遊びみたいなものを感じました。

わたしはこういう、現代美術にはえてしてこういう「屁理屈みたいななもの」(「屁理屈」というとしかられるんでしょうけど)があると思っています。美しいものを美しいとただ賞賛しているだけでは許されない、その美しさの背後にある、一種の努力とか、必死さとか、あるいは無理とか、犠牲とか、場合によっては欺瞞とか、欠落感みたいなものを、両方を合わせて描くのが、一つのリアルさであって、同時代を生きている人の作品に関する共感が生まれるのだと思うのですね。別にすべての作品にそれを求めるわけではないのですけど、そういう意図で作った作品は、そういう意図で鑑賞したいかなと、ま、とりあえずは思っているわけです。

ただ、「屁理屈」という言葉を使ったのは、残念ながらそれはなかなか美術の王道にまで育ちきっていないかなと思っているからです。つまり、なんというか、万人に共感を得るものにまでなかなか達しにくい、場合によっては作家の自己満足で終わったり、見る側の思い込みみたいなものに留まったり、けっきょく「わかる人にはわかる」というレベルになってしまいがちではないかと思うのですね。

それを補うのが、やはり、表現力というか、描く技術というか、描く力だと思うのです。逆に言えば、ある水準以上の力を持った人がつくるとき、単なる「屁理屈」が、もう少しましな「屁理屈みたいなもの」にまで高められるというか、「屁理屈」という殻を脱皮して、一つの問題意識というか、問題提起として成功するのか思うのです。

あ、ちょっと入り込んでしまいましたね~。

ええと、このフェルメールを素材にした、一種のパロディというか、コサージュ以外にも、おもしろい作品はたくさんありました。大きな液晶テレビを屏風ふうに8枚並べた、動く墨絵の液晶屏風(→これ)や、肉や果物の静物画なのだけれど、ずっとそこに置いてあるので、カビが生えたり腐敗したりしていく、それを時間を短縮して見せているだとか、あるいは、ある庭園の池に飛び込んだ男がずっと出てこないのだけれど、その水面に映る風景の変化をずっと流しているものだとか、いろんな面を刺激される作品展でした。

・シャープやエプソンが協力しています。

2008年2月14日(木)-4月13日(日)

休館日:毎週月曜日、3月21日(金)

観覧料: 一 般 =900円(700円)
高・大生=700円(500円)
小・中生=500円(300円)

・( ) 内は20人以上の団体割引及び前売料金
・三重県立美術館メールマガジンの各最新号をプリント・アウトしたもの、もしくは携帯電話の受信画面を示していただければ、前売り料金でご観覧いただけます。
・身体障害者手帳等をお持ちの方及び付き添いの方1名は観覧無料




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