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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

セクハラサイコロとか、暗号テストとか、お葬式クイズとか~あまりに今風な

2010-10-31-Sun
ちと、教師の不祥事報道が続きました。

しかも、交通事故とか、痴漢などの学校外でのわいせつ行為とかではなくて、個人情報の漏洩とか公金の着服などではなく、授業やテストなど、教室という教育現場のど真ん中でおきたという点で共通しています。

ほかにもあったかもしれませんが、今回に目にしたのは、校長暗殺事件のダイイング・メッセージのクイズを定期テストの一部に出題してしまった高校の先生、恋しい人にもう一度会うためには妹を殺すのが正解というクイズを授業でしてしまった小学校の先生、授業中の私語などの指導のペナルティを「セクハラ・サイコロ」で決めて実施していた小学校の先生の3人のケースでした。

最初のは、わが愛知県の商業高校でおきました。「総合実践」という科目のテストでした。

 「校長が暗殺された。犯人は」-。愛知県立東海商業高校(東海市大田町)の中間試験で、同校教員の名前を入れた選択肢から、犯人を選ばせる問題が出されていたことが23日、分かった。架空の設定で暗号解読により回答を導く問題。同校によると、出題した男性教諭(24)は「柔軟性を試すためだった」と話しているという。
 国枝裕校長は「不適切な問題だ」として教諭に厳重注意した。
 → jiji.com:「「校長暗殺犯人は」=中間試験で不適切問題-出題教諭に厳重注意・愛知県立高」(2010/10/23)

これは、全く問題がないかといえば問題がないというわけではありませんが、素直にたいしたことはないという感想を持ちました。「職員室で校長が暗殺された。校長が血で書き残した文字を手掛かりに犯人を当てましょう」という趣旨の出題で、そのダイイング・メッセージが「41124」だったんですね。このくらいのブラックなクイズは、別に、テレビでもどこでも普通にゴールデンタイムに放送されてるんじゃないかと思います。

たぶん、授業の息抜きくらいだった、ま、問題にならなかったでしょう。ただ、選択肢が実在の先生7人の名前であったところが、ま、ちとやっちゃったかなってところがあります。もう一つ、「こんなのが試験問題かよ」という点がちょっと大きいですね。科目も「総合実践」なんて名前だから、何を実践するの~? なんて嫌味を言われてしまいかねない点も指摘できますけど、まさか、全部がこんな問題じゃないでしょうからね。

それに、実際、営業なんかではこういうちとしたおしゃべるネタが役に立つってこともあるんじゃないかと思いますよ。業種によってはね。

次に話題として入ったのが、東京の小学校の授業でのクイズの件でした。

 東京都杉並区教委は23日、区立浜田山小学校で3年生の担任の女性教諭(23)が、正解は「妹を殺すこと」というクイズを出す不適切な授業を行ったと発表した。同小は同日、保護者会を開き謝罪した。
 杉並区教委は「非常に不適切な行為。今後繰り返さないよう指導に努める」とコメント。教諭や校長に厳重注意するとしている。
 → jiji.com:「「妹殺す」が正解?=東京の小学校では不適切授業」(2010/10/24)

高校の「校長暗殺」に比べて、こっちの方が、深刻さはあります。

高校生と小学校3年生という違いも、教育的な視点からすると大きな違いです。ネタが「恋しい人と会いたいために殺人をする」というのが「正解」というクイズ(正確にはパズルになると思いますけど)を、授業中に扱うというのは、不適切と言われれば「不適切」でしょう。ただ、どういうシチュエーションでなされたのかよくわかりません。算数の授業らしいけれど、それを材料にして何を伝えたかったのかということも、この先生に聞いてみたいです。ま、今回は、そういう点からみて納得できないので、こうして話題になったということも大いに考えられますね。発想の意外さ、論理的な柔軟さという点では、昔はやった、ナンセンスパズル的なおもしろいさを認めることはできると一応は思います。

ただ、この「クイズ」について、今回のことがきっかけで知ったのですが、「サイコパス診断テスト」と言われているものの改造版みたいなんですね。
 → らばQ:すぐ簡単にできるサイコパス・テスト らばQ:すぐ簡単にできるサイコパス・テスト らばQ:すぐ簡単にできるサイコパス・テスト
 → サイコパス(性格異常)診断 サイコパス(性格異常)診断 サイコパス(性格異常)診断

ここまで承知で質問していたとなると、生徒がサイコパスかどうかを診断していたのか? なんて話になって、ますます、複雑な要素が出てきますね~。

ただ、わたしが言いたいのは、このお二人は、いくらか問題もあるが、こうしてマスコミでニュースにするほどのことでもないんじゃないのかと言うことです。どちらも、保護者が学校に意見を言って、学校側が事実確認と事後措置を講じたら済むようなななしではないかと思うんですね。

この二人の若い先生は、こんだけテレビやゲームなどが子どもたちの間に広がっている現状の中で、なんとか、生徒の目を向けさせようとしてる結果だと思うんですね。問題にしなくてもいいんじゃないと言うことじゃなくて、ここまで、マスコミが報道しなくてもいいんじゃないのかなぁと思うのです。

だってそうでしょう、そんなこと、どうしてマスコミが知るんですか? マスコミが教育問題を嗅ぎまわってるんでしょうか? そうでなくて、誰かが、通報してるんじゃないかと思うんですよね。……だとしたら、学校と保護者、学校と社会の信頼関係がそこまで壊れてしまっていることの方が、むしろ問題なんです。

こんなことをしでかす先生が出てきたということと同時に、こんなことを書くマスコミが出てきてしまってる世の中の問題も、マスコミも考えてほしいと思うんですよね。


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「教育を受ける権利」

2009-02-28-Sat
ぼちぼち卒業シーズンですね。こんな記事。


卒業証書を“人質”に 島根の8県立高校」(iza)

 島根県の8つの県立高校が、保護者向けに「授業料を滞納している生徒に卒業証書を渡さない」と通告していたことが27日、分かった。県教育委員会は「卒業証書を人質に取ったと思われても仕方なく不適切」とし、各校を厳重注意した。

うむ。いちおう、人権感覚、教育の理想というようなことを考えていくと、県教育委員会がいうような、「卒業証書を人質に取ったと思われても仕方なく不適切」というような建て前になるのでしょうかしらん。

でも、本当にそんなんでいいの? と、教育委員会の方々に問い返したいところですね。

もちろん、一概には言えません。いろんな事情が想像できます。こういうご時勢です。突然会社が倒産したとか、リストラされたとかありますからね。また、滞納の状況側にも1か月の滞納から、半年の者や1年の者などいろいろであったのでしょう、きっと。だから、一概には言えません。

ただ、一概に言えるのは、本当に困っている家庭には、確か「授業料免除」というのはあるはずだってことです。島根県だってありますね。だから、この人たちはその手続きをせず、あるいはしたけれども認められず、滞納した(し続けた)ということですね。

授業料を払ってもらわないと卒業証書を渡せません」ということだけを見ると、人権や教育の理想からすれば確かに配慮という意味では問題の部分もいくらかはあるのかもしれませんが、その上で、でもって思ってしまいます。

この人たちの具体的なことは知りませんが、一般的には授業料以外にたとえば修学旅行や各種行事などの代金やその他実習費や教材費などについても、教育サービスを受けながら支払っていないというケースもあるんじゃないかと思います(ここは一般的な類推です)。念のために書きますが、普段の授業自体が教育サービスです。

公立高校とはいえ、義務教育ではありませんし、契約して入学しているはずなんですよね。授業料を払えないと卒業証書がもらえないというのは感情的には子どもがかわいそうという気もしますが、逆に言えば、授業料を払ってもらってないのに、今まで授業をし、健康相談や進路相談にのり、生活指導をし、修学旅行に行き……、ただでは受けられないようなサービスをし続けてきたわけでしょう。

「人質」というような言葉を使うこと自体があれではありますが、サービスを受けながらその対価を払わないで済ませることができるなんてこと、いみじくも教育機関が教えてはいけないと思います。むしろ、逆でしょう。サービスを受けたらきちんとその対価を払わないとペナルティがあるということを教えることだって、今時大切なはずです。こんなことを見逃したら、将来的に負債を抱え、多重債務者になってしまうかもしれません。大げさに言えば公教育の真価が問われる問題かもしれませんね。

もちろん、さまざまな事情がありますので、本当に困っている家庭もあるでしょう。だから、こういうことは一概には言えません。授業料免除という制度もありますしね。お金がなくて進学をあきらめるというまじめな市民も少なからずいると思います。せっかく入った高校の退学を余儀なくされる者も。また、定時制や通信制に通学するとか。そして、逆に温情でこうしてタダで教育サービスを受けてこられた人たちもいると思います。その温情は美しく、すばらしいものなのでしょう、きっと。そういう部分があってほしいです。卒業後10年かけてあのとき払えなかった授業料を払ったなんてことは、あるいは美談かもしれません。事情によったらそうしてあげたいケースもあるかもしれません。

そういうことを承知で繰り返しますが、世の中そんなに甘くないのも事実です。現代の資本主義社会、契約社会では、公立学校であっても、タダでサービスを受け続け、なんのペナルティもないまま、おまけに卒業証書まで手にしていくというのはちょっと認められないと思います。そういうことでは卒業証書はもらえないんだよというのだって、現実的な一つの教育だと思いますね。

この人たちが、いわゆるモンスター・ペアレントなのかどうかは、ちょっと記事からでは読み取れませんでした。中にはそういう方もいるのかもしれませんね。



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教育偽装8~成果主義と処罰

2006-11-07-Tue
「必修逃れ」問題も、全体では出口が見えてきたと思っていましたら、中学へ波及です。
 → 「必修逃れ、長野・香川・徳島の4中学でも」
 → 「175時間のはずが43…香川の私立中2校で未履修」
 → 「中学でも必修未履修 愛媛・愛光学園、県に虚偽報告」

義務教育は卒業させるという建前になっているのですから、補習騒ぎなどにはならないのでしょうが、問題はありますよね。工場じゃありませんが、オプションがついてないのではなくて、スタンダードなレベルで不足があるわけですから。

で、ちょっと、嫌なのが、同時に、足立区が学力テストなどを基準に一部の予算を差をつけて配分するというニュースが出てきたことです。ちょっと待てと思いました。成果主義を教育や医療、福祉などにどのように生かすべきかはよく考えた方がいいと。同時に、「一部の予算」ならそういうこともいいかとも思わないでもないのではありますが。

「医療」に成果主義をいれるということを考えてみます。病院の経営危機も少し前にだいぶニュースになりましたので、現実にはもちろんあり得ると思うのですが、やっぱり問題は大きいと思いますね。「治癒率」だとか、「生存率」だとか、「退院率」だとか、詳しくはわかりませんが、対外的に数字にする段階でいろいろ解釈でごまかせるのではないでしょう。ちょうど、文科省の統計で「いじめによる自殺が0である」かのように。

病院の現場で「患者の選別」「患者のリストラ」「利潤につながる治療の奨励」ということも起こりえるわけです。というか、実際起きているのでしょう。もうけの出にくい診療科は開設しないということが。それとうらはらの関係かもしれませんが、わたしの身近でも自治体立の病院で、たとえば産婦人科は設置していても医者がいない(主として待遇面)という現実もあります。(→ 「深刻な医師不足に小手先の調整か?」

教育だってそうでしょう。「均一の基準による評価」や「費用対効果」なんてものは教育や医療や福祉には馴染まないと言うか、根本的に矛盾してるような気がするのです。だからといって、一方で「不的確教師」や「謎の長期病欠公務員」を養ってやらねばならんというのもあれですけどね。

今回の「必修逃れ」の問題も、原因の一つにはこういう偏狭な成果主義ともからんでいると思います。学力テストとか進学実績とか、部活動の勝敗とか、そういうわかりやすいところだけを評価すればいいのか、そこが難しいです。たしかに一流大学に進学させたり、全国大会に出場するのはすばらしいことですが、高卒で就職したり、地方大会で敗退するのは、教育の成果があがらなかったということなのでしょうか?

「必修逃れ」の背景というような、そういう本質的な問題は依然のこっているのですが、そこを伊吹文科大臣は調査するといってます。(→「未履修、小中も調査 文科相「教委の黙認例も」

同時に、構造的な問題もある。上の伊吹文科相の発言のなかに「教育委員会に出向していた文科省職員が、ある程度(未履修の)実態を把握していた可能性を排除しない」とか、「未履修を行った(公立の)進学校の校長先生が教育長になった教育委員会は、明らかにだまされたふりをしていた」などというようなこともあります。教育基本法改正に引き続いて、教育委員会制度の改革にも行きそうな感じもしますね。ま、長期的な課題かと。

現実的な面では、政府の救済策が出て、大学側も方針を示すことができ、高校もあとは補習をこなしていくという段階になっているわけです。残されたのは、いくつかの教育委員会が言いだしている「処分」と、もう一つ、甘く見ていて手を挙げそびれた学校の対応です。ここ案外深刻かもしれません。

昨日愛媛県の高校の校長が自殺が報道されました。(→iza!記事:「遺書に「未履修は私の責任」愛媛県立高校長も自殺」

愛媛県教育長が4日、学校への処分の方針をを発表し、

県教委の照会に対し未履修の報告が遅れた学校が相次いだ点では「校長の管理能力や指導力のお粗末さに愕然(がくぜん)とした。猛省を促したい」と強く批判した。
 → 愛媛新聞「未履修校に「処分検討」 愛媛県教育長」キャッシュ


県の教育委員会が「学校を処分する方針」と発表した矢先ということもあって衝撃なんじゃないでしょうか。一言で言えば責任感、反省ということもあるのでしょうが、ずっと悩んでいたという心労という要素も大きいでしょう。責任は厳しく感じてもらわないと当然困りますが、こういう悲劇が起きないようにしねばなりません。

とくに、まだ黙っているところ。それこそ学校を指導管理する教育委員会にとっては許し難い二重三重の背信でしょうし、うちは大丈夫なのかといたずらに不安になっている受験生はたまりません。隠してる期間が長ければ長いほど、当事者は苦しくなってくるし、発覚したときの影響は大きいです。「補習」が間に合わない時期だったらどうするというか、どうなるのでしょう。大学は調査書に虚偽があれば合格後でも入学取り消しと言っているのですよ。

長引かせることは誰にもいいことはありません。早く、終息宣言を出せるように、調査、対策、処分など手順を追って手当することが大切ですよね。

◆関連サイト
 → "必修科目逃れ”Wiki~高校リスト
 → 奥村弁護士の見解「「必修逃れ」の刑事責任」


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シュレッダー事故に思う、「常識」

2006-08-27-Sun
この夏もいろんな事故が起こりました。信じられないような事故も。

「プールの吸水口に女の子が吸い込まれてしまった」「川遊びをしていたら急な増水で押し流されてしまった」「花火が爆発した」……、さまざまな事故が起きました。亡くなった方、怪我をされた方、ご家族の方それぞれにお気の毒だと思います。

そんな中でシュレッダーの給紙の溝に、幼児が指を突っ込んで切断してしまうという事故も話題になりました。製造企業がそういう事故を連絡公開していなかったとか、対応せずに商品を売り続けていたかのように言われました。訴えられた社長は「想定の範囲外」というようことを記者会見で言っていました。

本来オフィスで使っていたものが、個人情報の保護という観点から、家庭に入り込んできました。目的はもちろん違います、ファックスやコピー機、パソコンなどとも似ているかもしれません。その際に、家庭用に必要なことは何かということは、もちろん検討されたと思います。省エネ化だとか、小型化だとか、軽量化だとか。そして、安全性……、そこに問題があった、もっと考えるべきだったと、そういう指摘がされているわけですね。当然と言えば当然かもしれません。少なくとも、事故報告が1つ、2つ入った時点で、情報を公開し問題を共有できたならば(こういうご時世ですから、うまく公開すればむしろ企業イメージをあげると思うんですけどね)、後の事故は防げたかもしれません。ま、事故とはそうしたものです。

企業を責めると同時に、親はどうなんだ? という声もぼちぼち出始めています。そんな危ないところに子どもを一人でいかせるなんて何をしていたんだ? コンセントから抜いておいたらよかったんだって。それもそうなんです。

でも、わたしが言いたいのはここからなんです。うまい言い方が思いつきませんが、「常識の落とし穴」みたいのがそこにあったんだと思います。なにか大仰なことを言うようですが、扇風機は扇風機、パソコンはパソコン、そしてシュレッダーはシュレッダーだったってことなんです。

扇風機。幼児が回っている扇風機に近づいたら、誰でも声をかけるでしょう。「あぶない! 指入れたらダメだよ」って。また、同じくオフィスから入ってきたパソコンならば、「ダメ。壊れるから」とたしなめるでしょう。アイロンだって、包丁だってそうする。でも、シュレッダーはそうではなかったんです。なぜでしょうか?

それはシュレッダーがシュレッダーだからにほかなりません。わたしは仕事場でネクタイを一本ダメにしたことがあります。そのときはネクタイが数センチほどシュレッダー巻き込まれて、慌てて停止ボタンを押しました。そのまま停止されないでいたら、あるいはネクタイピンのところでとまったか、ひょっとしたら、わたしが窒息してしまったかもしれません。窒息まではともかく、ネクタイを巻き込まれたくらいの経験って、オフィスでは珍しくないんじゃないでしょうか。にもかかわらず、オフィスでシュレッダーは、常時コンセントにさされ、使いやすい高さに置かれています。それがシュレッダーなんです。

そうしう危険な経験をしたわたしも、家庭のシュレッダーの危険性をしっかり認識し、配置場所や使い方に気をつけているかというと、そうではありません。オフィスと同じように使っています。なぜかというと、それがシュレッダーだからであり、シュレッダーはそうして使うのが常識(であるかのよう)になっているからにほかなりません。

これを考える、わたしはケータイ(携帯電話)のマナーやルールを思います。これも、いわばオフィスから家庭に入ってきたものかもしれません。こちらは、どういう使い方が常識なのか、少しずつ定まりつつありますが、まだまだ定まっているとは言えないでしょう。「運転中のケータイは事故に直結する」とわかっていながら、ルールで禁止されたのは、おそらく何人もの人が事故を起こしてからだったのですね。

企業に対して「もっと早く対策立てていたら」とか、親に「置き場所を考えていたら」「プラグを抜いておいたら」というようなことは、後からだったらいくらでも言えます。たしかにそうで、その指摘も間違ってはいません。

しかし同時に、企業の社長が「想定してなかった」というように、保護者も「想定していなかった」のです。そこには「シュレッダーとはそうしたもの」という、常識の落とし穴があったのです。

シュレッダーに限らず、新しい物が家庭に入るというときに、企業の目やサラリーマンの目でなく、母親の目、子どもの目でそれを見なければいけないのですね。そして、経験と想像力とを総動員して、そいつの置き場所を考えてやらねばなりません。それが、常識の落とし穴におちない最大の方法だと思います。

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