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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

本当にこんな選挙行かなきゃいけないのかなと思い……。

2015-01-27-Tue
もう、いい歳で、今まで何度も選挙というか、投票所に足を運んできたので、あれなんだけれど、今回のうちの県知事選挙は、ま、特定候補を応援するつもりではないのでここに候補者名は書かないが、無所属で民主、維新、公明、生活、次世代の各党が推薦する、2期目を迎える現職候補に、共産推薦の無所属新人が挑戦するかたちとなっている。

たぶん、このブログで、氏名を上げて、わたしはこちらの候補を応援してますと書いても、法に触れることはないと思うのだけれど、そういうことが目的でないので名前は出さないでおくのだが、ま、結果はもう明らかという感じである。

この前の暮れに行われた総選挙も、ま、うちの戦局は相当な接戦ではあったのだけれど、たぶん、トータルで言えば、安部自民の勝ちだというのは変わらなかったのだ。

ちょっと前だが、うちの市の市長選。これは、現職市長が、ここはあくまで想像だけど、たぶん無投票当選かと思っていた矢先に急な立候補が出て、内心はちょっと焦ったかもしれないが、それは予想外の展開という意味だっただけで、結果は無風というか余裕の当選だったのだ。

ま、選挙しなくても、結果というか、勝敗がわかっている選挙なのだ。

昨年だが大阪の橋下市長が、大阪都構想をテーマにして、任期中なのにあえて自ら辞職して選挙をしたことがあったが、その時は、逆に都構想反対派が対立候補を立てないという戦法(?)に出た。そのため、有権者は態度を表明する機会を逃す形になった。橋下市長の選挙の利用の仕方に賛成できない、相手の土俵で戦えないというので、あえて対立候補を出さなかっただ。

こんな選挙ばかりでもないのだが、沖縄の県知事選だって、重要な意味を持っていたはずなのだが、じゃ、何かその民意を反映したように社会が動いているのかというと、なんとなく裏腹な印象なのだ、ここはうまく整理できないでいるのだけれど……。

こんなふうに考えてみると、なんだか、選挙という制度自体が空回りしているように思う。

一方で選挙を棄権するのはよくないというのは正論なんだ。わたしはどっちかとというと、正論派で、原理原則を大切にする立場なので、実際、今まで、一度か二度しか選挙を棄権したことはないのだけれど、それでも、どこかで、こんな選挙、本当に意味ある選挙なのと思っている。

投票日にあたる次の日曜日は、県内の実家に帰る予定なので、期日前投票に出かけたいのだけれど、そんな軽い理由で期日前投票をしてもいいものだろうか……。

ま、棄権するよりはいいのだろうな。それともどうせ結果はわかっているので……。

そんなことをうだうだ考えている。

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「荒木経惟 往生写集ー顔・空景・道」展~豊田市美術館

2014-05-12-Mon
GW中、遠出はせずに豊田市美術館を訪れました。

豊田市美術館には、今年生誕100年を迎えた漆芸家高橋節郎の作品を常時展示する高橋節郎館もあります。こちらは、本夏、特別展を開催する予定です。一度は見ておくのがいいと思います。なんせ、漆器は英語でjapanでもありますし。

今回の訪問の目的は、「荒木経惟 往生写集ー顔・空景・道」展でした。

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展覧会タイトルは源信の「往生要集」を踏まえてのネーミングなんだそうです。「往生要集」は読んだこともなく、名前くらいしか知らないのだけれど、「往生」といえば「極楽往生」なわけでして、それをタイトルにしてるってことで、(あれ? そういえば、アラーキーって死んだんだっけ?)と心のなかで叫んでしました。これは、大変失礼な話なのですが、わたしの知ってるアラーキーは、存在感のあるというか、質感のある、モノクロヘアヌードでして、性と生のエネルギーに溢れているという感じでして、「(極楽)往生」なんて言葉の正反対に位置しているイメージです。なんだろう、ひとさまの人生観を、こっちが勝手に決めてはあれですが、あくまでわたしのイメージとしては「わしはやりたいようにやり、撮りたいように撮ったんだ、地獄に落ちようが本望よ」って感じだったのですよ。「無頼派」のイメージと重なるような感じです。

……、でしたが、失礼、ご存命でした。ガン宣告や手術などを経験し、近年は右目を病で失いながら、ま、そうして体験hが「死」つまり「往生」を身近に感じたということから、このネーミングに至ったようです。

araki02.jpg

→ Wikipedia:「荒木常惟
→ 豊田市美術館:荒木経惟 往生写集―顔・空景・道の公式サイト


今年生誕百年の高橋節郎まとめを作りました

2014-03-17-Mon
FC2ブログは、ひと月に1本記事を投稿しないと、広告が出てしまうので、最近はブログを書くようなまとまった時間がとりづらくなっているのだけれど、逆に、コツコツとまとめページを作るってことならできるので、ちょっと、作ってみたのがこっちです。



高橋節郎館は地元愛知の豊田市に、とってもすばらしいところがあるのですが、ぜひ、今年は、この企画展に行ってみたいと思います。

とりあえず、今日はこれだけ。

これで広告消して、落ち着いたら、もう少しいい文章にまとめますね

「魔術/美術」展~愛知県美術館

2012-06-06-Wed
こんなチラシを見たら、お、行きたいかもって思いませんか。
majutsu.jpg
この子どもの眼差しがいいですね~。

中澤英明の「子供の顔」シリーズだそうです。
→ 中澤英明

わたしはこの子どもの目に惹かれて、見に行きたいと思いました。「視の技術と内なる異界」というサブタイトルにも興味があったので。

しかし、正直、ちょっと盛り上がりに欠ける展示でした。「幻視」や「魔術」を標榜したにしては、少々、展示的に散漫でピントを絞りきれてないのではないかなと感じたのです。なんだろ、そもそも、「すべての美術はなにかしら魔術的なんです」というの視点に立ってしまうのは、ちょっと、魔術というよりも詐術という感じさえします。すべての芸術は内なる異界を秘めているはずですし、それがなければ、芸術たる資格はないとさえ言えると思いますね。ま、芸術とは何かという根源をテーマにしているというのであれば、それはそれでいいのですが、それには、こんなポスターで魔術を表に出す必要があったのだろうかと……。

ま、つまらない展覧会ということはないんです。おもしろい作品もたくさんありました。

一番は「子供の顔」シリーズの6点と、個人的には山本芳翠の「浦島図」が印象に残っています。他の作品が、比較的小さなものが多かっただけに、この絵の圧倒的な存在感に目を奪われました。何より、あの浦島太郎伝説の、竜宮城から帰ってくるシーンをこんなふうに描いている、着眼とその解釈に感動しました。わたしは、てっきり、行きと同じように、亀が一匹で連れ帰ったものと思っていたのですが、なるほど、おそらくは竜宮城史上最大級のVIPであったはずですから、盛大に見送ったに違いありません。あの、しがない漁師の太郎が、王子のように出世して、言わば凱旋帰国を果たすはずだったのです。それは、パリで西洋画の技法を学び、日本に伝えようとする作家自身の姿と重なるではありませんか。太郎が手にしているのは、西洋画の技法であり、引き連れている乙姫は、まさしく西洋画の日の女神であるように思われます。


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