David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

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「巨匠たちの英国水彩画展」~岡崎市美術博物館

2012-05-29-Tue
どうですか? 「巨匠たちの英国水彩画展~ターナーからブレイク、ミレイまで~」って?
→ CJキューブの「巨匠たちの英国水彩画展」の紹介ページ
→ 岡崎市美術博物館のページ
→ チラシに載ってる絵がよく見える、ヘア・コミュでの紹介ページ

わたしは、美術展に行くのはそれなりに好きですので、ターナーやミレイくらい知ってはいましたが、正直「水彩画」ってのは、あんまりそそられません。どうですか? 水彩画展って? なんかこう、地味っぽいというか、今ひとつアマチュアくさいというか、そんな印象はありませんか? わたしは、そういう感覚でした。

しかし、そもそも、「映画は見てから語れ!」が私の映画批評のポリシーでありまして、もちろん、その姿勢は、すべての芸術、すべての表現に通じるもののはずです。だからといって、金と時間に制約がある以上はなんでもかんでもそういうわけにはいかないので、どうしても先入観や印象で選択せざるを得ないのですが、しかし、それならそれで、そういう立場をはっきりさせて語るべきでしょう、「見ないで言って悪いけれど、なんとなく○○な印象だ」とか……。

さて、前置きが長くなりましたが、わたしが見る前に抱いていた「水彩画」に対する印象は、すでに書きましたが、地味っぽく、なんとなくアマチュアっぽい(あるいは習作、あるいは無名期の作品とか)というものです。ですから、正直に「そそられません」と書きました。

そして、ま、展覧会も、映画と同様に、やはり、見てみなければわからない! と書くことになるわけです。



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芹沢けい介って天才じゃん!~岡崎市美術博物館「芹沢介展」

2012-03-25-Sun
日付が変わったのでもう昨日のことなのだけれど、岡崎市美術博物館に芹沢介展を見に行った。そして、少し、いや、かなり後悔した。ああ、どうしてももう少し早く見にこなかったのか。だって、この「芹沢介展」は、明日というか、日付が変わったので今日で閉幕してしまうのである。わたし個人にすれば、同じ展覧会に二度三度と足を運ぶことはめったにないことなので、見られればそれでいいのだけれど、ただ、この素晴らしさをブログで記事にして、わたしのブログを読んでくれた人が、そんなにすごいなら見てみたいと思ったところで、もう、展覧会は終わってしまっているのだ。ああ、それは、不幸なことである。その人にしても、展覧会のスタッフにしても、そして芹沢介にしても、もとより記事で紹介をしたわたしにしても、不幸なことなのだ。ああ、どうしてもっと早く見に来なかったのだろう、わたしは……。そう思った。

そもそも、なんで見に行かなかったのかというと、それは公私にわたりいろいろな理由があるが、芹沢介展に唆られなかったということももあるだろう。どこかで名前くらいは聞いていたが、そして、彼のデザインもおそらく何度も目にしていたのだろうが、だからと言ってそれを展覧会でも見てもな、と思っていたのだ。そこには、わたし自身の中にある。商業デザインよりも美術作品の方が見るべき価値があるという、言わば「偏見」があったからである。偏見と書いたが、わたしは今でもそうだと思っている。わたしが美術館に訪れて絵を見るのは、そこに美しい絵があるからではなくて、それが芸術家の書いた作品であるからだ。美しいものを美しく書くというのではなくて、作家がその素材をそのように表現したかった背景を想像し、そこに、自分自身との共通点を見出し、ああ、わたしだけでなくこの人もこういうことに思い煩ったのかと安心したいからなのだ。商業デザインにそういうことがあるはずがない(もちろんあったっていい。しかしそれは商業デザインでなく、それは芸術ということになるのだろう)。そう考えていたのだ(というか、芹沢介を見た今でもその考えは変わらない。


「菅原健彦展」を見る~岡崎市美術博物館

2009-09-20-Sun
シルバーウィークが今年からできたようなのですが(といって来年はなくて、次は6年後のようなんですけど)、これと言った予定はなくて、先日、ポスターで見かけた「菅原健彦展」に行くことにしました。近年老人力が俄然ついてきていますので、「菅原健彦」という名前ではわからなかったのですが、そのポスターとその字面になんとなく、あの時の滝の画家では? と思わせたのです。

あの時の滝の画家とは、あれは確か「無名の滝」でした。大げさに言えば、わたしの現代美術に対する見方を崩してくれた画家の一人でした。

あと、菅原健彦の「無名の滝」もすごいです。墨と岩絵の具で、ふすま障子の紙みたいのに書いてあります。ひとことで言うとどうやって作るの~って感じ。どこまで偶然で、どこまで計画的で、どこまで修正でってところがなかなか興味深い。流れ落ちる水が白で、水しぶきが墨(黒い)なんです。おもしろい。

ほかにも面白い作品はあるのだけれど、こうして書き並べてみると、「現代美術は屁理屈的だ」と思ったのは、作品や作者の側に責任があるのではなくて、わたしが屁理屈的に作品をみているからにほかならないのではないかという気がしてきますね。もっと直感的な見方というか、色彩のおもしろさや、かたちのおもしろさを言葉を介さずに感覚的にわかる人が見たら、わたしの見方はなんとおもしろくない散文的な見方だと馬鹿にされるかもしれないと、ま、そんな気がして、ちょっと恥ずかしいです。
 → 過去記事:「「現代のコンフィギュレーション」展~岡崎市美術博物館


さて、今回の「菅原健彦展」は「水墨の光と風」というサブタイトルがついてます。わたしは「風」には結びつかなかったんですね。確かに、「光」は感じましたんで、この点はいいでしょう。特に、「首都道路シリーズ」(勝手な命名。たぶん似たようなくくりがあるだろうとは思います)と「滝」や「雲水峡」には。

しかし、次に来るのは「風」でなくて、わたしなら「音」。首都圏を走る車のエンジンの音、タイヤの摩擦音、それがビルやガードに反響してさらに轟音として、雑踏に結びつく。都会のアパートやショーウィンドーの路面に叩きつける雨の音。雲水峡や滝でも、わたしが感じたのは「風」でなく水の音でした。わたしの散文的読解では理解できない一枚に「聴音無量」と命名されていた、たぶん渓流の岩場に激しく水がぶつかっている場面だろうと思うのですが、題名によってかろうじてこの絵で音を感じ取れというヒントを貰たような気がして、それで、その後は「音(おと)」を頼りにみました。順路的にその後の作品はもちろんのこと、展示壁と展示壁とのつなぎ目の隙間から、それまでみてきた作品を振り返ったりして「轟音」の数々をおさらいしたりしたのです。

シリーズと言っていいのか、モチーフと呼ぶ方がいいのか、展示はいくつかの作品群に整理できたと思います(というか、そもそもそういうふうに展示していたのでしょう)。まず、「首都圏道路」「街かど」「桜」「滝」もしくは「滝や山や雲水峡」という感じでしょうか。こうした作品にかならず「音」を描いていると思います。もちろん、風だって木々やその他に音をさせるのですから、「音」から「風」を感じ取るというのもあるわけですけどね、ああ、でもわたしの感覚では、やっぱり、「風」でなくて「音」なんですね。

こう言い切るほどわたしは日本画を見ているわけではありませんが、少なくとも日本画が描いてきた一つの典型的な世界は「静寂」だろうと、素人のわたしが発言しても間違っていないと思います。今回の菅原健彦展の中では、「桜」のシリーズは、「音」の扱い限ってみれば静寂に属していると思います。「雲水峡」の大作も荘厳な静寂な感じをさせますが、しかしそれよりも、水流や風が轟々と音を立ててるように感じるのですね。そして、展示的には入り口近くにある、現代的で都会的な情景を描いたも作品は、いずれもが轟音もしくは騒音に属する、およそ静寂とは反対に位置する作品だと言えると思います。

わたしは菅原健彦展を見て、大袈裟に言えば、わたしの日本画に対する見方を大きく変えてもらったような気がするのですね。

さて、最後に、本展覧会の目玉の一つ「雲龍図」「雷龍図」に触れておきましょう。俵屋宗達の「雲龍図」の模写というような説明を見たのですが、宗達の「雲龍図」についてネットで調べられると思ってメモとって来なかったのですが、どうも検索してもうまく見つからないので、あとで訂正するかもしれませんが、アメリカのワシントンD.C.にあるフリーア美術館の雲龍図が元のようです。それを、6×8mと5×10mの二つの、「雲龍図」「雷龍図」として模写したということのようなんですが、菅原健彦のブログの製作過程を見ていると、デザイン的には模写かもしれないが、作品的にはまったく別という感じになっています。
 → 菅原健彦ブログ

たとえば、下書きをしてる様子(→「ここ」や「ここ」)、龍を白く塗り、金箔を貼り、バーナーで焦がすという製作過程(→「ここ」や「ここ」)などが写真つきで書かれています。興味深いです。

怖いもの知らずにも、素人のわたしが作家自身が岡崎の美術展を紹介してる記事にトラバしちゃいます。ま、うちのブログのいつものスタイルですんで。

 → 岡崎市美術博物館
 →  〃 現在の展覧会

□■□■NOTE■□■□■
期間:2009年 9月18日(金) ~11月8日(日)
休館:月曜日
    ただし、9月21日[月・祝]は開館し9月24日[木]が休館
    同じく、10月12日[月・祝]は開館、10月13日[火]が休館
開館時間:10:00~17:00(9月は18:00まで)
 ※いずれも最終の入場は閉館の30分前まで。
観覧料:
 一般     800(700)円
 小中学生  400(300)円

 → インターネット割引券
□■□■□■□■□■□■
※岡崎市美術博物館に引き続いて、練馬区立美術館でも開催されるようです。詳しくは公式ページで。
 → 菅原健彦展公式ページ

http://www.sugawaraten.jp/index.html

ちなみに、記事中の「無名の滝」をはじめ、いくつかの代表作は、菅原健彦個人サイトで見ることができます。

「琳派・若冲と雅の世界」展~岡崎市美術博物館

2009-04-19-Sun
久しぶりに展覧会の記事を書きます。

この間展覧会に行っていなかったわけでもなくて、たとえば、同じく岡崎市美術博物館で「あら、尖端的ね。 ―大正末・昭和初期の都市文化と商業美術―」というのを見たのですが、ついつい記事にするチャンスを逸したのです。

さて、今回は「京都 細見美術館 琳派・若冲と雅の世界」展です。
p_rinpa.jpg
最近目立ちますね。琳派とか若冲とか。若冲といえば、わたしの中ではもう二年ほど前に、県の美術館に見にいったのが印象に残っています。
 → 過去記事:「「若冲と江戸の画家」展/愛知県美術館

非常に迫力があり、おもしろかったことを覚えています。今回も……、と期待していったのですが、こと若冲に関しては、遠く及ぶべくもありませんでした。逆に言えば、今まで見てない作品を見ることができた……というような言い方もできなくはありませんが、金や緑、赤、青、黒そして白などを鮮やかに使った若冲の作品は、ほどんど見ることができませんでした。印象に残っているのは、上記ポスターにもある「雪中雄鶏図」くらいで、あとは水墨画というか、墨絵というのか、モノクロのものが多かったように思います。もちろんそれはそれで、たとえば瓢箪の絵(「瓢箪牡丹図)とかおもしろくもあったのですが、若冲を期待していくと、少しがっかりします。

ですが、展覧会全体としてはそんなことはありません。わたしはちょっと時間が都合で1時間くらいでさっと見て回ったのですが、もう少しじっくり時間をかけて見たかったという印象があります。

琳派の中では、作者未詳の「四季草花虫図屏風」が印象に残っています。四季折々の草花が春夏は金、秋冬は墨の背景に色とりどりに描かれているのですが、蝶やトンボ、キリギリスなどの昆虫も、その草花に隠れてというか、まぎれて描かれます。野原で昆虫を見つけ出したときの喜びを、そのまんま、美しく雅な屏風で体験できる、さながらそんな感じです。おもしろい!

また、琳派の後期の神坂雪佳もいくつか展示してあって、中でも「金魚玉」がとてもユニークでおもしろく感じました。あの手の掛け軸なら本来、月が陣取る位置に金魚玉(江戸時代に大流行した球形の金魚蜂)がどーんと描かれていて、正面から見た赤い金魚のアップが描かれています。固定観念というもののテストで、なんの条件もなく「魚を描きなさい」というと、かなりの多くの人が「横向きの魚、それも左向きのを一匹だけ描く」ということを聞いたことがあります(これは図鑑などの影響もあるようです)。ところが、この金魚は正面から描いてます。宇宙人、いや、人間を想像してしまいます。とてもおもしろかったのです。
 ※「金魚玉」で検索してみると、こんなグッズになっているのを見つけました。
 kingyodama.png

展覧会全体は、琳派と若冲とで7割、残りの3割が仏教美術や、絵巻、カルタ、重箱や櫃、鏡などの調度に施された美、まさに雅の世界を味わえるようになっています。琳派の屏風から発展した、同様の他の生活の雅、暮らしの雅みたいなものを見せてくれます。「桐竹鳳凰図屏風」は迫力もありますが、いったいどんな話なのかじっくり読んでみたかったのが住吉如慶の「きりぎりす絵巻」でした。なんでも、きりぎりすの玉虫の君が蝉の右衛門守に嫁ぐという話で、昆虫が着物を着て、馬ではなくてカエルに乗り、牛車を牛でなくナメクジが引いているという、虫嫌いの人にとってはグロな絵巻なんですが、とてもおもしろく感じました。

若冲を期待していく、若冲だけを目的に行くとちょっと期待はずれですが、展覧会全体はけっこうおもしろく、見ごたえがありますよ。

 → 岡崎市美術博物館のページ
 ※インターネット割引券があります。

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