David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
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- 06/27 映画:「春眠り世田谷」~DVDで - シアター
- 06/25 映画:「涙そうそう」~DVDで - シアター
- 06/21 映画:「ハゲタカ」~劇場で - シアター
- 10/28 映画:「ヴァイブレータ」~DVDで - シアター
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映画:「春眠り世田谷」~DVDで
2009-06-27-Sat
映画を撮るために会社を辞める30男……。うらやましい。自立した彼女と同棲していて、理想の恋人とやさしい母親とを併せ持った都合のいい女といっしょに暮らしているように思われます。ま、男にとってはぬるま湯なんですね。だから、「春眠り」ということになるのです。女にとってもそれはぬるま湯だったんでしょう。自分を頼りにしてくれる男と、子どもっぽさで母性を満たしてくれる男。しかし、幼児のようには手がかからない。だって、放置しておいても餓死しないし、責任を負わなくてすむわけだから。うらやましい。
うらやましいと思いますが、しかし、男も女も虚しさを感じないではいられなくなってしまうのですね。特に女性は……などと書くと、差別しているように思われるでしょうか。しかし、男女を比較したときに、生殖の機能というか、子孫を残すための機能の終焉がより明確に、そして相対的に早めに来る女性にとっては、現実への目覚めというか、ぬるま湯に対する不満というか疑問、もしくは焦りみたいなものが出てくるのかもしれません。
モラトリアムですね。映画のタイトルは「春眠り」とありますが、モラトリアムです。
幸か不幸かというか不幸ではないと思いますが、昔に比べて平均寿命が伸びました。人生50年と言われていたころは、50歳過ぎたら老人だったでしょう。今はそうでもない。50歳でも、若々しいというかむしろ幼い人もいるかもしれません。成人も、なにやら18歳を成人にしようという考え方もあるようですが、確かに肉体的にはそうかもしれませんが、精神年齢の発達はどんどん遅れているという感じがしますね。
そして、幸か不幸かというか、これも不幸とは言えないような気もしますが、趣味に生きることが評価され、若々しいことが魅力で、また、どんどん若者や子どもの「文化」も大人向けに「進化」してきていますよね(ま、テレビゲームとか、アニメとか、ま、そうしたことを言うわけですけど。あるいは、動画とか音楽だってそうかと思いますけど、ま、こういうことを十把ひとからげに書くと偏見と言われそうですけれど、とりあえず、ざっくりと)。
それは晩婚化や少子化と無関係とは言えないと思います。
人生が長くなったぶん、「若者」というか「未熟者」である時期が長くなったというか、モラトリアム期が長くなったと言えるわけです。もちろん、それは人によって違って、早く大人になって、成熟者としての期間を長くするという選択も可能なんですけれど、そうなってもまた、まだ老人にならなくていいというか、若者としてやり直せるかもしれない、若い頃にやり残したことを今からやり直せるのではないかと考えるかもしれないと思うのですね。仕事を辞めてまでそれをしてしまっていいのか、それが現実的に可能な人と、どう考えても愚かな選択に映るときもあるわけですね。
人生の時間が長くなり、選択の幅が広がったこと、それは全体的には幸福なことなんでしょうけれど、個人のレベルにしたら、必ずしもいい具合に振れるとは限らないと思いますね。
それが、「春眠り世田谷」なんでしょうか。
世田谷というのは、住んだことはもちろんないし、どんなイメージの街かわからないのですが、たぶんそこには都会性といか、都市の要素も無関係ではないということなんでしょう。
そういう長いモラトリアムの中にありながら、「なんか思春期の悩みみたいでかっこ悪いよね」と言いながら、いい年をしたおっさんが、生きる実感というか、達成感というか、何に生きがいを見出していいのか、熱中していいかを模索してあがくという作品です。
自由であるだけ、生き生きと生きている実感が得られにくい。もっとほかにあるんじゃないか。もっと何かできるんじゃないかと、達成感や満足感が得られないまま、自分探しを続けていく……。それは、宗教的な疑問にぶちあたったり、生物的本能にたどりついたりします。
それが本当の回答なのかわからぬまま……。
どうしたら、いいのでしょうね。
ダメ男の話? 確かにそうですけど、たくさんいそうです。ここまで行動しなくても、こういう気持ちの男や女って。
主演は、「ハゲタカ」でカッコイイ、大森南朋です。ぼんやりした役をうまく演じてます。
うらやましいと思いますが、しかし、男も女も虚しさを感じないではいられなくなってしまうのですね。特に女性は……などと書くと、差別しているように思われるでしょうか。しかし、男女を比較したときに、生殖の機能というか、子孫を残すための機能の終焉がより明確に、そして相対的に早めに来る女性にとっては、現実への目覚めというか、ぬるま湯に対する不満というか疑問、もしくは焦りみたいなものが出てくるのかもしれません。
モラトリアムですね。映画のタイトルは「春眠り」とありますが、モラトリアムです。
幸か不幸かというか不幸ではないと思いますが、昔に比べて平均寿命が伸びました。人生50年と言われていたころは、50歳過ぎたら老人だったでしょう。今はそうでもない。50歳でも、若々しいというかむしろ幼い人もいるかもしれません。成人も、なにやら18歳を成人にしようという考え方もあるようですが、確かに肉体的にはそうかもしれませんが、精神年齢の発達はどんどん遅れているという感じがしますね。
そして、幸か不幸かというか、これも不幸とは言えないような気もしますが、趣味に生きることが評価され、若々しいことが魅力で、また、どんどん若者や子どもの「文化」も大人向けに「進化」してきていますよね(ま、テレビゲームとか、アニメとか、ま、そうしたことを言うわけですけど。あるいは、動画とか音楽だってそうかと思いますけど、ま、こういうことを十把ひとからげに書くと偏見と言われそうですけれど、とりあえず、ざっくりと)。
それは晩婚化や少子化と無関係とは言えないと思います。
人生が長くなったぶん、「若者」というか「未熟者」である時期が長くなったというか、モラトリアム期が長くなったと言えるわけです。もちろん、それは人によって違って、早く大人になって、成熟者としての期間を長くするという選択も可能なんですけれど、そうなってもまた、まだ老人にならなくていいというか、若者としてやり直せるかもしれない、若い頃にやり残したことを今からやり直せるのではないかと考えるかもしれないと思うのですね。仕事を辞めてまでそれをしてしまっていいのか、それが現実的に可能な人と、どう考えても愚かな選択に映るときもあるわけですね。
人生の時間が長くなり、選択の幅が広がったこと、それは全体的には幸福なことなんでしょうけれど、個人のレベルにしたら、必ずしもいい具合に振れるとは限らないと思いますね。
それが、「春眠り世田谷」なんでしょうか。
世田谷というのは、住んだことはもちろんないし、どんなイメージの街かわからないのですが、たぶんそこには都会性といか、都市の要素も無関係ではないということなんでしょう。
そういう長いモラトリアムの中にありながら、「なんか思春期の悩みみたいでかっこ悪いよね」と言いながら、いい年をしたおっさんが、生きる実感というか、達成感というか、何に生きがいを見出していいのか、熱中していいかを模索してあがくという作品です。
自由であるだけ、生き生きと生きている実感が得られにくい。もっとほかにあるんじゃないか。もっと何かできるんじゃないかと、達成感や満足感が得られないまま、自分探しを続けていく……。それは、宗教的な疑問にぶちあたったり、生物的本能にたどりついたりします。
それが本当の回答なのかわからぬまま……。
どうしたら、いいのでしょうね。
ダメ男の話? 確かにそうですけど、たくさんいそうです。ここまで行動しなくても、こういう気持ちの男や女って。
主演は、「ハゲタカ」でカッコイイ、大森南朋です。ぼんやりした役をうまく演じてます。

映画:「涙そうそう」~DVDで
2009-06-25-Thu
映画「涙そうそう」をDVDでみました。
→ 公式ページ
上の予告の最初の方に流れる局聞くと、一瞬、伝染歌かと思ったりしませんか?(笑)
と、まぁ冗談はこれくらいにして(というか、冗談のつもりではなくて、イントロというか曲の感じが似てると思うんですけどね、マジで。)、その似ているほうではなくて、エンディングの同名の「涙そうそう」は大ヒットでしたね。夏川りみです。
実は、夏川りみは、「涙そうそう」の前から好きでした。ファンといっても熱烈なファンではなかったのですが、NHKラジオの「新ラジオ歌謡」が毎晩のように「花になる」というのを流していまして、ま、毎晩のようにカーラジオで来ていたわたしはその歌が好きで、どんな人が歌っているのかなぁといつも思っていました。ま、思っているだけで、CDを買うこともなかったのですが。やがて、ラジオから流れなくなり、どうしたのかなぁと思っていたら、この「涙そうそう」で夏川りみの名を聞くことになったのですね。
夜の田舎道、クルマを走らせながら聞く「花になる」はいいですよ。勇気をもらいました。
さて、夏川りみの話ではなくて、映画の感想は、ま、いい映画です。「涙そうそう」はそもそもBEGINというグループが森山良子に「沖縄の曲を作って」と頼まれて書いた曲で、そのタイトルが「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だと聞き知って、森山良子が自分の兄をイメージして歌詞をつけたんだそうです。それを夏川りみがカバーし大ヒット。そしてそのイメージを元に歌うことになった「涙そうそう」を作り、その詞の世界を元に映画化したのだそうですよ。(→Wikipedia:「涙そうそう」)
いや、どうりでぴったりの内容だと思いました。今時、ここまでテーマ曲の歌詞の内容と映画の内容がおんなじ作品も珍しいと思いましたが、どうりで~。
ほんでも、ま、タイトルが「涙がぼろぼろこぼれ落ちる」なんていう映画、ちょっとどうかと思うんですねけどね。そんな今にも泣かせてやるぞ~ってな感じじゃないですか。そういうのって、どうかと思うんですけどね、でも、そんなでもなかったんです。かなしく、せつない話なんですけどね、でも、なんでしょ、やっぱり、この歌詞のとおり、そこには、愛と感謝があるから、泣くだけじゃなくて、勇気や力をもらうんだと思います。
もし、ま、わたしと同じような理由で、敬遠してる人がいらっしゃるとしたら、そんなでもありませんからどうぞってお勧めしたいです。
そうそう、今、「ハゲタカ」で人気の、大森南朋がチョイ役で出てます。あんま、かっこよくない~w
→ 公式ページ
上の予告の最初の方に流れる局聞くと、一瞬、伝染歌かと思ったりしませんか?(笑)
と、まぁ冗談はこれくらいにして(というか、冗談のつもりではなくて、イントロというか曲の感じが似てると思うんですけどね、マジで。)、その似ているほうではなくて、エンディングの同名の「涙そうそう」は大ヒットでしたね。夏川りみです。
実は、夏川りみは、「涙そうそう」の前から好きでした。ファンといっても熱烈なファンではなかったのですが、NHKラジオの「新ラジオ歌謡」が毎晩のように「花になる」というのを流していまして、ま、毎晩のようにカーラジオで来ていたわたしはその歌が好きで、どんな人が歌っているのかなぁといつも思っていました。ま、思っているだけで、CDを買うこともなかったのですが。やがて、ラジオから流れなくなり、どうしたのかなぁと思っていたら、この「涙そうそう」で夏川りみの名を聞くことになったのですね。
夜の田舎道、クルマを走らせながら聞く「花になる」はいいですよ。勇気をもらいました。
さて、夏川りみの話ではなくて、映画の感想は、ま、いい映画です。「涙そうそう」はそもそもBEGINというグループが森山良子に「沖縄の曲を作って」と頼まれて書いた曲で、そのタイトルが「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味だと聞き知って、森山良子が自分の兄をイメージして歌詞をつけたんだそうです。それを夏川りみがカバーし大ヒット。そしてそのイメージを元に歌うことになった「涙そうそう」を作り、その詞の世界を元に映画化したのだそうですよ。(→Wikipedia:「涙そうそう」)
いや、どうりでぴったりの内容だと思いました。今時、ここまでテーマ曲の歌詞の内容と映画の内容がおんなじ作品も珍しいと思いましたが、どうりで~。
ほんでも、ま、タイトルが「涙がぼろぼろこぼれ落ちる」なんていう映画、ちょっとどうかと思うんですねけどね。そんな今にも泣かせてやるぞ~ってな感じじゃないですか。そういうのって、どうかと思うんですけどね、でも、そんなでもなかったんです。かなしく、せつない話なんですけどね、でも、なんでしょ、やっぱり、この歌詞のとおり、そこには、愛と感謝があるから、泣くだけじゃなくて、勇気や力をもらうんだと思います。
もし、ま、わたしと同じような理由で、敬遠してる人がいらっしゃるとしたら、そんなでもありませんからどうぞってお勧めしたいです。
そうそう、今、「ハゲタカ」で人気の、大森南朋がチョイ役で出てます。あんま、かっこよくない~w

映画:「ハゲタカ」~劇場で
2009-06-21-Sun
誰かが言った。
人生に悲劇は二つしかない。
一つは、金のない悲劇。
そして、もう一つは、金のある悲劇。
世の中は「金」だ。「金」が悲劇を生む。
あれは、GWだったかな、ちょっと気分が凹んでてテレビつけたら、NHKドラマ「ハゲタカ」の集中上映をやってて、テレビの前を離れらなくなりました。おもしろいドラマでした。そもそもあまりドラマをみないのですが(……というか、最近、アニメでもドラマでも、DVDでごっそり借りてきて集中的に見るおもしろさを知りましたけれど)、こうして集中放送していると、おもしろいです。経済ドラマがこんなにおもしろく感じたのも初めてでした。
「ハゲタカ」というのは、巨大なファンドのことです。莫大な資金力にものを言わせて、株式投資で企業を乗っ取り、そこまで育ててきた経営者や従業員のことなどおかまいなし、自分が利益を得るために経営に口出しする。それまでの企業のポリシーや創業精神などおかまいなし、利潤のためだけに経営され、また、場合に寄っては他の経営者に売り飛ばされる……。どこまで極端かはわかりませんが、非採算部門の切り捨てや多量のリストラなどは当然のように行われるわけですね。
それまで会社に勤めてきた古参の従業員がぼろくず同然に捨てられるのですね。いや、古参だから気の毒、新人ならいいということはなくて、誰だって痛手なんでしょうけれど。
「TOB」「ホワイトナイト」……そんな言葉がマスコミを賑わせていた頃がありますね。覚えただけで。一度も使うことがなくて、なんだかそんな時代はとっくに終わってしまったというか、崩れ去ってしまったような気がするのですが、今もそれは引き続いて起きているのでしょう。そして、経済用語には無縁でしたが、「リストラ」「派遣切り」「ニート」「格差社会」……そんな言葉はずいぶん身近になってしまいました。
日本の伝統的な経営スタイルが崩れ、巨大なマネーゲームが崩れ、まさに、ハゲタカが飛び去ったあとの、荒涼とした原野に、傷つき疲れ果てた弱者が力なく横たわるだけ……、そんな感じさえしますね。大人の世界だけでなく、高齢者も、学校も、もう、日本のありとあらゆる場面が荒廃しきっているような気がします。
書いていると暗くなりますが、元々税金でつくられた「かんぽの宿」が買い叩かれて、それに疑問を呈した総務相がむしろ更迭されてしまうような国です。定額給付金だって言ってももともと全部税金ですよ。それだって、所得や財産に関係なく一律に配られる。そして、それは将来消費税で穴埋めされる……。これでは、格差社会にあってその格差を埋める政策とは言えないじゃないですか。高速道路の上限1万円だって、税金から補填するそうですよ。「道路公団」とクルマで長距離を乗る人と、ETC関連の会社が儲かって、それに無縁な人は税金を払うだけです。インターや高速が平等に設置されてますか? あきらかに不公平な政策ですよね。あとになって、皆さんが利用した高速代の総計はいくらいくらでした。税金から補填しますが赤字ですんで、消費税を……と言われるんじゃないでしょうか。いいんでしょうかこんなことで……。もう、不満がたまっているので、いくらでも書けますね。
病院はたくさんあるんですけど、本当に大変な病気になって大きな病院にかかろうとすると医師がいません。いても、10時に行ってみてもらえるのは12時過ぎ。先生が昼飯を食べている気配がありません。看護士は交代で食事をしていても、果たしてドクターたちが毎日食事をきちんととっていられるのか心配になります。患者のほうも待ちくたびれて廊下で怒鳴り出す人もいます。もっと調子が悪い人は怒鳴ることさえできないでしょう……。
介護保険は払ってるだけで介護してくれる人がいません。下がった給料から保険料を持っていかれて、介護サービスは受けられない。それどころか、仕事を辞めてまで介護をしなければならないんです。そんなら介護保険料など払わずに、貯金しておいた方がよかったと思ったりします。払った介護保険に見合っただけの介護サービスを、もっと誰でも使わせてください。
知り合いの子どもが通ってる高校ではやたらに非常勤の先生ばかりなんだそうです。1週間の授業の半分は非常勤だと言ってました。非常勤といったらパートですよね。採用試験に落ちた先生がパートで授業をやってるんですよ。それも、教員免許が更新制になったからなのか、一時的に景気がよくて学生が教員免許をとらなかったからなのか、教員になれないから、いやモンスターペアレントが多くて敬遠したのかしれないけれど、なんだかいないよりまし程度の先生も少なからずいるそうです。
これじゃ、子どもも高齢者もボロボロじゃないですか。若者は派遣だの、ニートだの……。いったい、今まで日本人が額に汗して働いて儲けてきた金はどこにいってるんですか。もっと福祉を……。
書いてると、意見というより、愚痴になりますね。そもそもこの映画の内容とはまったくと言っていいほど関係がありません。ただ、そういう社会的なことを、ついつい話したくなるような作品ではあります。
とはいっても、この映画を見ても、その解決のヒントはありません。柴田恭兵が日本の企業を再生しなければ……みたいなことを言うのです。いや、柴田恭兵だけではありません。この映画のメッセージが、日本の企業の再生、営利を目的とした企業というより、職場というか、仕事を成し遂げる場所としての再生ということなんだろうと思いますが、ドラマですから、その理想はいいのですが、個人や一企業がどうということでなくて、構造そのもの、教育から高齢者まですべての面での再生が必要だと思います。
現実逃避がしたくて逃げ込んだ映画館で、殺伐とした現実を見せつけられたという感じです。
最後に、ドラマを見てなくてもわかるかという点についてですが、一応ドラマシリーズの続編というつくりになっています。テレビシリーズで敵対した大森南朋、柴田恭兵、松田龍平、栗山千明らが、今度はむしろ協力し合う形になっています。そのあたりの人間関係を楽しむという点では、ドラマシリーズから続けて見たほうが断然面白いですが、見てなくても映画がわからないとか、おもしろくないというかことは全くありません。
おもしろくなかったとか、もの足りないとかそういうことはありませんでしたが、映画とテレビドラマの本質的違いいうのはなんだろうと考えたりしました。
なんで、映画にしたんだろってことです。ま、民放でもやってるって言えばそうなんですが。

映画:「ヴァイブレータ」~DVDで
2006-10-28-Sat
寺島しのぶの「ヴァイブレータ」をみました。題名は「振動器」なんですね。ええと、ケータイの機能でかなり身近な言葉になった「バイブレーター」ですが、ちょっと前までは、わたしには、正直エロいイメージが優先してました。音なしではなくて、大人のイメージです。
映画のタイトルは、もちろんそんな大人のおもちゃのことではありません。ケータイの話でもない。心のバイブレーターというか、恋のバイブレーターというか、性欲のバイブレーターというか、主人公の玲(寺島しのぶ)が、トラック運転手岡部(大森南朋)に合ったときに、心のバイブレーターが触れちゃったってことです。「この男としたい」って。
ひとつは孤独だったってこともあって、もうひとつは同じ匂いってこともあったのでしょう。同じ匂いってのは、同じ孤独の匂いって意味です。比喩。
そうして、女は男のトラックに乗り込んで、長距離ドライブの旅に出ちゃうんですね・・・いわば、そんだけの話です。トラックのコックピット(?)で二人がする、会話、沈黙、セックスそうしたものを、ま、いっしょになって味わえばいいのかもしれません。いっしょにトラックに乗り込んで、自分もいっしょに旅をして帰ってくれば、それでいいのかも。
映画館の座席に全体重をあずけて、ちょっと眠い目をこすりながら、トラックの音と闇に身をまかせて、スクリーンをなんとなく見ていて、そこでこんな話が進んでいったなら、きっとよかったのかもしれないと思って見ていました。
こういうドライブしたいなって。
映画のタイトルは、もちろんそんな大人のおもちゃのことではありません。ケータイの話でもない。心のバイブレーターというか、恋のバイブレーターというか、性欲のバイブレーターというか、主人公の玲(寺島しのぶ)が、トラック運転手岡部(大森南朋)に合ったときに、心のバイブレーターが触れちゃったってことです。「この男としたい」って。
ひとつは孤独だったってこともあって、もうひとつは同じ匂いってこともあったのでしょう。同じ匂いってのは、同じ孤独の匂いって意味です。比喩。
そうして、女は男のトラックに乗り込んで、長距離ドライブの旅に出ちゃうんですね・・・いわば、そんだけの話です。トラックのコックピット(?)で二人がする、会話、沈黙、セックスそうしたものを、ま、いっしょになって味わえばいいのかもしれません。いっしょにトラックに乗り込んで、自分もいっしょに旅をして帰ってくれば、それでいいのかも。
映画館の座席に全体重をあずけて、ちょっと眠い目をこすりながら、トラックの音と闇に身をまかせて、スクリーンをなんとなく見ていて、そこでこんな話が進んでいったなら、きっとよかったのかもしれないと思って見ていました。
こういうドライブしたいなって。
