David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
Title List
- 09/17 映画:「ミッドナイトイーグル」~DVDで - シアター
- 09/04 ドラマ:「CHiLDREN チルドレン」~DVD - シアター
- 08/28 映画:「蟲師」~DVDで - シアター
- 07/26 映画:「M」~DVDで - シアター
古い記事へ | 全記事一覧 |
映画:「ミッドナイトイーグル」~DVDで
2009-09-17-Thu
竹内結子は大好きでした~。ゼッタイに「白い影」のときのが一番かわいいと思うけど、ま、大人の女になってからも、いろんな役ができて結構いい。また、書きたいけど、「サイドカーに犬」のダメダメ親父の愛人役なんて、とってもカッコイイ。ほんとうは、こういう、さっぱりとした、男っぽい性格なんだろうなって思う。知らないのに書いたらいけないけど、女優ってそういう芯の強さというか、気風のよさみたいなものがものを言う世界だと思う。
さて、「ミッドナイトイーグル」ですが、竹内結子はヒロインですが、一応ヒロインで、これは、大沢たかおの映画なんでしょうね。今は山登りして星の写真ばかりとっている、元戦場カメラマンの役です。
設定はすごくおもしろい。米軍のステルス爆撃機が北アルプスの山頂付近にどうやら墜落した模様。それを追っていた自衛隊機はよく確かめもせず引き返す。その、不可思議な日米両国の飛行状況を、たまたま星の写真を撮りに冬山に登っていた元戦場カメラマン(大沢)が気づき、カメラに納める。元戦場カメラマンとしての危険察知能力というか、社会派的嗅覚が妙な匂いに感づく。これはただ事ではないと。
もちろん、ただ事ではなく、自衛隊はそのステルスを追い、極秘特殊任務を負ってアルプスに入る。戦場カメラマンには飛ばされた新聞記者(玉木宏)や義妹の写真週刊誌記者(竹内結子)など、それなりの人脈があった。情報を提供すると、写真の分析を急ぐとともに、その取材に北アルプスに入ることとなった。
ところが、山はただならぬ警戒ぶり。多数の自衛隊に道路封鎖がなされ、特殊な迷彩服を着て、銃を装備した自衛隊員が次々と送り込まれていた。これは、ただならぬことと確信する。実際、米軍のステルス機にとんでもない爆弾が搭載されていて、そもそもそれを承知で狙われたところがあった。つまり、墜落して脅威は終わったのではなくて、日本の中枢部分に関する危険は依然として残ったままであるのだ。その重要な軍事機密は、あってはならない一般市民を巻き込む大惨事と政治的な破綻につながる可能性があった。一般市民、とりわけマスコミに知られてはならなかった。
ステルスを奪い日本を大混乱させようと狙う勢力、なんとか隠密裏に済ませたい日本政府、その任務から不慣れな冬登山をせざるを得なかった自衛隊特殊部隊、偶然とはいえとてつもない大スクープに出くわしながらも、やむを得ず報道する側から、自衛隊に協力する側に回ってしまう記者とカメラマン、その家族……。ステルスと特殊爆弾という軍事的な機密を扱ったサスペンスであり、ミステリーであり、同時に、父と子、兄(姉の夫)と義妹との家族の物語であり、そして、平和ボケしたといわれる日本人が、ほんとうに知らないのか、なんとなく感づいていながらも知らん顔をしているのか、そうした、近くにある軍事的な危機の話でもあります。
わたしは、けっこうおもしろく見ましたが、前田有一は
この映画では、危機に関する一時的な解決にはなっても、根本的な解決にもならなければ、一般市民がどう考えていったらよいのかということもなかなか示されません。もちろん、必ずしもその方向性を映画が示さなければならないことはないと思いますが、「皆さん、どうしますか? こういう危機になりかねない状況にあると思いますよ」という差し迫ったアピールも感じられないのですね。前田有一はその「矛盾」から目をそらしてしまい、家族の物語を中心にしてしまったことを批判しているのでしょう。
そういう指摘もわからなくはありませんが、ドラマチックな展開というか、一応映画としてのまとまりにはなっていると思います。
あと、吉田栄作やハゲタカの大森南朋が出ています。大森南朋は、ほんといろんな役ができますね。
さて、「ミッドナイトイーグル」ですが、竹内結子はヒロインですが、一応ヒロインで、これは、大沢たかおの映画なんでしょうね。今は山登りして星の写真ばかりとっている、元戦場カメラマンの役です。
設定はすごくおもしろい。米軍のステルス爆撃機が北アルプスの山頂付近にどうやら墜落した模様。それを追っていた自衛隊機はよく確かめもせず引き返す。その、不可思議な日米両国の飛行状況を、たまたま星の写真を撮りに冬山に登っていた元戦場カメラマン(大沢)が気づき、カメラに納める。元戦場カメラマンとしての危険察知能力というか、社会派的嗅覚が妙な匂いに感づく。これはただ事ではないと。
もちろん、ただ事ではなく、自衛隊はそのステルスを追い、極秘特殊任務を負ってアルプスに入る。戦場カメラマンには飛ばされた新聞記者(玉木宏)や義妹の写真週刊誌記者(竹内結子)など、それなりの人脈があった。情報を提供すると、写真の分析を急ぐとともに、その取材に北アルプスに入ることとなった。
ところが、山はただならぬ警戒ぶり。多数の自衛隊に道路封鎖がなされ、特殊な迷彩服を着て、銃を装備した自衛隊員が次々と送り込まれていた。これは、ただならぬことと確信する。実際、米軍のステルス機にとんでもない爆弾が搭載されていて、そもそもそれを承知で狙われたところがあった。つまり、墜落して脅威は終わったのではなくて、日本の中枢部分に関する危険は依然として残ったままであるのだ。その重要な軍事機密は、あってはならない一般市民を巻き込む大惨事と政治的な破綻につながる可能性があった。一般市民、とりわけマスコミに知られてはならなかった。
ステルスを奪い日本を大混乱させようと狙う勢力、なんとか隠密裏に済ませたい日本政府、その任務から不慣れな冬登山をせざるを得なかった自衛隊特殊部隊、偶然とはいえとてつもない大スクープに出くわしながらも、やむを得ず報道する側から、自衛隊に協力する側に回ってしまう記者とカメラマン、その家族……。ステルスと特殊爆弾という軍事的な機密を扱ったサスペンスであり、ミステリーであり、同時に、父と子、兄(姉の夫)と義妹との家族の物語であり、そして、平和ボケしたといわれる日本人が、ほんとうに知らないのか、なんとなく感づいていながらも知らん顔をしているのか、そうした、近くにある軍事的な危機の話でもあります。
わたしは、けっこうおもしろく見ましたが、前田有一は
と、辛口の評価です。高嶋哲夫の原作はよくできたポリティカルサスペンスで、かつ安全保障や戦争の矛盾をきっちり描いた小説であった。この映画版のもっともまずい点は、その「矛盾」という大テーマを正反対に捻じ曲げてしまった点にある。
→ 趙映画批評:「『ミッドナイト イーグル』55点」
この映画では、危機に関する一時的な解決にはなっても、根本的な解決にもならなければ、一般市民がどう考えていったらよいのかということもなかなか示されません。もちろん、必ずしもその方向性を映画が示さなければならないことはないと思いますが、「皆さん、どうしますか? こういう危機になりかねない状況にあると思いますよ」という差し迫ったアピールも感じられないのですね。前田有一はその「矛盾」から目をそらしてしまい、家族の物語を中心にしてしまったことを批判しているのでしょう。
そういう指摘もわからなくはありませんが、ドラマチックな展開というか、一応映画としてのまとまりにはなっていると思います。
あと、吉田栄作やハゲタカの大森南朋が出ています。大森南朋は、ほんといろんな役ができますね。
スポンサーサイト
ドラマ:「CHiLDREN チルドレン」~DVD
2009-09-04-Fri
NHKのドラマ「ハゲタカ」の大森南朋は、カッコよかったのですが、その他の作品の大森南朋はそうでもありません。ダサい役というとあれですが、もう少しぼんやりした役をやってるように思います。ま、全部見たわけではありませんけど。でも、この「チルドレン」に出てくる大森南朋はカッコいいです。見てくれのカッコよさというのではなくて、本物の持つカッコよさみたいな感じで。
若い家庭裁判所調査官のドラマです。主演は坂口憲二。経験不足と真面目すぎるという点があって、担当する子どもたちにナメられてしまいます。誠実で真剣なんですけど。その良き先輩の役に、ちょっとハチャメチャなところがあって、実はそれが子どもたちの信頼を得るのに役立っているという、ドラマにはありがちな役設定なんですが、そういう先輩を大森南朋です。二人のコンビは一種の凸凹コンビの典型なんですが、それがおもしろいです。
万引き常習犯の少年(三浦春馬)の事件の担当になった武藤(坂口)は、呼び出しに応じてきた親子の印象がひっかかりすっきりしないでいます。一方で先輩陣内(大森)は仕事のことよりも、堅物武藤が一目ぼれした女性三春(小西真奈美)をなんとか武藤に紹介し、うまくいかせてやりたいようで、おせっかいに見える行動をしてきます……。その女性に個人経営の書店に勤務しているのですが、万引きが耐えません。三春が、なぜだか、少年たちが日々万引きをしているのに気づきながら捕まえるどころか、注意一つしないでいるからです。そのわけは……。というような設定です。
話の中心に犯罪です。その一つに万引きがあります。罪を犯してしまったものの更生の問題があります。裁判とは人を罰するのが目的でなく更生させるのが目的であるという、建前論というか理想論と、その難しい現実の問題もあります。また、罪を犯す理由や事情、心理などもとりあげていると思うのですが、果たして、ドラマとしてどこまでそこを深く描ききれているかという点は、やや疑問です。
映画でなくて、WOWWOWのドラマWのシリーズです。連作でなくて、単発です。
→ WOWWOW:ドラマWのページ
原作は伊坂幸太郎。
若い家庭裁判所調査官のドラマです。主演は坂口憲二。経験不足と真面目すぎるという点があって、担当する子どもたちにナメられてしまいます。誠実で真剣なんですけど。その良き先輩の役に、ちょっとハチャメチャなところがあって、実はそれが子どもたちの信頼を得るのに役立っているという、ドラマにはありがちな役設定なんですが、そういう先輩を大森南朋です。二人のコンビは一種の凸凹コンビの典型なんですが、それがおもしろいです。
万引き常習犯の少年(三浦春馬)の事件の担当になった武藤(坂口)は、呼び出しに応じてきた親子の印象がひっかかりすっきりしないでいます。一方で先輩陣内(大森)は仕事のことよりも、堅物武藤が一目ぼれした女性三春(小西真奈美)をなんとか武藤に紹介し、うまくいかせてやりたいようで、おせっかいに見える行動をしてきます……。その女性に個人経営の書店に勤務しているのですが、万引きが耐えません。三春が、なぜだか、少年たちが日々万引きをしているのに気づきながら捕まえるどころか、注意一つしないでいるからです。そのわけは……。というような設定です。
話の中心に犯罪です。その一つに万引きがあります。罪を犯してしまったものの更生の問題があります。裁判とは人を罰するのが目的でなく更生させるのが目的であるという、建前論というか理想論と、その難しい現実の問題もあります。また、罪を犯す理由や事情、心理などもとりあげていると思うのですが、果たして、ドラマとしてどこまでそこを深く描ききれているかという点は、やや疑問です。
映画でなくて、WOWWOWのドラマWのシリーズです。連作でなくて、単発です。
→ WOWWOW:ドラマWのページ
原作は伊坂幸太郎。
映画:「蟲師」~DVDで
2009-08-28-Fri
「蟲」と「虫」いう字の関係は不思議です。
そもそも、「虫」は象形文字で、蛇のマムシをかたどっているといわれています。上の四角の部分が毒蛇の大きな頭で、下のムみたいな部分がとぐろを巻いている様子ですね。
ところが、その「虫」を三つ集めた「蟲」という字ができました。「森」とか「品」とか「晶」とか、そういうつくりかたの漢字はあります。「蟲」は「小さな虫」という意味で、ウジ虫みたいなものを言っていたようです。ところが、「蟲」の略字として「虫」と書かれることになってしまい、当初は「虫」の字と「蟲」の字とを遣い分けていたのですが、区別なく「虫」と書くようになったようです。
→ 漢字家族:「蟲(虫)」
こんな扱いでは、蟲だけに虫がおさまらないだろうと思うのですが、この「虫がおさまらない」とは、非常に憤慨し、腹が立って腹が立って仕方がない状態ですね。「腹の虫がおさまらない」ということもありますね。
また、期限が悪くイラついているときに「虫の居所が悪い」なんて言うことがあります。また、赤ん坊が夜泣きするときに「かんの虫がついた」などといいます。ついでにいうと、空腹のとき「腹の虫」が鳴いたりもしますし、嫌なことがありそうなときには、虫が知らせてくれることもあります……。
ま、こんなふうに、身体の中には虫がいて、それがその人の心身にさまざまな影響を与えるという見方をしていたんですね。--ところで、脱線しますが、先日「「病(やまい)は気から」とは「気の持ちよう」ではない!」という記事を読みました。
そして、「気」というほどでもないが、もうちょっと別の理由も考えられたわけで、中には「狐つき」や「祟り(たたり)」みたいなものと考えられたりしたものもあったのでしょうけれど、「身中の虫」に原因を求めるものもあったのですね(そういえば、「獅子身中の虫」なんて言葉もありますね)。
そうして、害をなす「蟲」がいれば、「虫封じ」をする者もいるわけでして……・、それが、「蟲師」ということになるわけです。そんな蟲を信じているので、江戸時代かなんかだろうと思っていたら、映画中に、山間の農村部を旅しているシーンがあって、「このあたりにも電気がひかれ電灯がつくので明るくなりますね」みたいなことを語っているのです。ちょっと検索してみると、時代的には、明治または大正の頃ということになるかと思います(予告編では「100年前の日本」と言ってます)。
その、明治の日本の山村で、蟲師ギンコ(オダギリジョー)はひたすら何かを求めて旅をしています。過去の記憶を失っている彼は、自分の過去を知る人を求めて旅しているようです。あるときは、耳の聞こえない男を救い、また、あるところでは角が生え、騒音に悩む少女を救います。虹を求める男(大森南朋)と出会い、また、数少ない理解者で蟲の記録をとる家柄の淡幽(蒼井優)のピンチに馳せ参じます。そうして、旅していくうちに、自分が蟲師になるきっかけとなった運命の女ヌイ(江角マキコ)と再会する……、そんな話です。
蟲師の世界観というとちと大袈裟か、蟲師のいる世の雰囲気を味わうにはいい作品だと思いますが、ちょっと淡々と描かれちゃったかなという気がします。江角さんがあんなに泥まみれになったんだから、もっと、どろどろの怨念というか、執着で、ギンコが苦しむのはなかったのだろうかと、思ったりしました。
大森南朋は存在感ありますね。
そもそも、「虫」は象形文字で、蛇のマムシをかたどっているといわれています。上の四角の部分が毒蛇の大きな頭で、下のムみたいな部分がとぐろを巻いている様子ですね。
ところが、その「虫」を三つ集めた「蟲」という字ができました。「森」とか「品」とか「晶」とか、そういうつくりかたの漢字はあります。「蟲」は「小さな虫」という意味で、ウジ虫みたいなものを言っていたようです。ところが、「蟲」の略字として「虫」と書かれることになってしまい、当初は「虫」の字と「蟲」の字とを遣い分けていたのですが、区別なく「虫」と書くようになったようです。
→ 漢字家族:「蟲(虫)」
こんな扱いでは、蟲だけに虫がおさまらないだろうと思うのですが、この「虫がおさまらない」とは、非常に憤慨し、腹が立って腹が立って仕方がない状態ですね。「腹の虫がおさまらない」ということもありますね。
また、期限が悪くイラついているときに「虫の居所が悪い」なんて言うことがあります。また、赤ん坊が夜泣きするときに「かんの虫がついた」などといいます。ついでにいうと、空腹のとき「腹の虫」が鳴いたりもしますし、嫌なことがありそうなときには、虫が知らせてくれることもあります……。
ま、こんなふうに、身体の中には虫がいて、それがその人の心身にさまざまな影響を与えるという見方をしていたんですね。--ところで、脱線しますが、先日「「病(やまい)は気から」とは「気の持ちよう」ではない!」という記事を読みました。
医学といっても、現代の西洋医学のことですが、進歩してなかった時代には、「病気」もこのような「(陰陽五行の)気」の影響だと考えられていたのですね(というか、そもそも「病気」という言葉の「気」はその意味なのでしょう)。Yahoo!辞書に収録されている『大辞泉』と『大辞林』では、次のように解説されている。
『大辞泉』=「病気は、その人の心の持ち方しだいで軽くもなるし、また重くもなるということ。」
『大辞林』=「病気は気の持ちようで、重くもなれば軽くもなる。」
国語辞典に記されている意味がスタンダード(正式)な意味ということになるから、国語のテストで「病は気からの意味を述べよ。」という設問があったとすれば、「病気は、その人の心の持ち方しだいで軽くもなるし、また重くもなるということ。」、もしくは「病気は気の持ちようで、重くもなれば軽くもなる。」と記入しておけば加点してもらえる。
ただ、本来の意味は“中国哲学”や“中国医学”でいわれるところの「陰陽五行の気」であって、「気持ち」でも「心の持ち方」でも「気合い」でもない。
「陰陽五行の気」の働きによって、人の身体と心を適正な状態に保つというのが、「病(やまい)は気から」の本来の意味なのだ。
→ 一言録‐Itigenroku‐Ukyou's Blog ;「「病(やまい)は気から」とは「気の持ちよう」ではない!」」
そして、「気」というほどでもないが、もうちょっと別の理由も考えられたわけで、中には「狐つき」や「祟り(たたり)」みたいなものと考えられたりしたものもあったのでしょうけれど、「身中の虫」に原因を求めるものもあったのですね(そういえば、「獅子身中の虫」なんて言葉もありますね)。
そうして、害をなす「蟲」がいれば、「虫封じ」をする者もいるわけでして……・、それが、「蟲師」ということになるわけです。そんな蟲を信じているので、江戸時代かなんかだろうと思っていたら、映画中に、山間の農村部を旅しているシーンがあって、「このあたりにも電気がひかれ電灯がつくので明るくなりますね」みたいなことを語っているのです。ちょっと検索してみると、時代的には、明治または大正の頃ということになるかと思います(予告編では「100年前の日本」と言ってます)。
その、明治の日本の山村で、蟲師ギンコ(オダギリジョー)はひたすら何かを求めて旅をしています。過去の記憶を失っている彼は、自分の過去を知る人を求めて旅しているようです。あるときは、耳の聞こえない男を救い、また、あるところでは角が生え、騒音に悩む少女を救います。虹を求める男(大森南朋)と出会い、また、数少ない理解者で蟲の記録をとる家柄の淡幽(蒼井優)のピンチに馳せ参じます。そうして、旅していくうちに、自分が蟲師になるきっかけとなった運命の女ヌイ(江角マキコ)と再会する……、そんな話です。
蟲師の世界観というとちと大袈裟か、蟲師のいる世の雰囲気を味わうにはいい作品だと思いますが、ちょっと淡々と描かれちゃったかなという気がします。江角さんがあんなに泥まみれになったんだから、もっと、どろどろの怨念というか、執着で、ギンコが苦しむのはなかったのだろうかと、思ったりしました。
大森南朋は存在感ありますね。
映画:「M」~DVDで
2009-07-26-Sun
GEOが夏休み期間中は100円というキャンペーンをしています。8月31日まで旧作はすべて100円で借りられます。実はこの「旧作」というネーミングはどうかと前から思ってはいるのですが、「新作」の対義語だから「旧作」というふうに発送したのかもしれませんが、そういうレッテルを貼られた段階で色褪せてしまうように感じるのですね。
ま、しかし、シリーズものを借りてきて見るのにこんなに都合のいいことはないので、「キッドナップ」とか「ダメージ」とかいった、5~6本1シーズンの海外ドラマを続けて見ていたのですが、手元にまとめてあるとついつい続けてみ見てしまうので、頭がぼーっとして目がちかちかして、全部借りてくるのも考え物だなと思ったりしています。両者ともおもしろい作品だったので、ま、そのうち記事にしたいと思っています。
さて、そんな中で、ちょっと邦画も思って借りてきた「M」が意外によかったのでこちらから書くことにします。
→ 映画生活:「M」
GEOのくくりでは、「セクシー」というコーナーにあって、R-15指定でした。「ハゲタカ」で話題の、大森南朋が出ているとセクシー映画いう視点で記事にできそうだと思って借りてきたら、確かにセクシー路線ですが、文芸路線というか、現代人の心の隙間をうまく描いているようで(別に現代人ってことでもないのでしょうけど、「出会い系サイト」という使ってる道具が現代的でした。ケータイ、インターネット、デジカメと……。)、興味深く見ました。ちなみに、メインキャラは子役を入れてもせいぜい5人で、大森の役どころはヒロインの夫。田口トモロウと並んで脇役です。もっと脇役ですが、懸賞生活のなすびあたりも出ています。
主人公は二人。平凡な専業主婦のサトコと、何か過去にわけがある新聞配達の若者ミノルということになるでしょう。
サトコは28歳で、東京郊外の一戸建てに、優秀そうな夫(大森南朋)と幼稚園の息子と住む、ま、普通の専業主婦です。平凡というより、平穏。何の刺激もない、また、夫からも少し振り返られなくなった時期でもあるのですが、ケータイの出会い系サイトにいたずら半分興味本位で投稿します。ま、それは冒険のスタートでありますが、同時に、危険のスタートであり、一つの破綻のスタートでもありました。
もう一人の主人公ミノルは、住み込みで新聞配達をする一見真面目な青年です。たぶん、まじめでまっすぐな性格です。たぶん、その純粋さから、過去に過ちを犯し、その影響をひきずっています。鑑別所時代の悪い友人ともなかなか切れないで、時々気晴らしに付き合うようですが、心から楽しめることはありません。
サトコもミノルも、一見安定した生活をうまく送っているようで、心のどこかに隙間があるというか、満たされない感じがあるのですね。たぶん、それは現代人だけじゃあないはずだと思うのですが、ただ、昔は多くの、少なくとも庶民はハングリーだったと思うのですね。実際に空腹というのではなくても、生活に追われていたというか、エンゲル係数が高かったというか。リーマンショック以後はともかくも、ついこないだまでの日本は、そういうハングリーさはなかったのですね。
不足感というか、満たされない感覚と言っても、とりあえずの生活には困らないけれど、何か虚しい。豊かになって、暮らしには困らないのだけれど、退屈で楽しくないみたいなところがあったと思うのですね。そういう、飢えというよりは、渇きというのかな。
出会い系サイトから主婦売春へと進んでいったサトコの写真がネットに流出することによって、この二人が知り合うようになっていくのですね。貧しいわけでもないのに身体を売る……、それにはいろいろが要素があって、性における自分探しの一つみたいなところがあるという解釈なんでしょうね。
それは、ミノルの方から始まります。若くて元気いっぱいのはずなのに、なすび(新聞配達の同僚です)や、他の仲間のように、うまく言えないけど、普通に性に向かえない。ミノルの場合は、それは、母に関わる昔の事件が関係していて、異性に興味がないわけでなないのだが、楽しく気軽につきあえないのですね。なすび(新聞配達の同僚です)のように、明るく風俗店にもいけません。
ミノルがそうであるように、サトコが主婦売春から抜けられないのも、同じようなトラウマが関わっているという解釈なんです。これ以上はネタバラしになってしまうので、あれですが、ま、そのトラウマをなんとかしなければ次へ進めないわけなんで、映画はそこでなんとかしようとするわけなんですね。
そういう自分探しみたいなこと、わたしもずいぶんとしてきているので、この作品は、そこがよかったと思います。
そういうことがわかってみると、「セクシー」という棚におかれているのもなんだなと思う気がします。セックスのシーンだけから言えば、「蛇にピアス」の方が何倍も多くて過激です。ただ、テーマが大人の自分探しだと思うので、別にR-15でも全然構わないとは思いますが、「セクシー」の棚におかれているのにはちょっと抵抗がないでもないですね。ほかにどんなのが並んでいたかよく覚えてないけれど、杉本彩の「花と蛇」とか、谷崎潤一郎原作の「卍(まんじ)」とか、永井豪原作の「けっこう仮面」だとか、あとは団鬼六のシリーズとか、喜多嶋舞が出てるやつとかでした。
監督は「ヴァイブレータ」の廣木隆一で、そういわれれば通じるものがあるなぁと思うのですが、「ヴァイブレータ」は同じ棚にはありませんでしたね。
最後に、カン・ドンウォンの「M-エム-」とは全く別の作品です。
ま、しかし、シリーズものを借りてきて見るのにこんなに都合のいいことはないので、「キッドナップ」とか「ダメージ」とかいった、5~6本1シーズンの海外ドラマを続けて見ていたのですが、手元にまとめてあるとついつい続けてみ見てしまうので、頭がぼーっとして目がちかちかして、全部借りてくるのも考え物だなと思ったりしています。両者ともおもしろい作品だったので、ま、そのうち記事にしたいと思っています。
さて、そんな中で、ちょっと邦画も思って借りてきた「M」が意外によかったのでこちらから書くことにします。
→ 映画生活:「M」
GEOのくくりでは、「セクシー」というコーナーにあって、R-15指定でした。「ハゲタカ」で話題の、大森南朋が出ているとセクシー映画いう視点で記事にできそうだと思って借りてきたら、確かにセクシー路線ですが、文芸路線というか、現代人の心の隙間をうまく描いているようで(別に現代人ってことでもないのでしょうけど、「出会い系サイト」という使ってる道具が現代的でした。ケータイ、インターネット、デジカメと……。)、興味深く見ました。ちなみに、メインキャラは子役を入れてもせいぜい5人で、大森の役どころはヒロインの夫。田口トモロウと並んで脇役です。もっと脇役ですが、懸賞生活のなすびあたりも出ています。
主人公は二人。平凡な専業主婦のサトコと、何か過去にわけがある新聞配達の若者ミノルということになるでしょう。
サトコは28歳で、東京郊外の一戸建てに、優秀そうな夫(大森南朋)と幼稚園の息子と住む、ま、普通の専業主婦です。平凡というより、平穏。何の刺激もない、また、夫からも少し振り返られなくなった時期でもあるのですが、ケータイの出会い系サイトにいたずら半分興味本位で投稿します。ま、それは冒険のスタートでありますが、同時に、危険のスタートであり、一つの破綻のスタートでもありました。
もう一人の主人公ミノルは、住み込みで新聞配達をする一見真面目な青年です。たぶん、まじめでまっすぐな性格です。たぶん、その純粋さから、過去に過ちを犯し、その影響をひきずっています。鑑別所時代の悪い友人ともなかなか切れないで、時々気晴らしに付き合うようですが、心から楽しめることはありません。
サトコもミノルも、一見安定した生活をうまく送っているようで、心のどこかに隙間があるというか、満たされない感じがあるのですね。たぶん、それは現代人だけじゃあないはずだと思うのですが、ただ、昔は多くの、少なくとも庶民はハングリーだったと思うのですね。実際に空腹というのではなくても、生活に追われていたというか、エンゲル係数が高かったというか。リーマンショック以後はともかくも、ついこないだまでの日本は、そういうハングリーさはなかったのですね。
不足感というか、満たされない感覚と言っても、とりあえずの生活には困らないけれど、何か虚しい。豊かになって、暮らしには困らないのだけれど、退屈で楽しくないみたいなところがあったと思うのですね。そういう、飢えというよりは、渇きというのかな。
出会い系サイトから主婦売春へと進んでいったサトコの写真がネットに流出することによって、この二人が知り合うようになっていくのですね。貧しいわけでもないのに身体を売る……、それにはいろいろが要素があって、性における自分探しの一つみたいなところがあるという解釈なんでしょうね。
それは、ミノルの方から始まります。若くて元気いっぱいのはずなのに、なすび(新聞配達の同僚です)や、他の仲間のように、うまく言えないけど、普通に性に向かえない。ミノルの場合は、それは、母に関わる昔の事件が関係していて、異性に興味がないわけでなないのだが、楽しく気軽につきあえないのですね。なすび(新聞配達の同僚です)のように、明るく風俗店にもいけません。
ミノルがそうであるように、サトコが主婦売春から抜けられないのも、同じようなトラウマが関わっているという解釈なんです。これ以上はネタバラしになってしまうので、あれですが、ま、そのトラウマをなんとかしなければ次へ進めないわけなんで、映画はそこでなんとかしようとするわけなんですね。
そういう自分探しみたいなこと、わたしもずいぶんとしてきているので、この作品は、そこがよかったと思います。
そういうことがわかってみると、「セクシー」という棚におかれているのもなんだなと思う気がします。セックスのシーンだけから言えば、「蛇にピアス」の方が何倍も多くて過激です。ただ、テーマが大人の自分探しだと思うので、別にR-15でも全然構わないとは思いますが、「セクシー」の棚におかれているのにはちょっと抵抗がないでもないですね。ほかにどんなのが並んでいたかよく覚えてないけれど、杉本彩の「花と蛇」とか、谷崎潤一郎原作の「卍(まんじ)」とか、永井豪原作の「けっこう仮面」だとか、あとは団鬼六のシリーズとか、喜多嶋舞が出てるやつとかでした。
監督は「ヴァイブレータ」の廣木隆一で、そういわれれば通じるものがあるなぁと思うのですが、「ヴァイブレータ」は同じ棚にはありませんでしたね。
最後に、カン・ドンウォンの「M-エム-」とは全く別の作品です。