FC2ブログ

David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

「フェルメール地理学者」展でなく「オランダ・フランドル絵画」展~豊田市美術館

2011-08-22-Mon
暑かったですね。いつのまにか、その暑さが嘘のように、すっかり過ごしやすい日になっています。逆にこんだけ変化が急だと、体調はともかく服装に困ったりしますねw

その暑くて運動できないころの話です。なんとか運動できるところはないか、歩けるところはないかと、ま、横着なことを考えました。どこか冷房の聞いたところを楽しく歩けないか~。そうだ、展覧会やってたな。フェルメールが豊田に来ていたんだから、ちょっと見に行こう! そう思って、豊田市美術館まで行って来ました。


→ フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展の公式ページ

絵を見るのに好みはあっていいと思うので書きますが、わたしは特段フェルメールの絵に興味を感じません。あるとすれば、反語ではなくて、素直な疑問で、どうしてこの人の作品がそんなに話題なんだろう? ってことくらいです。

そもそも、わたしは映画でも芝居でも、絵画もそうなんですが、予備知識なしで見たいタイプなんです。もちろん、多少知ってないとなってときは予習していきますよ。先日も、ハリポタ「死の秘法」のパート2は、パート1見直してから見に行きました。そういうことではなくて、他の人が「この作品はこういうところがいい」だとか、「こういうところがすばらしい」とか、「誰それがほめていた」なんていうのは、あまりあてにしないように努めています。で、フェルメールが特にいいってことは、わたしは感じないです。いまも。

しかし、今回の「地理学者展」のテープガイダンス(佐々木蔵之介はなんであんな妙な芝居をしたのだろう。普通にやってくれたほうがいいのに。)で知ったんですが、ゴッホがフェルメールの色使いを誉めていた(→ここ)とか、ダリが「大洪水か何かで地球に危機が起きたときに、自身の作品以外で持ち出して逃げたい画家の作品は?」というような質問をされ、「フェルメールの絵画芸術」と答えたんだそうです。色も構図も天才的だとか。へぇ。そのときはピンと来ませんでしたが、「絵画芸術」ってのは「画家のアトリエ」のことですね(→これ)。

こんなスーパースターなのですから、今回の「オランダ・フランドル絵画展」は、フェルメールがなくても十分楽しめると思うのですが、フェルメールが1点あるというだけで、集客力もすごいのでしょう。もちろん、わたしも、別にフェルメールなんて、それほどでも。暑いからさ。なんていいながら、フェルメールの名まえがあって記憶にひっかかっていたことも確かなんですね。


スポンサーサイト



第61回正倉院展で琵琶を見る~奈良国立博物館

2009-10-30-Fri
先日やっといくつかの多忙な事情が一段落し、ふっと時間がとれましたので、奈良国立博物館で開催中の第61回正倉院展に出かけてきました。
 → 正倉院展の公式ページ

愛知県はクルマの町豊田があるおかげで、高速道路も整備されておりまして、朝8時前にこちらを出ますと、平日ですと、道路事情にもよりますが2時間余りで奈良に着くことができます。

公式ページによりますと、正倉院展開催中は休館なしで、しかも金~日曜日は午後7時まで開館しているということですが、なにぶん大混雑が予想され、道路の面でも、会場でのことを考えても、なんとかウィークデーに行けたらいいと思っていましたが、いろいろなやりくりがうまくいき、ふっと平日に時間がとれたのです。しかも、温かな、まさに小春日和と呼ぶにふさわしい日でした。

しかし、驚いたことに、最寄の駐車場はすでに満車、国立博物館を春日大社側にやりすごし大きく右に回ってしばらく進んだ兼営駐車場におかなければならないほどでした。徒歩15分……。土日でしたら、ここも満車だったかもしません。さらに、博物館には入管制限があり、15分待ちの行列でした。平日に言って正解とういべきか、平日でもこんな具合なんだと驚きました。

日本史について、はっきりいってわたしは詳しいほうではありません。いろいろ読んではいるのですが、ちっとも頭に入らないということもあって、正倉院がシルクロードの東の終点というようなことはわかっていても、あとは校倉造りだとか、そんな言葉しか思いつきません。
 → Wikipedia:「正倉院

だから、歴史的に意義あるものを見るというよりは、美しいものや素晴らしいものを見るという、そういう感覚で見に言ったのです。いくつも目玉があるのでしょうが、わたしが回った印象で、一番印象に残っているのは、「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」です。これは「平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)」と並んで、今回の中心的展示でしょうが、これが楽器というところが、非常に不思議でした。琵琶というと琵琶法師しか思いつかないわたしには、どんな演者がどんな衣装でどんな曲を弾いていたのだろうかというのが、大いなる謎でした。

だって、そうでしょう。全く鳴りもしない形ばかりが琵琶で、見てくれだけが豪華な楽器……。そんな楽器が意味があるでしょか? 演奏するために作られたものでなければ、それはそもそも楽器ではなく、楽器に似せたオブジェとか小道具とかでしょう。音色のよさや、演奏のしやすさを追求していけば、見事なまでの装飾は蛇足も蛇足、むしろ邪魔もの以外の何ものでもない、そう考えるとここまでする意味は何? と思われてしまうのでした。もっとも、音楽鑑賞自体が一部の選ばれた人の、贅沢な娯楽であったときに、演奏を楽しむ側から見れば、見た目にもすばらしい楽器からきれいな旋律が流れてくることは、格別の意味、それは至福の時間であり、貴賓を接待するときなどには大いなる意味があったtも思われます。琵琶である以上は少なくともそこそこの音色を奏でなければ、そして、それが宝物であるからには並々ならぬ音色でなければならないはずだと思うのですが、楽器としてのできばえはどうなんでしょうか。

イヤホーンガイドからは「番假祟」という曲を流してくれていました。なんでも正倉院から発見された世界最古の琵琶の楽譜だそうで、天平19年(747年)の日付けのある写経所の書類の裏に書かれていたそうです。全体に、鹿の角だとか象牙や貝がらなどで、精緻なまでのモザイク画が施され、演奏の際に撥(バチ)があたる部分(「捍撥(かんばち)」というのだそうです)には、虎狩をする馬に乗る人々や、宴会をする模様が描かれている……この贅沢な琵琶から、こんな地味な感じの曲が流れていたとは、なんとなくギャップを感じていました。


「大橋翠石展-日本一の虎の画家-」~田原市博物館

2008-10-12-Sun
大橋翠石という画家をご存知でしょうか。日本画家なんですけど……。田原市博物館開館15周年の秋の企画展として、「大橋翠石展-日本一の虎の画家-」ってのが開催されてたので行ってきました。

suiseki_1.jpg
▲田原市博物館にある宣伝幕

もちろんわたしは、この展覧会までこの画家のことは知りませんでした。日本画家に特に詳しいほうではないので、わたしが知らないことになんら不思議はないわけなんですけど……。ただ、副題の「日本一の虎の画家」って、ちょっとなにかハッタリめいたB級の匂いのするキャッチじゃありませんか? 観光地にとかによくある、日本三大○○みたいな響きがある。正直、ちょっとこのコピーのセンスはアレだなぁと思っていたのですが、連休ってこともあるし、行ってみることにしました。

実際作品を見てみると、ああ、なるほどこれは日本一の虎の画家だわって思います。というか、「日本一」って言葉がハッタリどころか謙遜にさえ聞こえるほどです。

「日本一」がハッタリなどでないことは、実際のところ大橋翠石の実績が物語っています。Wikipedia(→「大橋翠石」)から引きますが、

緻密な毛書きが施された虎画は1900年(明治33年)にパリ万国博覧会で絶賛され優勝金牌を受賞し、続いてセントルイス万国博覧会、日英博覧会など国際博覧会で連続優勝金牌を受賞した。また金子堅太郎(子爵)が大橋翠石の後見人となり彼の作品を先の国際博覧会へ出展させたり宮中へ納めるために尽力した。その結果明治天皇や皇后、朝鮮の李王家などに絵を献上した。

とあって、実績は申し分ありません(この出展作が一切残っていないので、そのあたりが後世の評価が低い一因でもあると思われます。

450px-P1060396.jpg
Wikipediaにある翠石の作品

展覧会中の圧巻は、翠石が娘の婚礼道具として持たせた、はやり虎の屏風(「猛虎白鶴之図屏風」)なんですけれど、翠石は虎を描くようになる前は猫が好きで猫をたくさん描いてました。「猫が描けるんなら虎だって描けるだろう」と言われ、濃尾大地震後の焼け跡の見世物小屋に(本物の)虎が来ていて、それを見続けて虎を本格的に描くようになったようです。そして、その特徴は、「精緻な毛描(毛書き)」ですの。翠石自身も「この毛描を超えなければ翠石は超えられない」というようなことを家人に語っていたとそうです。

その「精緻な毛描」は作品の大小を問わずにみることができるのですが、一面の金屏風に二頭の虎が出会い、そして子を儲けてじゃれあう絵柄のこの屏風で充分に堪能できます。スゴイです!
 → 中日新聞:「世界が認めた大橋翠石の虎の絵 田原市博物館で93点ずらり」(10/4付け)より

この一曲の屏風だけでも見る価値はあると言っても過言ではないと思うのですが、本展覧会では初期の作品から晩年まで年代順に並べられ、「断崖」と呼ばれる、たびたび襲った悲劇的エピソードも紹介されるという構成になっていて、興味深く見ることができます。さらに田原市博物館には、大橋翠石の師匠渡辺小崋の父、渡辺崋山の展示もあり、併せて見られるのがさらに理解を深めます(そもそも、田原市博物館は渡辺崋山に関する展示が常設されています。

こちらの、「大橋翠石作品鑑賞」というブログには、数々の翠石の作品の写真入りで鑑賞文が書かれています。
 → Yahoo!ブログ:「大橋翠石作品鑑賞

suiseki_2.jpg
 → 田原市博物館
 → 田原市博物館:大橋翠石展のページ

■□■ NOTE ■□■
開催日 : 2008年10月4日(土)~11月9日(日)
開館時間 : 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 : 月曜日
※ただし、10月13日(月)11月3日(月)は開館、10月14日(火)11月4日(火)は休館します。
観覧料 : 一般600円(480円) 小・中学生は無料 ※()内は20名以上の団体割引料金です。
会場 : 田原市博物館:企画展示室

※大橋翠石展は出身地の岐阜県大垣市でも引き続き開催される予定です。
会場:大垣スイトピアセンター
 → ホームページ
開催期間:2008年11月15日(土)~12月14日(日)

ブログランキング・にほんブログ村へ

西尾の岩瀬文庫に落書きがあった件~愛知

2008-03-21-Fri
愛知県の西尾市に岩瀬文庫ってのがあります。簡単に言うと100年間続いている(私設)図書館なんですけれど、実際「私設」であったのは100年のうちのおよそ前半でして、1955年(昭和30年)に西尾市が蔵書を全て購入、また、建物や土地は「寄贈」と言う形式で移管されて、現在では西尾市の施設なんですね。
 → 西尾市岩瀬文庫の公式ページ

「私設」とういのはどういうことかというと、西尾市の実業家岩瀬弥助(いわせやすけ)が、本を通した社会貢献を志し て創設した岩瀬文庫のページ)ということなんです。「個人でコレクションしたい」というのではなくて、「社会貢献を志して」なんて、現代人が言おうものなら、売名行為と叩かれかねないフレーズですね。いや言葉がわるいのでなくて、すぐにそんな言葉を連想するわたしの品性が下劣なのでありましょう。しかし、もちろん岩瀬弥助は違います。本物です。

文庫設立の構想を持ち始めたのは、明治36年の頃と推定されています。一説では、数え年42歳の男の厄落としのため、私立図書館を設立することで社会に利益を還元し、地域文化の向上に役立ちたい、と思い立ったことが動機だといわれています。当時の日本では、日清日露戦争後の富国強兵政策、地方改良運動もあって、各地で公私立図書館の設立ラッシュが起こっていましたが、西尾ではなかなか町立図書館は実現しませんでした。学校教育にも多大な関心を寄せる弥助が独力で図書館を作ろうと考えたのはこんな理由もあったのでしょう。

 非常な愛書家でもある弥助にはすでに多くの蔵書があったと思われますが、こうして本格的な図書の収集が開始され、この頃のお金で毎月200円から300円ほどが当てられました。その多くは京都や東京の古書店を通じて購入したもので、貴覯本(珍しくて貴重な本)から近代の実用書まで、幅広い分野の本を集めました。
   → 同ページ


こういう経緯もあって所謂古書や貴覯本(きこうぼん)も収蔵していましてこちらのページに代表的なものがあげられているのですが、Wikipedia(岩瀬文庫)にもこんなリストが載ってます。

主な収蔵品
・後奈良天皇宸翰『般若心経』 - 国の重要文化財。
・『本草図説』 - 江戸時代の高木春山の自筆による彩色の博物図鑑195冊。
・『本草図譜』 - 江戸時代の岩崎潅園による彩色の植物図鑑の一部。
・柳原文庫本 - 京都の柳原伯爵家の旧蔵本1900点で、『枕草子』の写本などがある。
・寺津八幡書庫本 - 寺津八幡社の神官で国学者だった渡辺政香が書写、収集した寺津八幡書庫の旧蔵本。
・羽田文庫本 - 渡辺政香と交友のあった豊橋の羽田八幡宮の神官・羽田野敬雄が創設した羽田文庫の一部。

こう並べられても、わたしにもはっきりとした価値はわかりませんが、図書館というよりも、ちょっと博物館みたいな感じもするのですね。実際、昨年末(2007年12月7日)には博物館法に基づく博物館として登録を受けて、古書ミュージアムとしての一面も持つ、非常にすばらしい施設なんです。

岩瀬弥助も岩瀬文庫も、まさに、市民の誇り、県民の誇りではないですか。すばらしい。現在の活発な愛知の礎は、いや日本の発展は、まさにこの岩瀬弥助に代表されるような情熱というか、高い精神性によって支えられ、導かれてきたのだと思います。

ところが……、この記事です。

文化財に落書き 誰だ!/西尾の「岩瀬文庫書庫」(3/19)
18日午前8時45分ごろ、愛知県西尾市亀沢町の国の登録有形文化財「岩瀬文庫書庫」の壁面などに、落書きされているのを職員が見つけ、県警西尾署に届けた。

同署の調べでは、同書庫に3か所、隣接した同文庫収蔵庫と市立図書館の壁に計43か所にわたって、スプレーのようなもので落書きされていた。
 (以下略)

リンク先にはスプレーによる落書きの写真もあります。別に、ほかなら落書きをしていいとか言うつもりはありません。しかし、岩瀬文庫の設立の経緯や価値などを考えると、この罰当たりがと、思わずいいたくなります。ま、記事には「近くの民家6軒と駐車場の車5台にも、同じような落書きがあった」とあるので、岩瀬文庫の価値を知ってやったのではなくて、ガードしたとか、倉庫壁とか、シャッターとか、わけ隔てなく落書きしたら、岩瀬文庫だったということなんでしょうけれど(もっとも、たとえ文化財と知っていたとしても、お構いなしだったろうと想像します……)。

この件はとても残念なことですが、この際、これをきっかけに、わたしのブログを訪れてくれる人には愛知の岩瀬文庫の存在をしってもらおうと思って、記事にしました。そんな、いたずらされたことを宣伝に逆用する売名的な行為を、岩瀬弥助は怒るかもしれないのだけれど、わたしのブログは、虚虚実実、禍福は糾える縄の如しを旨にやってますので、平気でしてしまいます。

ちょっとした社会見学気分で、西尾市の岩瀬文庫に足を運んでみませんか~。
3月30日までは「こんな本があった!」と称して、「~岩瀬文庫平成悉皆調査中間報告展?~」ってのをやってます。ちなみに、「悉皆(しっかい)」というのは「すっかり、全部、残らず」というような意味でして、「悉皆調査(しっかいちょうさ)」というような用語があるようです。
nP1020914.jpgiwase.jpg
岩瀬文庫への交通案内のページ
・地図(MapFanWeb:「岩瀬文庫」


ブログランキング・にほんブログ村へ
HOME NEXT