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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

体育の時間は『プレイステーション』で

2005-06-22-Wed
gooニュースを見ていたら、”体育の時間は『プレイステーション』で”(2005年 6月21日 (火) 16:29)という記事を見つけた。

折しも、sugarさんちで「初等教育でIT教育は必要か?」という記事をめぐって、わたしが「あえて反論」などしていた時期だけに、直接は関係ないものの興味深い点もある。

まず、上記gooニュースの要旨をまとめておく(この手の新聞記事はいつリンクが消滅してしまうか不安なため)。

以前、子どもが学校で遊べるビデオゲームといえば、米西部の開拓時代を体験するシミュレーションソフトのような教育物に限られていたが、今、カリフォルニア州のレッドランズ統一学区では、『プレイステーション』を大々的に授業に導入する計画を立てている。

小学生を対象とした授業では、毎日の体操として、コナミの『ダンスダンスレボリューション』やソニーの『EyeToy: Play』などをプレイすることになる
というわけだ。DDRを体操代わりにやるのは、「ビデオゲームを使って肥満と戦う」という苦肉の策であるらしい。

さらに、同学区ではフィットネス用のルームサイクルをゲームのディスプレーと組み合わせた製品や、特別なコントローラーを使って子どもに野球のボールの正しい投げ方を教える装置なども活用する研究をしているそうだ。

PCでなく「プレイステーション」。わたしは、この斬新な考え方に、ある種のあきらめと同時にある種の尊敬の気持ちを抱いた。もはやゲームソフトに頼らねば効果的な授業ができないのかという嘆きと同時に、効果がありそうなものなら差別や偏見なく授業に取り入れていこう姿勢に対する驚きである。

「子どもたちがゲームにのめり込むのは、楽しいからだ。そして、これからもずっと楽しい思いが続けば、一生運動を続けようという動機づけにもなる」とプロジェクトの中心人物の一人イケダ氏は述べている。

「プレイステーションはダメ」「ゲームはダメ」「ブログは心配」「インターネットは危険」……そのような意見がある。思わずそう発言したくなる大人たち、主に母親たちの気持ちもよくわかる。

ただ、あえて言おう。「プレーステーション」も「ゲーム」も、「インターネット」も「ブログ」も、すべて、道具であり手段だと。目的でなくツールなのだととらえよう。

以前から問題になっている「オートバイ」や「ケータイ(携帯電話)」だって、道具であり手段でった。それを、さまざまな理由から、まだ早い、危険だと取り上げる側の発言が常にある。しかし、取り上げるばかりが能ではない。適切に使用するスキルを身につけ、使いこなすことができること、そっちの方が大切なのではないだろうか?

学生運動が華やかだったころ、60年代、70年代だが、高校生も大学生も政治を語った。そして教師も。そのころの学生は立派だったんだろうな、理想の社会つくりに燃えていた。ところが、東大紛争や浅間山荘事件に象徴される学生運動の結末は、「子どもに政治を語らせるな」という流れにたどりついてしまった。

そうではないだろう。過激で破壊的な反体制運動に結実しては確かに問題だが、だからといって、学生に政治を語らせないなんておろかなことはないのだ。

また、「ほんとうに必要があるのか?」「その前にやることがあるのでは?」という言い方をする。こういう論調はいろいろ難しくなってくる。

たとえば最近導入されている小学校段階での英語の授業についても。ほんとうに必要があるの? その前に日本語では? と言えるてしまう。今回、sugarさんちでわたしが論争している場でも、「全員にブログを持たせるようなIT教育が果たして必要なの?」「その前にやることがあるのでは?」という声が主流だ。確かに、そう言う言い方は成立する。だって、こないだまでそうでなかったのだから。

しかしそういう視点を持ってしまえば、ことごとくそうなりなのだ。確かに英語は受験に関係があり、ブログはあまり関係がなさそうだが、ことパソコン操作にしぼって考えてみよう。今までパソコンをできない人が、だからといって死んでしまったということは、おそらくないだろう。しかし、それなりに扱えることは、もはや大学生は当たり前。いや、社会人でも当たり前という時代になっているだろう。となると、義務教育の段階で、インターネットで検索ができたり、ワープロぐらい打てるようにしといてやらねば、中卒で社会に出る人たちには困る時代なのだ。

最後に、ちと付け足し。

わたしの知り合いの英語教師は、自分の英語力は映画で身につけたと言っている。彼にはまだビデオが普及していなかったころ、映画館で見る洋画が英語の教師だった。

わたし自身も、今こうしてこの文章を書く力を、江戸川乱歩や横溝正史、夢野久作、筒井康隆、半村良、平井和正、そして、団鬼六なんて人まで、どっちかというとあんまり教科書に載らない作家たちを乱読することで身につけてきた……。

わたしの母は言っていた。うちの子は変な小説ばかり読んで困っていますって。確かに困った点も多々あったでしょう(笑)。でも、受験にも、そしてその後の生活にも、あの乱読は大いに役に立っていますよ、お母さん。

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