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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

映画:「ハンコック」~劇場

2008-09-18-Thu
ちょっと出先でぽっかり時間が空いたので、いつもなら迷わずマン喫なんだけれど、ふっとケータイで調べたら「ハンコック」見るのにちょうどいいくらいだったので、見てきました。

ああ、おもしろかったです。大作とか名作ではないのだけれど、おもしろかったと思います。予告篇くらいしか予備知識がなかったので、あのキスシーンはものすごくびっくりしましたw。そして、クライマックス、エンディングへと。ハンコックがどうしてあんなに酔いどれているのかも語られて、ドラマチックでいい話でした。文句ないなぁ。


 → 公式ページ

そういえば、劇場を出るときに、通りすがりの人が言ってた言葉が耳に入ってきました。

「ちょっと、子ども向けの映画だね~」

……? そう? 子ども向け……そうかぁ……。「大人」が見ると、この作品が子ども向けの映画ってことになるのか……。わたしは充分楽しませてもらったのだけれど……。「子ども向けの映画」という括り方は気になるけれど、、なるほど、わたしの中の子どもの部分が反応して楽しんでいたのかもしれないとは思いました。もちろんそれで悪くない、映画ってそういうもので、自分の中のいろんな感情や本能、願望みたいなものを満たしてくれるという要素があるので、少年の部分を満たしてくれたのかもしれないと、そう思いました。

でも、「子ども向け」という言葉にはちょっと抵抗を感じたのですが、どうなのでしょう。自己犠牲と本当の愛……みたいなものが描かれていたと思うのだけれど、そのおっさんには、子供だましに思えたのでしょうか。そこを聞いてみたかったのですが、赤の他人にそういうわけにもいきません。

いきなり飛び出して、「おい、お前、もう一回言ってみろ~」なんて言おうものなら、なに酔ってるんだ、クズっ!って言われちゃいそうですからね。

ちなみに前田有一はこんなこと言ってます。

う~む。ちょっと深読みでは?



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映画:「ダークナイト」~劇場で

2008-08-11-Mon
先日、テレビの洋画劇場で「バッドマン ビギンズ」をやっていて、北京五輪の開会式など目もくれずにおもしろく見ていたのですが、その影響もあって、さっそく「ダークナイト」見てきました。今回は、ジョーカーの話なんですね。バットマンの悪役では、ジョーカーとキャット・ウーマンが双璧だとおもっているのですが、ま、ジョーカーというのは、要するにサイコパスで愉快犯なんですね。それも、凶悪で卑劣で、SでなくてMですね~。キャハハハ。

バットマン ビギンズ
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さて、感想ですが(ビギンズでなくて、ダークナイトの)、レベルは高いと思います。

地下鉄サリン事件があったときに、原因不明の毒ガスが地下鉄に撒かれたというようなことで、レスキューや警察、救急車が来ても大混乱が続いているのをテレビが流していて、これはショッカーの仕業だと思いました--頭を疑われるといけないんで、補足を書きますが、もちろんショッカーが実在したと思ったのではありません。逆で、現実には、「怪人」なんて作れるはずがないので、ショッカー(のような組織)が現実にあるとしたら、こんなことをするんだろうなと思ったのです。そして、もっと直観的に思ったのは、ショッカー(のような組織)は実在することはあったとしても、仮面ライダー(のような私設スーパーヒーロー)は実在し得ないということでした。そもそも、私的に悪を成敗し、処刑するなんて、少なくとも日本では法に触れます……。

ま、バットマンもそういうことなんですね。ゴッサムシティというニューヨークを彷彿とさせる空想の都市が舞台なんですが、あんな戦車のようなクルマで街をぶっ飛ばせば、街は破壊されます。「ビギンズ」では、市民を救うために高架モノレールを地上に落とし、大爆発させたりしてるわけですから。公的な権力がしても大問題になろうことを、単なる私人(正体が不明なんですが)がそれをしてるわけで、結局合法的とは言えなくて、正義の行動の過程でのさまざまな破壊や危険行動によって、結果自身も犯罪者として追われることになってしまうわけです。月光仮面のおじさんのように、子どもに愛され、市民にあてにされ、警察からも感謝されるなんてわけにはいかないのです。

実際は警察や検事局といった、公的な正義の権力がいて、法に則って悪を裁いているわけです。ところが、現実には、それが不充分であり、いやそれどころか警察を含めて司法の内部も腐敗していて捜査情報が漏れてしまうわけなんです。結果的には、それが、決していいことではないのですが、一種のバランスみたいなもの、なれ合いというか、そんな感じで、「ほどほどに腐った社会」を構成しているということなのでしょう。日本でもありますよね、談合ってのは予算関連の情報が漏れるというスタイルのもあるわけでしょう。捜査情報が漏れるとか、教員採用試験の合否情報が漏れるとか……。ほどほどに腐った社会ってのは、昔からあるといえばあるんですね。

ところが、そこに新人地方検事デントが登場します。彼はイケメンであり辣腕です。正面からマフィアのマネーロンダリングをつぶしにかかります。バットマンが闇の騎士(これがタイトルのダークナイトです)として、悪の組織を直接的にぶっつぶして行くのに対して、デント検事は公式の権力です。法と組織を用いて悪を撲滅しようと言う、光の騎士であり、まさに、市民の希望であるわけですね。

マフィアにとっては大変つらい状況です。当局に密通者を持つマフィアは、情報を得て捜査の目をごまかしても、そこにバットマンが来てその邪魔をします。やる気になっている検事や警察は、バットマンにとってはまさによき協力者なのですね。

こうして、困り果てたマフィアたちは、バットマンの暗殺を、ジョーカーに依頼することになるのです。そして、ネタバレというよりも、書こうにも書き尽くせない展開へと……。

テーマ的には、所詮私設警察、闇の仕置人と変わらないダークナイト、闇のヒーローバットマンの人間的苦悩ということになるのでしょうね。考えてみたら、あるいはみんな同じかもしれません。本当に困っている人を助けたいと思っても、職業的な取り決めや、会社の利益のためにはそれ以上は許されないということって、現実には五万とあると思うんですよね。普通のサラリーマンにも。そういう意味では、ある場面では、職業的に憎まれ役、敵役にならざるを得ないことってあるものなんです。それが、これほど命がけだったり、自分自身の信念に関わっていたりすることってのは、ま、そうたびたびはないかもしれませんが。

TVシリーズなどでは幾分コミカルな路線だったので、ガラリと違う、シリアスで重いバットマンです。スパイダーマンも、そういうヒーローの苦悩を描いてましたけれど、それはどっちかというと、思春期的な苦悩というか、感傷だったのに比べて、こっちはもっとのしかかってくるという感じですね。


 → 映画「ダークナイト」公式ページ



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映画:「X-MENファイナルディシジョン」~コロナで

2006-09-14-Thu
「ファイナル(=最終的)+ディシジョン(=決定)」という意味です。誰かが最終的な決定を下せば、このタイトルにはあてはまりますので、別に「最終章」なんて意味はタイトルにはありません。原題は「X-Men: The Last Stand」です。エキサイトで訳すと「最後の抵抗」となります。本当に最終章なんでしょうか? 見るとよけいにそういう気になります。

1~2話と撮ってきた監督が「スーパーマン・リターンズ」の話が出て、変わってしまったんですね。第1話の主人公ウルバリンが深く悩んでいたのと、「スーパーマン・リターンズ」のスーパーマンの悩み方、そして「ファイナル・デシジョン」に出てきた各ミュータントたちの悩み方をいろいろ比較して思うと、監督変更の影響ってあるかもと思いました。ま、最初からこうするつもりだったと言えばそうなのかもしれませんけれど。

「ファイナル・デシジョン」では、ミュータントの「治療薬(キュア)」が発明されます。発明したのはわが子がミュータントになってしまった製薬会社の社長です。この親子の話を膨らませたり掘り下げても一つのドラマにできますね。父のファイナル・デシジョン、子のファイナル・デシジョンという感じで。また、触れあった男が死んでしまうという少女のミュータントもいます(1作か2作に登場して、かなり中心の話題になってました)。彼女も、恋のために治療薬を使おうかどうか悩みます。ここにも彼女なりのファイナル・デシジョンがあるんで、ここにスポットをあてたければ、できるわけです。そうした個々の事情を扱いはするもののわりあいとあっさりと片づけて、各ミュータントの能力を活かした「戦い」に時間をかるた作りになっています。なんでしょう、ミュータントのそれぞれの苦悩に、それぞれ各自のファイナル・デシジョンがありながら、深刻すぎないように描いています。そうして、全体的にはスピーディで痛快な作りになていると思いましす。ミュータントのそれぞれが自分の事情を持ち、そして、自分で決断し、武器を有効に生かして戦い、時にそれゆえに敗北するわけです。おもしろいですよね。

不本意なところだって探せばありますんで、ま、そっちが好きな人はそういうブログを読んで下さい。わたしが一言言いたいのは、ミスティークの処遇かな~(笑)

ミュータント派の親玉(マグニート)は、人間の敵ですから悪人に見えるのかもしれませんが、いわゆる極悪人とは違いますね。最初は、自分たちの権利を守るという考えですから、そういう意味では「結社」なんですね。政治犯というか。ただ、人間社会を認めて共存を図るという姿勢でなくて、ミュータントに対する差別を守るから、ミュータントが、人間よりも優位であるという、一種の選民思想になってしまって、結果人間を倒すになってしまっているのです。

これは、人種の差別があったり、さまざまな団体があって、実際活動し、また、実際テロの脅威などにもさらされているアメリカ人は、われわれよりもよりリアルに、身近に感じるんだろうなと思います。

そして同時にわたしが思うのは、権利を踏みにじられたとき、どのくらいの人が、どのくらいの程度まで戦おうと思うものだろうかということです。しかも、相手が非常に強力で敗北が見え見えだったらどうするのだろうかと。それでも勇敢に戦う者もいるかもしれません。でも、逆に戦わない者もいる。これは根拠がありませんけれど、なんとなく、「勝ち目がなくても戦う」と「勝ち目がほとんどないなら戦わない」の比率や支持率、評価を調べると、日本人は「戦わない派」が多いような気がしてなりませんね。そして米国人は「戦う派」が多そうです。これは、わたしの単なる印象だけのことで、たいした根拠はありませんけれど、先の大戦の敗北から、そういう選択が賢いと日本人は思うようになったと思います。「高潔な敗北よりも、屈辱的だが勝ち馬の尻尾の先で、尻についたハエを追っていたほうがまし」みたいな。

それがいいかどうかはわかりませんし、わたしの精神の中にもそういう気持ちがあるんですけどね。このX-MENをみてそんなこと考えてるアホウは私だけかもしれませんけれど、原題の「最後の抵抗」ってのは、やっぱりそういうことを考えさせるのが一つの主題なのかと思うのですね。

そうそう、わたしのブログのメニュー部分にも飾ってありますが、「X-MEN」のブログパーツがあります。これはクリック数に応じて、表示できる絵柄(キャラクター)が追加されるという仕組みなっています。ぜひ、クリックしてください。(9月末日までらしい)


これもよくしたもので、blogpeopleの機能を使って、みんなで協力しようという動きも出ていて、ま、おもしろいので、わたしも参加することにしました。



どうも、ここまで読んでくれありがとうございました。お礼というのも変ですが、最後まで読んだ人向け、特典の一言。
エンドロールの終わるまで席を立つな。
見ても意味はわからんが(笑)


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映画:「デアデビル」~DVDで

2006-09-09-Sat
いよいよ今日から「X-MENファイナルデシジョン」(→公式ページ)が公開されます。早く見に行きたいですが~(笑)

先日、マーベルのファンサイトをとりあげた記事を書いたときに、「デアデビル」が見たいと思いつつ見れていないということを書いたんですが、そういえばと思って借りて来てみたら、勘違いだった(笑) これは、以前見たことがあります。

主人公マットは、子どもの頃、不慮の事故で盲目になる。その代わりに他の感覚がとぎすまされる。それはまさに超人並み。すべての機能が超人並み。聴覚で周りの様子がわかるようになる。反射神経とか運動能力も並はずれたもの、とういか、奇跡的。今までいじめられていた子どもたちにも簡単に勝てる。一方で、唯一の家族である父はボクサー。子どものために八百長を拒否して殺されるはめになる……。

それが、ま、子ども時代です。成長したマットは弁護士をするかたわら、デアデビルとして活動します。公正な裁きを得られない、うまく生き延びてる悪人たちに、必殺仕事人のように闇から闇に葬るのですね。そういう闇のヒーローが、デアデビルなんです。


必殺シリーズもそうなんですが、表だけでは裁けない悪を闇のうちに葬るという構造自体が、純粋な子どもの視点というよりは、ちょいとばかり大人の視点です。この映画にも、そういう大人の味付け(エロという意味ではありません。過度の暴力もないと思います)があります。
エレクトラ + デアデビル ディレクターズ・カット ダブルパック (初回限定生産)
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2006/03/03)

スピンオフで、ヒロイン版「エレクトラ」ってのもあるようですね。

そうそう、X-MEN関連で、ブログパーツを貼っておきました。できたらクリックしてやってください。
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