David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
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○○難民考~「ネットカフェ難民」と「出産難民」
2007-09-12-Wed
先日「「ネットカフェ難民」で考える、差別語。」という記事で、本来の意味を変質させている「難民」の使い方には、差別的で、偏見の匂いがするということを書きました。
「難民」という語が本来持つべき、居住を追われるに至った理由や背景の存在が軽視され、「生活に困っている」というところから来るマイナスのイメージ(「貧困」「汚い」「臭い」というような)が強調されている。つまり、「難民」となった原因の存在が軽視され、結果の負のイメージをだけを捉えているという感じなのですね。そんな使い方をしたのでは、「難民」という言葉がどんどん差別的な言葉においやられていくように思うのですね。
そんなわたしの記事を「きまじめな議論」と紹介していただいたのが、タカマサのきまぐれ時評:「「●●難民」という表現考(「ネットカフェ難民」など)」(9/9付け)です。たぶん、正面からきちんと考えているといい評価をしてくださったのだと思います。ありがとうございました。
トラックバックを送っていただいた記事には、ネットカフェの業界団体の声明文と、「差別」などという言葉を安直に使って、逆に自らの差別に対する感覚の乏しさを露呈してしまったというようなことも書かれていて、参考になります。
で、タカマサさんはこう書いていらっしゃいます。
う~ん。これはどうでしょうか。問題にされている「出産難民」は、わたしには「ネットカフェ難民」よりも何倍もいい言葉だと思われます。「いい言葉」というのはちょっと誤解を産みそうですんで、「表現として優れている」という意味です。つまり、わたしには「難民」という言葉を選んで使っている意識をうかがい知ることができるからです。
出産期にある女性が「右往左往している状況」だけを言っているのではなくて、「本来出産という環境に迎えられるべきものが、難民のように追い出されている」ということを言っていると思うのですね。こじつけで言っているつもりはありません。実際、市民病院に産科がないだとか、救急車でたらいまわしにされて死産してしまうとか、「難民」という言葉が不謹慎どころか、そのまんまなのですよね。まさに出産の場から、妊婦が追いやられて、どこでどうして出産していいのか難民になっているのです。
だから、わたしが言いたいのは「ネットカフェ難民」という言い方が、不謹慎だとかいうのではなくて、「ネットカフェ難民」が「ネットカフェから追われた人」「ネットカフェで居場所をなくした」という意味なら、むしろわたしはぴったりだと思い、よくぞ「難民」という言葉を選んだものだと思います。しかし、事実は逆で、これでは単なる便乗的な匂いしか感じられない、まさに不謹慎な言い方になってしまっているです。
「出産難民」は出産をめぐる社会的な環境が劣悪になっているということを含んでいます。戦災とか自然災害とか、その他劣悪な環境によって本来の居住地を追われることを「難民」という言葉で表しているのと同様なのです。単なる「困難者」ではない、環境への視点、支援の必要性への問いかけが生きてくるのではないかと思うんですね。
「出産難民」という言葉には、出産環境がこれでいいのかという、まさに、タカマサさんが併行して指摘していらっしゃる視点をも含有する言葉の力があると思うんですね。
「難民」という語が本来持つべき、居住を追われるに至った理由や背景の存在が軽視され、「生活に困っている」というところから来るマイナスのイメージ(「貧困」「汚い」「臭い」というような)が強調されている。つまり、「難民」となった原因の存在が軽視され、結果の負のイメージをだけを捉えているという感じなのですね。そんな使い方をしたのでは、「難民」という言葉がどんどん差別的な言葉においやられていくように思うのですね。
そんなわたしの記事を「きまじめな議論」と紹介していただいたのが、タカマサのきまぐれ時評:「「●●難民」という表現考(「ネットカフェ難民」など)」(9/9付け)です。たぶん、正面からきちんと考えているといい評価をしてくださったのだと思います。ありがとうございました。
トラックバックを送っていただいた記事には、ネットカフェの業界団体の声明文と、「差別」などという言葉を安直に使って、逆に自らの差別に対する感覚の乏しさを露呈してしまったというようなことも書かれていて、参考になります。
で、タカマサさんはこう書いていらっしゃいます。
■出産をむかえる女性が右往左往する状況を「難民」になぞらえるのは、「ジプシー選手」などと同様、実に不謹慎な表現だ。
う~ん。これはどうでしょうか。問題にされている「出産難民」は、わたしには「ネットカフェ難民」よりも何倍もいい言葉だと思われます。「いい言葉」というのはちょっと誤解を産みそうですんで、「表現として優れている」という意味です。つまり、わたしには「難民」という言葉を選んで使っている意識をうかがい知ることができるからです。
出産期にある女性が「右往左往している状況」だけを言っているのではなくて、「本来出産という環境に迎えられるべきものが、難民のように追い出されている」ということを言っていると思うのですね。こじつけで言っているつもりはありません。実際、市民病院に産科がないだとか、救急車でたらいまわしにされて死産してしまうとか、「難民」という言葉が不謹慎どころか、そのまんまなのですよね。まさに出産の場から、妊婦が追いやられて、どこでどうして出産していいのか難民になっているのです。
だから、わたしが言いたいのは「ネットカフェ難民」という言い方が、不謹慎だとかいうのではなくて、「ネットカフェ難民」が「ネットカフェから追われた人」「ネットカフェで居場所をなくした」という意味なら、むしろわたしはぴったりだと思い、よくぞ「難民」という言葉を選んだものだと思います。しかし、事実は逆で、これでは単なる便乗的な匂いしか感じられない、まさに不謹慎な言い方になってしまっているです。
「出産難民」は出産をめぐる社会的な環境が劣悪になっているということを含んでいます。戦災とか自然災害とか、その他劣悪な環境によって本来の居住地を追われることを「難民」という言葉で表しているのと同様なのです。単なる「困難者」ではない、環境への視点、支援の必要性への問いかけが生きてくるのではないかと思うんですね。
「出産難民」という言葉には、出産環境がこれでいいのかという、まさに、タカマサさんが併行して指摘していらっしゃる視点をも含有する言葉の力があると思うんですね。
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「ネットカフェ難民」で考える、差別語。
2007-08-29-Wed
ネットにいると、しばしば言葉について考えさせられます。また、同時に差別についても考えさせられます。そして、差別語や言葉狩りなんてことについても考えさせられます。わたしが今まで一番びっくりしたのは、「お年寄りという言い方は差別語だ」と上司に言われたときですが、「ええ? それは違うでしょう……」と口ごもると、「いや、使い方によってはそうなるんだ……もごもご」と言ったときには、もう、それ以上追求しないでおいてあげましたけど、基本的には「差別語だ」とレッテル貼りをして片付けるのは反対なのです(一時期「スパム」という言葉にも同じ匂いを感じていました)。
さて、先日厚生労働省が「ネットカフェ難民」について調査をしました。
5400人のネットカフェ難民というのが多いか少ないかはわかりませんが、わたしもいっぺんくらいオールタイムで過ごしてみたいって気持ちもないわけじゃありませんし、学生時代だったら結構快適ってやっていたかもしれません。でも、わたしの場合はちゃんと帰る家があって、たまにはやってみたいくらいのレベルでして、別に、そういうことまで、厚生労働省も問題にしているのではないようです。
記事の中の「週の半分以上をネットカフェなどで泊まり歩いている住居喪失者が約5400人いると推計した」という言葉にあるように、住居喪失者を問題にしているのですね。ネットカフェにいる住居喪失者だから「ネットカフェ難民」といっているのでしょう。
で、これに対して「(客の中には)定職に就くことが難しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、複合カフェにとっては大事なお客さまなのです」と、業界団体がクレームをつけたんですね。
→ iza:「ネットカフェ難民は差別語 喫茶業界団体が声明」
う~む。これは微妙ですね。こういうときに安易に「差別」を持ち出してしまうと、声明を出した側が「難民」を蔑視している、つまり差別しているんじゃないか?って言われかねませんから。大丈夫ですか? 業界団体。
そもそも「難民」という言葉は差別語ではありません。差別の匂いはありません。一般的に「戦争、宗教や民族対立などの理由だけでなく天災や貧困、飢餓などの理由で住む場所を追われた人々を指す」(→Wikipedia)のが「難民」です。気の毒で悲惨な人たちです。援助の手が差しのべられる必要があって、ま、国際的には支援の運動はあり、法的な措置も考えられています。だからといって、「難民」という言葉には差別の匂いはありません。
また、比喩的に「元いた所にいられなくなり行き場を失った人を、難民に喩えることがある」(→Wikipedia)ということもあります。これは、わたしも使っています。わたし自身Naver難民として、ここ(FC2ブログ)に来ましたので。 こういう比喩として扱うことが難民に対して失礼だとか、現実を軽んじているということなら、一応その理屈はわからないでもないが、しかし、「災難で行き場を失った人」という意味ではぴったりなんですね。
さて、「ネットカフェ難民」という言葉はどうでしょうか? わたしが自身を「Naver難民」と呼んだのは、「Naverの閉鎖にともなって、居場所を失った人」という意味です。また現実にいる、「アフガン難民」とか「イラク難民」というのは、「本来にアフガンにいて、居場所を失った人」「イラクで、戦乱などで居場所を失った人」ということなんですね。
「ネットカフェ難民」という言葉を、「難民」という言葉の意味合いを込めて読むと「ネットカフェで暮らしていたが、追われて住居を喪失した者」という意味になってしまいます。そういう意味を込めたいときに「難民」ということばを選んでつかうべきだと思うんですね。
ところが逆ですよね。ネットカフェはお客として、彼らを受け入れているのです。ここで「難民」をつかう必然性はむしろなくて、「ネットカフェ居住者」でもいいというか、むしろぴったりのはずなんですよね。
あるいは最初に「ネットカフェ難民」ということばを選んだ人には、「居住地を失った人」とう類似点に加えて、経済的に困難な人とか、背景の悲惨さのイメージを持たせたかったのかもしれません。世の中が悪いからこんなことに……みたいな。ところが、そこが問題なんです。そういうときに、本来の意味を変質させて「難民」を使うと、気づかぬうちにそこに偏見や差別意識みたいなものが、すりよっているのです。
これが恐ろしいんです。こんな形で「難民」という言葉を使い出したら、それこそ、ネットカフェの業界団体ではありませんが、「難民」という言葉が偏見や差別を込めた言葉になってしまいかねないんです。
業界団体は「ネットカフェ難民」という言葉に、住居喪失者に対する差別の匂いを感じたのか、「ネットカフェ」に対する差別の匂いを感じたのかは、ちょっとわかりませんが、「ネットカフェ難民」という言葉には、本来の「難民」が持っていた意味を損なって使った結果、「難民」という言葉を差別的な言葉に変質させてしまっているということが言えるかもしれません。
さて、先日厚生労働省が「ネットカフェ難民」について調査をしました。
ネットカフェ難民5400人 50代も2割超す
定まった住居がなく、インターネットカフェなどで寝泊まりしている「ネットカフェ難民」が全国で約5400人に上ると推計されることが28日、厚生労働省が実施した調査で分かった。20代が27%で最多だが50代も23%おり、高齢層にも広がっていることが判明。このうち半数が日雇い労働など非正規労働で日々の生計を立てているとみられるほか、失業者や無業者も全体の4割に達しているという。全国的なネットカフェ難民の実態調査は初めてで、厚労省は今後の具体的な支援策を検討することにしている。
izaの記事の全文を読む……
5400人のネットカフェ難民というのが多いか少ないかはわかりませんが、わたしもいっぺんくらいオールタイムで過ごしてみたいって気持ちもないわけじゃありませんし、学生時代だったら結構快適ってやっていたかもしれません。でも、わたしの場合はちゃんと帰る家があって、たまにはやってみたいくらいのレベルでして、別に、そういうことまで、厚生労働省も問題にしているのではないようです。
記事の中の「週の半分以上をネットカフェなどで泊まり歩いている住居喪失者が約5400人いると推計した」という言葉にあるように、住居喪失者を問題にしているのですね。ネットカフェにいる住居喪失者だから「ネットカフェ難民」といっているのでしょう。
で、これに対して「(客の中には)定職に就くことが難しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、複合カフェにとっては大事なお客さまなのです」と、業界団体がクレームをつけたんですね。
→ iza:「ネットカフェ難民は差別語 喫茶業界団体が声明」
う~む。これは微妙ですね。こういうときに安易に「差別」を持ち出してしまうと、声明を出した側が「難民」を蔑視している、つまり差別しているんじゃないか?って言われかねませんから。大丈夫ですか? 業界団体。
そもそも「難民」という言葉は差別語ではありません。差別の匂いはありません。一般的に「戦争、宗教や民族対立などの理由だけでなく天災や貧困、飢餓などの理由で住む場所を追われた人々を指す」(→Wikipedia)のが「難民」です。気の毒で悲惨な人たちです。援助の手が差しのべられる必要があって、ま、国際的には支援の運動はあり、法的な措置も考えられています。だからといって、「難民」という言葉には差別の匂いはありません。
また、比喩的に「元いた所にいられなくなり行き場を失った人を、難民に喩えることがある」(→Wikipedia)ということもあります。これは、わたしも使っています。わたし自身Naver難民として、ここ(FC2ブログ)に来ましたので。 こういう比喩として扱うことが難民に対して失礼だとか、現実を軽んじているということなら、一応その理屈はわからないでもないが、しかし、「災難で行き場を失った人」という意味ではぴったりなんですね。
さて、「ネットカフェ難民」という言葉はどうでしょうか? わたしが自身を「Naver難民」と呼んだのは、「Naverの閉鎖にともなって、居場所を失った人」という意味です。また現実にいる、「アフガン難民」とか「イラク難民」というのは、「本来にアフガンにいて、居場所を失った人」「イラクで、戦乱などで居場所を失った人」ということなんですね。
「ネットカフェ難民」という言葉を、「難民」という言葉の意味合いを込めて読むと「ネットカフェで暮らしていたが、追われて住居を喪失した者」という意味になってしまいます。そういう意味を込めたいときに「難民」ということばを選んでつかうべきだと思うんですね。
ところが逆ですよね。ネットカフェはお客として、彼らを受け入れているのです。ここで「難民」をつかう必然性はむしろなくて、「ネットカフェ居住者」でもいいというか、むしろぴったりのはずなんですよね。
あるいは最初に「ネットカフェ難民」ということばを選んだ人には、「居住地を失った人」とう類似点に加えて、経済的に困難な人とか、背景の悲惨さのイメージを持たせたかったのかもしれません。世の中が悪いからこんなことに……みたいな。ところが、そこが問題なんです。そういうときに、本来の意味を変質させて「難民」を使うと、気づかぬうちにそこに偏見や差別意識みたいなものが、すりよっているのです。
これが恐ろしいんです。こんな形で「難民」という言葉を使い出したら、それこそ、ネットカフェの業界団体ではありませんが、「難民」という言葉が偏見や差別を込めた言葉になってしまいかねないんです。
業界団体は「ネットカフェ難民」という言葉に、住居喪失者に対する差別の匂いを感じたのか、「ネットカフェ」に対する差別の匂いを感じたのかは、ちょっとわかりませんが、「ネットカフェ難民」という言葉には、本来の「難民」が持っていた意味を損なって使った結果、「難民」という言葉を差別的な言葉に変質させてしまっているということが言えるかもしれません。