David the smart ass心のダイエット!~時には辛口メッセージを~ |
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観劇:「ミュージカル天切り松人情闇がたり」~イッツフォーリーズ公演
2011-09-21-Wed
たびたび書いていますが、演劇鑑賞の市民サークルに入っています。
今回は浅田次郎原作のミュージカル「天切り松人情闇がたり」でした。大正ロマンの時代の義賊です。ふと江戸川乱歩の怪人二十面相などを連想させるような、変装の達人で、百面相の常なんてキャラも登場します。戦前の日本は格差社会です。華族あり、財閥あり、大地主あり。個人の力量や才能の前に、氏育ちが問題でした。上級学校へ進学するのに金が必要なんですから。生まれがよければ最初から勝ち組で、貧しいものは成りあがるチャンスはほとんどなかった。そんな時代だからこそ、義賊が生まれ、また、語られるわけなんですね。金持ちから宝を奪って、弱き庶民に分け与える。人情味のある義賊の伝説が生まれるのです。今回はそんな義賊の話でした。
→ ミュージカルカンパニー「イッツフォーリース」のページへ
タイトルの「天切り」とは泥棒の手口です。屋根瓦の一枚を剥ぎとり、その穴から忍び込み仕事をやり終えたあとまた天井から同じ穴を通り外に出る。こうして屋根瓦を元に戻して逃走する……これが天切りです。江戸時代から伝わるこの技を得意としていた松蔵だから、天切り松というわけです(芝居には出てきませんが、原作小説には村田松蔵が「天切り松」と呼ばれるに至ったエピソードがあるそうです)。
ただ、この物語は天切り松自身の冒険譚という要素はむしろ少なくて、松蔵自身は語り手です。ホームズ物語のワトソン役なんですが、少年時代の松蔵は伝説の技を持つ先輩たちの仕事っぷりの目撃者であり、あるときは有力なパートナーでもあったわけで、明智探偵に従う小林少年のようでもあります。
幼い松蔵は博打打ちだった父親にある一家にあずけられます。それは泥棒や掏りを束ねていた銀次親分の一家です。家庭でなくて、悪のシンジケートという意味の「一家」ですね。人情味に厚い銀次親分の一家には、親分の心を汲んだ、天才的な義賊たちがたくさんいました。義賊と言っても、厳密には犯罪者には違いないんですが、弱い者に同情し、強いものから巻き上げるという筋を通す姿は、松蔵少年にとってはヒーロー以外のなにものでもありません。大きくなったら立派な泥棒になると、松蔵は誓って育つのです。
すっかり老人になったなった松蔵は今は引退し、なんと警察に協力しています。捜査協力の傍ら、刑務所に泊り込んで若い受刑者たちの更生に役立てばと話をしています。そこに出てくるのは、松蔵少年からみたヒーローともいうべき、銀次一家のすご腕の泥棒たちです。タヌキの寅弥、振袖おこん、百面相の常、目細の安など、惚れ惚れするほど粋で、そのいっぽうで人情に厚い、そんな一癖ある連中の活躍した話を語って聞かせるのです。その話がおもしろく、また感動的でさえあるので、若い受刑者は胸を打たれ更生を誓うものもいます。受刑者だけでなく、刑務官たちまでも松蔵の話を楽しみにしているという具合です。
今回は浅田次郎原作のミュージカル「天切り松人情闇がたり」でした。大正ロマンの時代の義賊です。ふと江戸川乱歩の怪人二十面相などを連想させるような、変装の達人で、百面相の常なんてキャラも登場します。戦前の日本は格差社会です。華族あり、財閥あり、大地主あり。個人の力量や才能の前に、氏育ちが問題でした。上級学校へ進学するのに金が必要なんですから。生まれがよければ最初から勝ち組で、貧しいものは成りあがるチャンスはほとんどなかった。そんな時代だからこそ、義賊が生まれ、また、語られるわけなんですね。金持ちから宝を奪って、弱き庶民に分け与える。人情味のある義賊の伝説が生まれるのです。今回はそんな義賊の話でした。
→ ミュージカルカンパニー「イッツフォーリース」のページへ
タイトルの「天切り」とは泥棒の手口です。屋根瓦の一枚を剥ぎとり、その穴から忍び込み仕事をやり終えたあとまた天井から同じ穴を通り外に出る。こうして屋根瓦を元に戻して逃走する……これが天切りです。江戸時代から伝わるこの技を得意としていた松蔵だから、天切り松というわけです(芝居には出てきませんが、原作小説には村田松蔵が「天切り松」と呼ばれるに至ったエピソードがあるそうです)。
ただ、この物語は天切り松自身の冒険譚という要素はむしろ少なくて、松蔵自身は語り手です。ホームズ物語のワトソン役なんですが、少年時代の松蔵は伝説の技を持つ先輩たちの仕事っぷりの目撃者であり、あるときは有力なパートナーでもあったわけで、明智探偵に従う小林少年のようでもあります。
幼い松蔵は博打打ちだった父親にある一家にあずけられます。それは泥棒や掏りを束ねていた銀次親分の一家です。家庭でなくて、悪のシンジケートという意味の「一家」ですね。人情味に厚い銀次親分の一家には、親分の心を汲んだ、天才的な義賊たちがたくさんいました。義賊と言っても、厳密には犯罪者には違いないんですが、弱い者に同情し、強いものから巻き上げるという筋を通す姿は、松蔵少年にとってはヒーロー以外のなにものでもありません。大きくなったら立派な泥棒になると、松蔵は誓って育つのです。
すっかり老人になったなった松蔵は今は引退し、なんと警察に協力しています。捜査協力の傍ら、刑務所に泊り込んで若い受刑者たちの更生に役立てばと話をしています。そこに出てくるのは、松蔵少年からみたヒーローともいうべき、銀次一家のすご腕の泥棒たちです。タヌキの寅弥、振袖おこん、百面相の常、目細の安など、惚れ惚れするほど粋で、そのいっぽうで人情に厚い、そんな一癖ある連中の活躍した話を語って聞かせるのです。その話がおもしろく、また感動的でさえあるので、若い受刑者は胸を打たれ更生を誓うものもいます。受刑者だけでなく、刑務官たちまでも松蔵の話を楽しみにしているという具合です。
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観劇:「おれたちは天使じゃない」~イッツフォーリーズ公演
2007-11-25-Sun
観劇の市民サークルに入っています。今月は劇団イッツフォーリーズ公演のミュージカル「おれたちは天使じゃない」を見てきました。
とってもおもしろいです。大小さまざまなしかけというか、演出があって飽きさせません。また、ストーリーもわかりやすく、明るく楽しく、同時にセンチメンタルなところのある、おしゃれなコメディーにできあがっています。
簡単に言うと、ピカソの絵のニセモノをつかまされた画廊経営者の父と、やや知恵遅れのような発達的な障碍のある娘(次女)が、資金繰りに困り、また、長女の結婚への差し支えを気にしながら自殺(親子心中)を図ろうしていたところへ、刑務所を脱獄してきた凶悪犯3人組が出くわし、ま、自分たちが逃げ延びるためというよりも、どこかに残っていた良心から親子心中しかけた親子を救い、それから、むしろ気弱で悪いことの出来ない画廊経営者の父と、知恵遅れの娘の事情を次第に知り、半分は逃げるという利己的な心から、そして半分は死ぬしかないと絶望の淵にある気の毒な父娘をなんとか助けたいと、ま、一肌脱ごうとする話です。
こういう設定ってのは、なんとなくわりとありそうという気がしないでもないのですけど。ま、お芝居で目の前でやられるとまた楽しいです。ストーリーを進めてそれを楽しむってのは、テレビでも映画でもビデオでも同じじゃないかという気がするのですが、やはり、生で目の前で展開されるというのは違うんですね。歌声は全身で体感できますし、ま、いいか悪いか別として、焚かれるスモークの煙は鼻に来ます(笑)。なにより、ステージ上の役者の視線がこちらを向いてるんです。もちろんいつもではありませんが、目と目が合ってると感じることがたびたびあります。
展開は早く、コミカルであり、また、伏線もしっかりできていておもしろいです。ミュージカルというのは、コメディがけっこういいんだなぁと改めて実感される作品になっています。
→ ミューカルカンパニー・イッツフォーリーズの公式ページ
「おれたちは天使じゃない」で検索してみると「俺たちは天使じゃない」(→俺たちは天使じゃない(1989)(1989) - goo 映画)とか「俺達は天使じゃない」(→俺達は天使じゃない(1955)(1955) - goo 映画)とかも合わせてヒットします。あらすじを比べてみると、どうでしょう、1955年の方が、設定などがいろいろ違うのですが、同じネタかなと思います。
同じ、所謂市民サークルだと思いますが、もうだいぶ前のページですが、こちらがよく雰囲気を伝えていますし、メインキャストは同じでしたのでリンクしておきます。
→ くしろ演劇みたい会:第35回例会「おれたちは天使じゃない」の紹介ページ
とってもおもしろいです。大小さまざまなしかけというか、演出があって飽きさせません。また、ストーリーもわかりやすく、明るく楽しく、同時にセンチメンタルなところのある、おしゃれなコメディーにできあがっています。
簡単に言うと、ピカソの絵のニセモノをつかまされた画廊経営者の父と、やや知恵遅れのような発達的な障碍のある娘(次女)が、資金繰りに困り、また、長女の結婚への差し支えを気にしながら自殺(親子心中)を図ろうしていたところへ、刑務所を脱獄してきた凶悪犯3人組が出くわし、ま、自分たちが逃げ延びるためというよりも、どこかに残っていた良心から親子心中しかけた親子を救い、それから、むしろ気弱で悪いことの出来ない画廊経営者の父と、知恵遅れの娘の事情を次第に知り、半分は逃げるという利己的な心から、そして半分は死ぬしかないと絶望の淵にある気の毒な父娘をなんとか助けたいと、ま、一肌脱ごうとする話です。
こういう設定ってのは、なんとなくわりとありそうという気がしないでもないのですけど。ま、お芝居で目の前でやられるとまた楽しいです。ストーリーを進めてそれを楽しむってのは、テレビでも映画でもビデオでも同じじゃないかという気がするのですが、やはり、生で目の前で展開されるというのは違うんですね。歌声は全身で体感できますし、ま、いいか悪いか別として、焚かれるスモークの煙は鼻に来ます(笑)。なにより、ステージ上の役者の視線がこちらを向いてるんです。もちろんいつもではありませんが、目と目が合ってると感じることがたびたびあります。
展開は早く、コミカルであり、また、伏線もしっかりできていておもしろいです。ミュージカルというのは、コメディがけっこういいんだなぁと改めて実感される作品になっています。
→ ミューカルカンパニー・イッツフォーリーズの公式ページ
「おれたちは天使じゃない」で検索してみると「俺たちは天使じゃない」(→俺たちは天使じゃない(1989)(1989) - goo 映画)とか「俺達は天使じゃない」(→俺達は天使じゃない(1955)(1955) - goo 映画)とかも合わせてヒットします。あらすじを比べてみると、どうでしょう、1955年の方が、設定などがいろいろ違うのですが、同じネタかなと思います。
俺たちは天使じゃない (1955)
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ビバ、ボガード!同じ、所謂市民サークルだと思いますが、もうだいぶ前のページですが、こちらがよく雰囲気を伝えていますし、メインキャストは同じでしたのでリンクしておきます。
→ くしろ演劇みたい会:第35回例会「おれたちは天使じゃない」の紹介ページ