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David the smart ass

心のダイエット!~時には辛口メッセージを~

観劇:「父と暮らせば」~劇団こまつ座公演

2011-08-03-Wed
観劇の市民サークルに入っています。今回はこまつ座の「父と暮らせば」でした。

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→ こまつ座のWebページ

こんな話だったのかな。

もうずいぶん前にこの舞台を見ているはずなのだけれど、正直なわたしの感想だった。観る側の体験によって舞台のイメージというか、主題が変わって見えるものなんだと、わかったようなことをつぶやいた。

これはヒロシマの話である。ピカ(原爆)にやられた後の広島の話である。もちろん反戦のメッセージがあるし、父娘の心のつながりもある。そしてテーマの一つには「生き残ってしまった者の罪悪感」というのがある。生き残ってしまった娘美津江が、現れた青年を前に恋愛に乗り出せないのは、そもそもの身持ちの堅さとか、乙女の恥じらいとか、原爆症の後遺症に対する不安とかそういう要素ももちろん関係するが、実際は、生き残った自分だけが幸福になるわけにはいかない……という自意識があったような気がする。

わたしなど、誰も死んでいないうちから、自分だけ幸せになっていいはずがないとずっと感じて生きてきたし、ひょっとすると今の今までじもそれを感じて生きてきたような気がするからだ。戦争や原爆で多くの犠牲者が出て、自分だけが何かの偶然で生き延びたら、あるいは「運よく生き残った」とその幸運を素直に享受できたかもしれない。では、「誰かの明確な犠牲の上に生き残ってしまった」場合はどうだろうか。それは身内で、つまり、いろいろなやむを得ない状況が重なったにせよ、相手を見捨てて自分だけ生き延びたというような状況だったら。それでも人は罪悪感に苦しまないか……。

それは苦しんで当然だろう。悩むだろう。あの時少しだけこうしていればと後悔することもあるかもしれない。もう、どうしようもないことだとわかった後になっても、繰り返し、繰り返し。

人はそういうものだ。その苦悩は大小の差はあるだろうけど……。

それを間違っていると言っているのではない。そうかもしれないkれど、それでも、前を向いて生きていって。そうした罪悪感にとらわれて自分を無くさないでというのがテーマである。

ヒロシマの話なのだけれど、もちろん、ヒロシマだけではない。大震災や原発事故を体験したわたしたちには、まさに、現在の問題なのだ。苦悩や悲しみはある。虚しさや絶望に眠れぬ夜もあるだろう。でも、それにとらわれすぎていてはいけない。そういう体験をしたからこそできることもあるし、しなければならないこともあるし、犠牲者の分まで生きる意味もあるというのだろう。

そういう勇気を、上っ面でなく、心から与えてくれる、そんな舞台だった。

こちらの記事も、稽古の一面が語られおもしろいです。
→ シアターガイド:「辻萬長&栗田桃子父娘に再会 こまつ座『父と暮せば』通し稽古レポート



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観劇:「兄おとうと」~こまつ座公演

2009-09-15-Tue
観劇の市民サークルに入っています。月々会費を集めておいて、二つに1度例会という観劇会があるというしくみです。今回の例会はこまつ座の「兄おとうと」でした。

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 → 「こまつ座」の公式サイト

題名のとおり、兄と弟の話です。「兄弟」と書いてしまうと「きょうだい」と音読してしまいがちなので、「兄おとうと」としたのでありましょう。流石です。もちろん、ある兄弟の話です。どっちかというと、メインは兄の吉野作造です。ご存知でしょうか? 吉野作造。わたしは、どこかで聞いたことある名前くらいで、どんな人か、何をしたのか、そもそもどっち系のジャンルで出てきた人かさえわかりませんでした。

で、検索しました。吉野作造記念館ってのがあって、そのホームページがあります(→こちら)。「大正デモクラシーの旗手」って書いてありますね。ああ、大正デモクラシー。その言葉はよく知っていますが、その実際がどんなだったのか、詳しくは知りませんでした。明治の帝国憲法の下では議会だとかっても、特権階級のものでした。吉野作造は普通選挙を訴え、女性の地位向上を訴えます。劇中の吉野作造の台詞に「学者の仕事は2つある。研修することとその成果を広めることだ」と。吉野作造は留学し学んだ政治学の知識を、次第に強権的になり、軍事色を強めていく時代の中で、危険思想とにらまれながらも、論説を発表し、自らが理想と掲げた民主主義を広めようとしたのです。

吉野作造には10歳下の弟がいました。吉野信次です。兄弟ともに秀才で、兄と同じく東京帝国大学を首席で卒業します。兄が学者の道に進んだのに対して、吉野家の経済的な事情から、弟信次は官僚になります。こちらはこちらで役人として成功し出世していきますが、理想の下、危険思想とにらまれるような民主主義を訴え続ける兄作造に対して、軍隊が明治大帝の軍隊であれば、官僚も国のため、つまり天皇のために官僚ということになってきます。いわば吉野家の兄は反体制派の学者、弟は体制派というか体制のど真ん中にいるわけです。

兄弟の考え方の違い、立場の違いは疎遠にし、不仲にもするわけです。しかし、姉妹の姉といもうとを娶ったこともあって、やはり血は水よりも濃い、夫同士は顔を合わせなくとも、妻同士は連絡をとりながら、両家の交流は成り立って行きます。

この秀才ながら別々の理想に生きる、10歳違いの兄弟が、生涯で5夜だけ枕を並べた夜があった……。ものがたりは、5つの場面から構成されます。最初は信次は未婚で、兄嫁の妹と交際しているようだという場面ではありますが、ま、5つの場面ともこの二組の夫婦が中心に話が進むと言ってもいいでしょう。

しかし、そのメインを食ってしまうほどおもしろいのが脇役であるべき二人の男女です。吉野家(よしのけ)、大学の研究室、旅行先の宿など場面はそれぞれですが、言わばホスト的な作造兄弟夫婦に対して、ゲスト的に関わり、事件を起こし、引っ掻き回し、そして何かを残していく二人の男女がいます。吉野家の客と女中、街の巡査と女工、右翼学生と袁世凱の娘、説教強盗、町工場の主人と離別した妹など毎回役が代わるのですが、全部同じ俳優がやっています。そして、主役の作造兄弟夫婦以上にこちらがおもしろい。

その、社会の中のさまざまな場面に暮らしている人々と、理想の違う秀才兄弟を対峙させることによって、政治とは何か、憲法とは何か、民主主義とは何かを考えてもらおうという、そんなテーマになっているのですね。

こまつ座の芝居はやや長めなのですが、ストーリーもおもしろく、音楽も歌もあって飽きさせません。ああ、そいうえば、井上ひさしって「ひょっこりひょうたん島」を書いてたんだよなぁと、なんとなく思い出す。そんな作品ですね。おもしろい。


観劇:「國語元年」~こまつ座公演

2005-03-19-Sat
本日は観劇の日でした。市民観劇サークルに入って、もう10年以上になります。1年で6~7本は観劇の企画があるのですが、すべてを見られるわけでもないので、どうでしょう、それでも、もう70本くらいは舞台を見たと思います。

本日は、こまつ座の「國語元年」でした。井上ひさしの作品は、長くて今回も約3時間の舞台でした。

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時代は明治初期、明治政府ができ近代化した日本に必要はもの数々がありました。富国強兵政策をすすめるなかで、軍隊で命令がうまくつたわらないのは困りものでした。そこで、文部官僚南郷(佐藤B作)に全国統一語作成の命令が下ったのです。

奇しくも南郷家には岳父と妻は薩摩弁、南郷自身が……何弁だったのかな、女中は江戸山の手弁と下町弁、書生は名古屋弁……など、10ものお国なまりの話し手が同居する状態でした。そんな方言の話し手を観察対象にしたり、相談相手にしたり、実験材料にしたり、南郷の全国統一語作成の奮闘が始まるわけです。

舞台はコミカルに、人にとって言語とはなにか? 言葉がいかに大切か? 言葉の美しい使い手になるためにはどうしたらいいか?……などのテーマが次々と扱われていくことになり、とてもおもしろいです。

今でこそ、共通語がすっかり定着し、逆に方言はなんとなく消えつつあるような印象もあるのですが、むしろ明治期には、必死で新しい時代の言語を手に入れなければならなかったわけなのですね。

そう考えると、何か不思議な気持ちになってきます。

国語元年
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