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建国記念の日にする、あしあと伝言板の増設

2006-02-11-Sat
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「ようこそ! 崖下へ。」

前の「あしあと伝言板」がちとコメントが長くなったので、第2作です。前作は、今はなきNAVERブログで古聖さんが贈ってくださったものを、「くれたんだからおれのものだろう」と許可を得ずに転載していました(その後ご本人から、なんの苦情もきていませんので、いいのでしょう。ありがとね>古聖さん)。

さて、第2作はたけおさんにこちらからお願いして書いてもらいました。「足跡」ってリクエストで書いてくださいと申し上げたら、即行書いてくださりました。ありがとうね>たけおさん。次の更新まで、飾らせていただきます。なにやら、わたしのブログにやってくる方は、とんでもない恐ろしい崖っぷちに立たされる思いというようなイメージでありますが、「ようこそ! 崖下へ。」と歓迎の気持ちを申し添えたい気分であります。

どうぞ、訪問のあいさつなどに、適当な記事がなくお困りの方はご自由にお書き下さい。当初は返事はしない方針でしたが、それもなんだと思い、最近はお返事を書くようにしています。




さて、今日は建国記念の日です。戦前は紀元節といって、意味はやはり同じなんですが、ところがなかなかその成立は紆余曲折あったようです。「紀元節でググってみると、詳しいページがいくつかあります。

Wikipedia「紀元節」を参考に書き直すとこんな感じです。

明治5年(11月15日)明治政府は神武天皇の即位をもって紀元に定めようとしました。日本書紀によれば、神武天皇の即位の日付は「辛酉年春正月庚辰朔」つまり、辛酉の年の春の元日で、暦上は庚辰の日ということです。

ところがここにちょっとした複雑な事情が絡んでくるのです。当時はおりしも明治維新の改革のさなかで、明治政府は翌年から新暦(太陽暦)への改暦を予定していたのです。つまり、それまで使っていた太陰暦(旧暦)から、日付を切り替えるわけですね。それだけでも大変で、大混乱だったろうと思うのですが(映画にしたらおもしろそう)、それを頭においておいてください。

明治政府はその年の旧暦1月1日に当たる日(新暦1月29日)を「神武天皇即位の祝日」に定め、例年祭典を行うこととしました。翌年(明治6年)この日に祭典を行い、これを紀元節と名付けたってわけです。

せっかく新暦を使おうというキャンペーンをしていたのに、捨てたはずの旧正月に、大々的な紀元節の祭典をしてしまったのですね。新暦にはなったものの、やっぱり旧正月こそが正しい正月だという解釈が広がっていったんです。これではせっかくの新暦がだいなしです。

そこで政府は、神武天皇即位の日を新暦に換算して、紀元節を新暦の特定の日付に固定しようと考えたわけです。こうして、現在の新暦2月11日が当時の文部省天文局により算出され、暦学者の塚本明毅が審査し、決定したわけです。具体的な計算方法は明かにされていませんが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としているそうです。


実際、干支は暦法に依存せず60の周期で単純に繰り返すので簡易に計算できる。神武天皇の即位年の「辛酉年」は日本書紀の編年を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い庚辰の日を探すとグレゴリオ暦2月11日が特定される。その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」になり得ない。したがって「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日以外には考えられない。なお、日本書紀はこの日が「朔」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないので、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。余談であるが、現代の天文知識に基づき当時の月齢を計算すると、偶然ながらこの日は天文上の朔に当たる。
  Wikipedia「紀元節」

へぇ。すばらしい~。

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